「綾部青年会議所15周年事業当時の思い出」      15周年実行委員長 鍋 師  有
 15周年を迎える前年、第14代理事長として、6つの重点目標を新年のJCニュース市民版に掲載した。
 それぞれに取組みの契機、準備、経過、実行、後日談など多くのエピソードがある。その一部を紹介したい。

1、社会開発活動の実践。
 丹の国祭りを市民運動として行う事となり、ヴィラの丹の国屋前のロビーで、塩見剛佑君等を交え大議論の末、田中綾一青少年育成連絡協議会会長(前年JCが主力となり結成済)を主催者に担ぎ出すことに決定。平野正明君等青少年委員が担当主力で、種々の市内の青年活動組織の協力参加を得る、今日の実行体制が出来た。

 子供みこしは、大槻高仁君等が主力で、育友会地区委員や商工繁栄会青年部の協力要請から始め理解を得て、多くの花みこしが参加してくれた。全く何もない処からみこしを制作しての参加であり、町を練り歩く子供達の姿に感銘を受けた。

 日本JCの優秀委員会賞にエントリーする事となり、平野正明、竹下裕行君等の協力で、やっと申請書類を作り上げ提出。静岡での日本JC全国大会の専門部会での事例発表、本大会で最優秀委員会賞の栄誉に輝き、賞金50万円を獲得。
(十周年の丹の国綾部発刊は余りに立派すぎて、入賞を逃がしたので初回入賞)

2、ブロックに貢献。
 綾部JCとして初めての京都ブロック会員大会を開催する事とし、当時会場難のため市民センター2F体育館を使用。エクスカーションとして、松田弘理事長と京都のライブスタジアム?(私としては初体験)に行き歌手を契約。地元のバンドでは歌えないという問題があり、専属バンドを契約する代りに、歌手が吹き込んだテープを使用する事となった。今で言うカラオケの走りである。音響設備に大変苦労したが、幸いかなりの迫力も出せ、成功であった。

3、園部JC設立への挑戦。
 京都JCの山本力也ブロック長から、亀岡は京都がやるので園部は綾部がやってくれと小樽へのJC青年の船で約束。久木時哉企画室長を責任者に園部に働きかけを開始。京都銀行等からの調査も考えたが、園部商工会青年部の田中君、一井君等と園部の三亀楼で出会う。蜷川府政の元で助成金を貰い、会費100円の青年団活動とのこと、府から優秀活動表彰を貰っていると言うことであった。

 JCバッチを見せびらかして大いに関心を得る。日本JCに繋がる組織、クラブ運営の魅力で本気になってくれた。(青年会のクラブ運営は盛衰が激しい)それでも林田知事体制になってからの結成となったが、京都が亀岡JCを作るよりも早く達成でき嬉しかった。

4、丹の国構想の継承。
 「丹の国・人間調和都市編」を発刊した。十周年の丹の国構想発刊以後、市の周年事業で市民憲章の制定が決まり、市企画部は市民委員会方式を提案してきたが、JCは憲章の制定と、市民運動としての推進を射程に入れて、有識人を交えた市民団体による協議会方式を提案し、塩見清樹、吉田藤治両氏を起草委員に送り込み、田園調和都市・丹の国構想の理念で「綾部市市民憲章」が制定された。

 15周年の人間調和都市編はこの「市民憲章」と、池田博之、浜田武義、大槻高仁君等が中心となって、若々しいJCの市民運動理念を織り込んだ「市民休暇村建設構想」「新しい市民祭りの創造」を140ペ−ジの冊子にまとめ発刊された。

15周年は、松田弘理事長、中村潤筆頭副理事長の、性格の異なる三羽烏体制で実行した。それに各部門の実行責任者に恵まれ、大きな成果を上げることが出来た。後日、塩見清樹氏、梅原昇氏より、今度の15周年事業は「如何にもなべちゃんらしい事業だったね」と評価を頂いた。

その他の関連事項
5、会員拡大。
 100名への拡大を提起、量も質になり得ると言う私の意見と、池田博之君の量はスプロール化を招くと言う少数精鋭主義と対立。時代の流れとしては池田君の意見が正しく、景気の悪化で時期も合わず現状維持に終わった。これは綾部市の活性化、発展そのものと噛み合っている問題であろう。

2b、ブロックの運営に協力。
 15周年を直前に突然、ブロック長の山本力也君以下ブロック内各理事長連の訪問を受け、小西屋で次年度ブロ長についての膝詰め談判を受けた。当年オイルショックの大変な不景気に当たり、ブロック役員適任者の高山君、田中君、上野君など多数の退会者を出したので、ブロック長はやれてもブロック経験の必要な総務委員長、事務局長等のスタッフが揃わないと何とか断り、深夜になって福知山JCの田辺宏窮君宅へ押し掛け引き受けて貰った。その代わり綾部JCは、ここ数年以内に引き受けるとの約束を池田博之君で果たせた。

6、社団法人化の研究。
 京都JC等の法人化にならい研究を開始、浜田武義君等が当時から頑張ってくれ、数年後には社団法人格を獲得した。

 15周年を迎えるに当たり上記のように、6項目の短期、中期目標を掲げたが、100名への会員拡大を除き尽く解決され、課題提起をした者として大変喜んでいる次第である。