不死鳥のごとく
昭和二十年十二月八日、綾部の神苑は十年ぶりでよろこびにわき
たった。
神苑は十一月に町当局から大本の手にかえり、武徳殿一棟が提供
された。彰徳殿と命名して大本事件解決奉告祭がおこなわれ、ここ
が、不死鳥のごとくよみがえった大本再建の舞台となったのである。
終戦後の混乱と欠乏のさなかで信者の奔走はもとより、地元官公
署や町の人々の協力があったことはいうまでもない。この劇的再出
発を記念して、神前にささげたお供物が町内各自治会へくばられた。
弾圧下で不屈の魂はもえ、神の殿堂は信者の心にきづかれていた。
厳冬をへた草の芽が春をまって萌えいでる生命のつよさにもにて、
あざやかな新生であった。
日本の敗戦は天皇の神格否定、平和憲法の実現、信教自由の獲得
をもたらし、民衆ははじめて歴史の表にたつ。明治二十五年に民衆
の神として出現した艮金神のゆめが達成される条件が、ようやくみ
たされたのである。新発足後の大本運動はここを原点として展
開され、今日の大本がきずかれてきたことはいうまでもない。
梅松の里
綾部の大本は本宮山をかなめとして三〇万平方メ−トルの神苑が
ひろがる。世界の中心となり、祭祀と機のしぐみの地場として、大
本は綾部のまちとともにさかえてゆく。
砂利をふみしめて本宮山にのぼれば、陽ざしをあびてひろがる松
林ごしに二つの大きな碑がのぞまれる。一つは開祖の筆になる神声
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