綾部ロ−タリ−クラブ  例会会長スピ−チ     99年5月14日
丹の国構想の夜明け


  燃えよ丹の国プロロ−グ「太古、丹波は丹の海であった。赤々とした水面が果てしない拡がりをみせ、その波うつさまは、まるで燎原の火であった。大国主命が・・・」
 これは、丹の国屋文左衛門こと故塩見清毅さんが、冊子「丹の国・綾部」の巻頭に書かれた詩です。綾部JCの創立15周年記念事業として、丹の国構想が発表された頃の思い出を話します。

 「丹の国」は、その時に塩見清毅さんの考えられた造語ですが、以後、いろんな所で「丹の・」と使われるようになり、様々な業種の屋号などにもなり、使われる地域も中丹一帯の園部、亀岡あたりまで拡がりました。

 「丹の国構想」は、始めから塩見清毅さんの中に完成されたものとしてあったのではありません。

 当時、北陸(新潟、金沢)〜山陰(鳥取、島根)の日本海地帯にたいし、環日本海文化圏の考えが出され、さらに大陸との文化往来を考えると、山陰こそ日本の表玄関でなかったのか。

 開発競争に取り残された綾部だが、豊かな自然の残る綾部は、いつか開発競争が反対の方向を向いたときには、先頭を走っていることになるのでないのか。との思いをこめた苦心の構想です。

 塩見さんは、京都JCの千宗室さん達と文化人としてのネットを持っておられ、岡本太郎氏などの未来講座に参画されていたと伺っています。私達と様々な議論をしては、京都に出かけられ、そのたびにさらに構想に深みを増して帰ってこられました。

 この構想が、ただの夢の理想論でなく、現実に耐えられるものかどうかも気にされて、松田安弘さんや、松下耕樹さんとも良く議論をされていました。

 開発と自然保護が、相いれる事のできるものであるという、「人間調和都市」の考えは、LD(リ−ダシップ・デペロップメント)の手法を取り入れて完成させました。

 縦軸の開発と横軸の自然保護の座標を考えるとき、開発も自然保護もより高度な状態こそ、両者を調和共生させることが出来るという考えです。

 正と負の相反する座標でなく、例えば今日では、自由主義経済の中に、社会主義経済の要素が入っているということが、高度社会での常態となっています。

 歴史的な知識を得るため、はじめは綾部町史を編纂された村上祐二氏の指導を受けました。故人になられた後は、木下礼次氏の指導をいただき、大和朝廷文化圏の最果てという常識を、山陰こそ大陸文化往来の表玄関であるという「丹の国構想」を、メルヘンであると評価していただきました。

 「丹の国・綾部」は、「フォトグラフィ・イン・あやべ」などの三部形式になっています。写真集は、前年に行われたJCの市民活動「綾部の魅力と恥部を探る」の公募写真展の参加者を中心に、撮影を依頼し集めました。

 歴史編「ふるさとへの回帰とその未来」は、JCメンバ−が分担執筆し、私の担当は、第一話の「国津神のふるさと」で、大国主命の経営する「田庭」の起源からの歴史を考察しました。当時発表されたばかりの、ドングリなどを利用した照葉樹林文化圏の考えなども、いちはやく取り入れ完成させました。邪馬台国の謎にも取組みましたが、難しくて手が出せませんでした。

 対話編「新しい生活圏の創造を目指して」では、当時JCなどを席巻しつつあった、「市民運動論」を取り入れました。

 未来との対話編を書くにあたり、一元的に記述するのでなく、AとBの両者の対話形式で問題提起し、論議を深める手法を取り「新しい生活圏の創造を目指して」の各分野にわたる対話編を完成させました。

 徹夜の原稿書きの無理がたたったのか、真っ直ぐ歩けなくなり、メヌエ−ル氏病ということでした。通院しましたが、大本さんの針治療が効くということで、同様に悩まれていた塩見清毅、吉田藤治氏の三人で治療に通いました。
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余 話:
市民憲章推進協議会と青少年育成協議会の発足
1.綾部市市民憲章推進協議会

 市の周年事業として、市民憲章の制定に取り組むこととなり、行政担当者と会議をもちました。

 当初、羽室清市長への答申という、諮問会議の形式と市民委員会の形式が出されましたが、JCとしては、当時から行政サイドだけに頼らずに、市民サイドでも積極的に活動するという、「市民運動」についての認識が深まっていましたので、憲章制定後の、市民運動としての推進活動を考えて、個人に加えて、関係諸団体からなる「協議会」とするように提唱しました。

 憲章文案の起草委員として。学識経験者の岡博先生などと共に、JCからもOBの塩見清毅氏、吉田藤治氏をお願いし、今日の素晴らしい「綾部市市民憲章」ができあがりました。

 JCの「人間調和都市」の文言は、「丹の国」と並ぶ塩見清毅さんの苦心の造語ですが、これを「自然と人間が真に調和する、新しい田園都市の実現をめざして・・」という表現に昇華させる苦労は大変であったと思います。

 市民憲章の制定に先立ち、JCとしても組織を通じて各地の市民憲章など、独自の資料を集め、市議会の議員様方とも対話を持ちました。四方彰氏、平田喜久夫氏、民内清道氏が、商工議員として来られ、四方彰議員とは初対面でしたが、氏が活躍された山家青年団の活動を聞かせていただきました。

 これは後日、園部JC設立の働きかけの最初で、集まっていただいた人から、蜷川府政で優秀活動表彰を貰ったという、園部青年団活動の紹介を受けた時の理解につながりました。

2.綾部市青少年育成連絡協議会
 当時、毎年ゴ−ルデンウィ−クになると、PTAの地区委員は子供達を綾部から連れ出し、遊園地めぐりをするのが慣わしでした。何とか綾部の中で、子供達の育成活動が出来ないものかとの考えから、「丹の国まつり」の諸行事が計画されました。

 田中綾市自治会連合会長を頭に組織づくりをお願いすることとし、綾部市青少年育成連絡協議会が発足しました。ヴィラ1階のロビ−で、塩見剛佑君、久木時哉君なども交え、田中綾市氏に会長を頼むについて、この「丹の国まつり」の事業を、本当にやりたいのかどうかの深刻な議論を重ねたのを覚えています。

 改森基次君、大槻高仁君などの努力で、「子供みこし」を各町区から出していただき成功しました。交通公園に「手作りの遊び場」を作っての行事で、子供達が楽しく遊んでくれるのが本当に喜びでした。

 なかには、子供の手をひいた母親が、来るなり入り口で、ディズニ−ランドなどと比較するのか、こんなのつまらん。と言われるのには傷つきました。子供達は喜んで遊んでいるので、金のかかる遊び場を良しとする、大人の価値観が間違っていると思いました。

 平野正明青少年委員長と、浜松のJC全国大会で報告を行い、JC最優秀委員会表彰を貰い、副賞としてペプシコ−ラ社より,50万円をもらいました。

 JCがこの2つの協議会に、副会長と常任理事の2役を出向させているのはこういう経緯からで、現在では少し変更があるようですが、今日に及んでいます。

3.追記:組織の活性化について
 21世紀を目前にして、今は変革の時であり、あらゆる活動に活性化が求められています。産業界にとっても、「起業の時」と叫ばれ、雇用の拡大につながるような新産業、新製品が求められています。

 最近の綾部市民新聞に、ここに発足当時の様子を記しました、綾部市青少年育成連絡協議会の活性化について、問題提起が掲載されていました。
 組織の活性化に特効薬を求めるのも一つの方法ですが、一過性で終わっては、対策としては不十分です。

 先日も、綾部市体育協会から活性化対策として、普及部の活動について、提言を求められました。私は、協会加盟種目の市民教室などの開催。施設完成お披露目でのイベント開催協力を提言しました。実行力のある協会は、自主的に自前で市民教室を開いています。しかし体協の助力が必要な協会種目もあると思います。四都市大会の最下位種目からの脱却には、なんといっても市民に選手層を広げることも大切です。

 組織にはたいていの場合、専門部会があります。市民憲章推進協議会の場合、推進部などの専門部はいつのまにか、常任委員である委員長一人になっていました。市制50周年事業を控えて、吉田藤治会長は、この専門部活動を立て直し、さらに周年事業に協力する実行委員を組織して行かれる意向を、先般の総会で表明されました。

 変わったことをやる前に、普段の活動である、会員の交流、親睦活動を活性化する。専門部会の活動を活性化する。周年事業の節目に盛り上がる活動をする。などの「あたりまえ」のことから、見直すべきであると思います。
 改革が必要であるという、問題意識と、改革への実行力が大切であることは、言うまでもありません。

 「千年紀」を迎え、市会議員の先生方も勉強会を始められるなど、あらゆる組織に「活性化の機運」がでてきたことに、期待を寄せるものです。