登尾峠を歩いて城屋まで越える                              あやべ里山 散策 四つ尾山の四季へ

 志賀郷の内久井二俣口に集合し、中断の新登尾峠(府道:物部・西舞鶴線)公団看板の峠口から、5月に下見登山した彼岸道:志賀郷の呼び名」を登りました。市境尾根に出る手前までは、人一人がやっと登れる斜行ル−トで、林間に入るととしっかりした尾根道になり、すぐに「登尾峠」に到着しました。
 一方志賀郷和会の別グル−プ3人と、舞鶴市城屋太鼓愛好会など役員の3名および京都府農林整備室の畑中英樹様が、早朝に城屋から「丹波峠」を登り、登尾峠の石標に到着されていました。
 綾部市志賀郷、舞鶴市城屋の両者が揃ったところで、山上ミ−テイングが行われ、梅垣正一連長の音頭で、ジュ−スで乾杯のあと、桜を育てる会の広沢代表の司会の元、両地区や峠についての熱心な情報交換がされました。
 参加者一人一人の紹介、発言。蛇神さま伝承のこと、まだ発見できない「池と大杉の巨木」探索のこと。雨乞いの雨引神社、揚松明のことなど・・
 城屋太鼓愛好会の会員で舞鶴市議会議員の和佐谷寛氏と、がっちり手を取り合う志賀郷地区自治会連合会長の梅垣正一氏を前に、参加者一同(計18名)が記念写真を撮りました。
 平たく倒れていた峠の標石を立て「右たんば、左山みち」その下に並ぶ文字「城、の、油、女」は、「城屋」「の村寺」「油里」「女布」の峠に通う地名であるということです。
 参加者全員が城屋に下った「丹波峠:城屋の呼び名」は、全コ−スが長〜い下り坂で、若干、倒木や植生、細尾根もあったが、U字形の底を歩くことも多く小枝、落葉まじりの快適コ−スでした。(畑中様の説明では、これは大雨の出水で出来た跡で、少し離れ若干高いところを平行に通る山道が、本来の峠道だと言うことでした)途中、陸軍省の「舞鶴要塞第二地帯・第16連隊、明治三十□年7月」の石標が立っていて、この峠一帯が軍用秘密地帯であったことが伺われました。また、蛇神様の池と大杉の巨木が未だ探索中のことであり、この峠下りの東尾根越しに梢が見えていた由です。上城屋に着くと明るい農道に飛び出し、すぐに駐車場に到着しました。
一同「雨引神社」に移動し参拝、志賀郷からの別グル−プの車に乗り換えて、国道27号線経由で二俣口に戻りました。
 参加者のお名前は、ここをクリックください。
 詳細資料を桜を育てる会の広沢さまにお願いしました、ここをクリックください。
 蛇神さまの伝承は、ここをクリックください。
 雨引神社、揚松明の紹介は、雨引神社の揚げ松明   雨引の宮(城屋)  揚げ松明の雨引神社
二俣口集合 急な峠口から山へ 対面の新登尾峠府道 山並みが見える
内久井では彼岸道を斜行 一休み 右丹波、左山道 標石の文字を見る
標石を見る一同 場所を広げる梅垣連長 輪になって集合 ジュ−スで乾杯
司会の広沢さん 京都府畑中さま 城屋からの参加 順番に一言発言
がっちり手を取り合う 城屋では丹波峠 自然林の中を 小枝と落ち葉の中を
倒木を乗り越えて 舞鶴要塞第二地帯 降りていく 峠から出る
上城屋の村へ 駐車場所:島田整体施術院 森の中の雨引神社 橋を渡って
正一位 雨引宮 沢山の御宮さん 狛犬を前に 城屋の揚松明
参加者のお名前 (敬称略)
志賀郷側   志賀郷地区自治会連合会三役      :梅垣正一 菅沼史朗 仲野莞爾
         志賀郷和会長                 :相根良一
         志賀郷地区婦人会正副会長 、支部長 :
長谷部洋子 田中アヤ子 塩見信子
         奥山・登尾峠に桜を育てる会三役     :
広沢直子 真宮篤子 西田紀子
         地域住民代表                 :梅原勉 倉橋喜八 梅原諭
舞鶴側     城屋太鼓愛好会長              :水野友晴               お世話になった方  城屋区長       :坂根和雄
         城屋社寺総代(雨引神社総代)       :坂根康雄                                城屋太鼓愛好会副会長 :坂根正喜
       舞鶴市議会議員・城屋太鼓愛好会会員 :和佐谷寛
京都府中丹広域地方振興局農林整備室         :畑中英樹
綾部市神宮寺町在住                     :鍋師有                    
奥山・登尾峠に桜を育てる会代表:広沢さまからの資料
志賀郷奥山・登尾峠沿道図
○「登尾峠を城屋まで歩いて越える下見会」について(要項) 7.23
○下見会について呼びかけるオフト−ク放送原稿 7.22
○下見会の結果についての放送原稿 7.26
城屋側の参加者へのお礼状 8.1  下記に掲載
☆城屋の片倉利彦氏と水野友晴氏「大蛇退治450周年ハイキングの栞」 提供の資料 A4版3枚
行き止まりとされていた志賀郷奥山の道が、城屋へ久田美へ、人が歩いて越えられるのだということは、心はずむ新しい事実です。
ここから新しい夢が始まればどんなに楽しいことでしょう。 広沢直子より
2004年8月1日
志賀郷地区自治会連合会長 梅垣正一
奥山・登尾峠に桜を育てる会代表 広沢直子

登尾峠を歩いて城屋まで越える下見会の成功についてお礼、および写真その他の資料ご高覧お願い
 拝啓 酷暑の候、お変わりなくお過ごしのことと存じ上げます。
さて、先月25日(日)私どもが、表題の下見会を実施しましたところ、ご多忙の中をご参加ご協力をいただきまして、誠に有り難うございました。城屋側の皆様のご参加をいただきましたおかげで、参加者全員が無事に城屋まで、峠を越えることができました。心よりお礼を申しあげます。登尾峠の道の上で、皆様と出会い、固い握手を交わすことができましたことは思えば夢のような出来事であります。長年の夢が実現したというべきでしょう。
 登尾峠を歩いて城屋まで越えてみたいという思いは、私達と、志賀郷の奥山を管理運営する郷和会の役員の間で、何年も前より話になっておりました。今月4月、「奥山お花見ウォ−キング」を実施した頃より、にわかに機運が盛り上がり、中丹広域地方振興局の支援も得て、5月12日には初めて準備下見会を行い、先日お出会いした自然石の道標の所までたどり着くことができました。この時は、城屋へ降りる道を確認することができずに戻ってきましたので、今回、登尾峠の道が消えずに残っていることが確認できたこと、同時に城屋側の皆様との交流が始まりましたことは、何よりも大きな喜びであります。
 城屋の揚げ松明で有名な雨引神社の蛇の伝説の中で、この峠のことが古くから言い伝えられていることも、私達は初めて知ることができました。また、この峠を越えて、丹後の海からイワシが運ばれたことなど、昔の人々の生活のありさまが生き生きと思われます。 今後、この峠道を活用して、新しい時代にふさわしい交流を深めていきたいと願っておりますので、よろしくご協力をお願い申しあげます。
 なお、25日当日の写真数葉と新聞記事、桜を育てる会(地区婦人会の継続事業)の活動を紹介した冊子「花の友」82号を同封いたします。お受け取りくだされば幸いです。  敬具    写真提供:梅垣正一     冊子提供:広沢直子