小脇谷(426.98m) 尼公峠 市境三角点と峠         あやべ 里山散策  四つ尾山の四季

 「環綾部市境アルプス」は、奥上林では福井県境であり、「山歩仲間」の皆様から「若丹国境尾根」とも名付けられている。
 先に尼来峠−△横谷を縦走したが、続きの尼公峠と△小脇谷へ登った。
昨日の梅雨明け宣言を待って、尼公橋に駐車、GPSの準備をすませ、尼公谷に沿って峠に向かう。林間に入るとすぐに衛星受信をロス。川に出ると木橋が架かっている。念のため谷の直進ル−トを調べる。道はあるようだが、洞峠で谷を直進して引き返したことを思い出し、対岸の木橋の道をとる。
しっかりした山道があり、これこれと思い進むと堰堤があった。更に進み若干空の開けたところに出たので、GPSを頭の上に差し上げていると、やっと衛星受信回復。動かないと位置が判らないので少し移動。ゲッ、西に向かっている!また失敗!。
 木橋まで引き返し沢登りを開始。かなりの水量の沢を右に左に・・何度も々長靴で渡り歩く。藪をくぐり、倒木をくぐり乗り越え、苔むした岩そばの細道を横渡りに越し、横から谷の流れ込む段差を両手を使って吊り上がり、まるで障害物競走だ。沢渡り、障害物の好きな方には、お勧めコ−スである。いつ沢から抜けられるのか、沢渡りの辺土に落ち込んだ気持ちになる。結局、峠までの全ル−トが谷沿い道であった。
 小学校の時、体育劣等生で、体育授業の「棒のぼり」「平行ハシゴ段」「鉄棒」「跳び箱」すべて、一段もできず泣いていた自分が、なんで今こんな事やってるのか自分ながら不思議に思う。
 谷は右からも左からも流れてくるが、ただ本流を探して、沢を渡りに渡り登り詰めていく。植林した平地に出た。広い!広すぎる!谷が右から入り込み、進むとまた右前方からの谷が見える。左手も植林地が広がり、奥は谷に見える。これぞ地形図に田圃の記号の付けられた場所。昔の隠し田と推定されるところ奥尼公(おくにこ)だ。随分の広さがある。作業小屋が高台に残っていた。中にセンバコギが見えた。
 広い林間で進む方向が判らずうろうろする。中央を流れる沢を何度も渡ってみるがGPSでは判らない、立木にトラテ−プがあった。赤いリボンもあった。林間なので道らしいものはない。ともかく地図で調べて北に向かう。正解だった。広い隠し田跡から抜け出せた。さらに谷に沿い登り詰めていく。かなりよい山道になる。真っ直ぐの谷を見送り、右の谷に進む。行く手に稜線が見えてきた。登り切ると「尼公峠」峠地蔵が待っていた。
 日向に2m出るとそこはもう、車が走れる「妻谷尾林道」が走っていた。
△小脇谷標石は、尾根伝いに少し登った藪山の頂上にあった。若丹国境尾根を示すトラテ−プが付近の立木に巻かれていた。
 この稜線に続く、菅の坂峠−鳩ケ峰(△川上)登山は、ここからの縦走で可能だが、先に下見をした古和木谷の芦谷−鳩ケ峰−菅の坂の周回コ−スで登頂することにして、引き返した。下りは谷川の流れている方向にただ一路下るだけで(沢渡りと障害物競走で)あった。
古和木林道の尼公谷にかかる 峠口に駐車 木橋をわたる GPSロスト 堰堤があった
尼公谷に引き返し沢渡り 沢沿いの山道 右に左に沢渡り 倒木の下を沢渡り
深い淀みを迂回して 谷沿いの道を登る 広すぎる水田跡は植林地 作業小屋にはセンバコギ
迷う内にトラテ−プ発見 尼公峠の地蔵さん すぐ側に妻谷尾林道 三角点:小脇谷
資料「北山の峠−京都から若狭・丹後へ−(下) 金久昌業著」尼来峠、尼公坂によると、古和木の山口神社から川上へ通じる峠は、菅の坂(萓待坂)といい、古和木・川上間を結ぶ峠道が、尼公峠と2本もあるのは珍しいと書かれています。
 尼公峠近くにある奥尼公の「隠し田?」ル−トだったのでしょうか。地図で田圃記号が付いているので、相当広い面積だと思います。
 またこの資料には、奥尼公の水が川上に流れているという村人の話も、伏流水があるのだろうかと推測されています。
稜線の分水嶺からいってまずあり得ないと思われ、稜線一帯が奥尼公なのか、あるいはこの水田は、川上村の隠田、水=水田だったのかなど想像をたくましくされます。
 奥尼公などの植林地の管理は、福井県側でされているようにも書かれています。稜線に迫る妻谷尾林道を通じて行うなら簡単と思われます。