説明される。
 開祖は神命による「型」の実行者であり、綾部はそのはじめての
舞台であった。その波は日本から、さらに世界へとひろがってゆく
全国宣教の口火となった直霊軍の大道布教、「素盞嗚尊のアジア経
綸」の再現といわれる王仁三郎の入豪、教典「霊界物語」の口述、
世界平和の使命をになう人類愛善会の創立など、大本歴史の節をな
す主なできごとが、つねに綾部を出発点としていることもまたゆえ
あってのことである。

   
よみがえる神々
 さらに、明治三十三年(一九〇〇)から三十五年にかけては、正
しき神が鎮まる霊地をたずねてその神々をむかえる宗教的意味をも
った行事が、丹波と出雲を舞台に集中的に行われる。舞鶴沖の無人
島・沓島からは、日本海の荒波を小舟でのりきって、世の元の主宰
神である国祖の神霊をむかえ、酒呑童子でなだかい大江山山麓の大江
町にある元伊勢内宮からは「昔の元の水晶の変らん水」がもちかえ
られて、大本の三つの井戸と冠島・沓島の中ほどにそそがれた。出
雲大社へは徒歩と船をのりついで参拝し、神火(神代からひきつが
れているといわれる霊嗣ぎの火)とお土をもらいうけてかえった。神
火は神前にともし、お土は綾部神苑の宮屋敷どりとして広い区域に
まかれている。さらに開祖は、女人禁制の修験者の山・弥仙山(現
綾部市)にひとりでこもり、大正五年(一九一六)には最後の出修
として播州高砂沖の孤島・神島をひらいて「坤金神」をむかえてい
る。これら一連の宗教的行事は、「世におちておりた、元をこしら

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