位の大典祝歌に当選したこともある人で歌道にすぐれ、また中野茗
水は能の宝生流林鶴叟門下の達人というように、綾部に定住した人
々は自己の特技をいかして地元の人々との交流をふかめていたので
大正のロ−マンチシズムの風潮をバックに綾部の文化的雰囲気はた
かめられていった。

    
世界にむかって
 大正十年十月、王仁三郎は「霊界物語」の口述をはじめた。第一
次大本弾圧のため、白木の香も新しい本宮山の神殿が官憲の手でつ
ぶされる二日前のことである。綾部の並松にある松雲閣(現在の料
理旅館・現長)が口述開始の舞台となる。このあたりは由良川にそ
った古い街道すじで、松の並木がほどよく影をおとして往きかう人
々のいこいの場となっていた。夏ともなれば水無月祭りの万灯流し
や花火でにぎわう景勝の地として知られる。
 霊界物語は、高熊山修業における神の啓示を中心に王仁三郎の思
索と研鑽を集大成した神示の一大創作で、「天祥地瑞」をあわせて
全八十一巻におよぶ。大本では筆先とともに教典とされるが、はか
らずも官憲の弾圧とこの物語の発表が契機となって、大本に新しい
方向がひらけてゆく。王仁三郎は言う。「愛国主義があやまって排
他におちいり自己愛になってはよくない。今後世界を愛し、人類を
愛し、万有を愛することを忘れてはならぬ。善言美詞をもって言向
和わすことがもっとも大切である」と。この発言にそって「人類愛
善」「万教同根」を軸にした大車輪の活動が展開される。
 中国の北京で世界宗教連合会の結成を推進し、「東亜の天地の精

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