ッとはきだされ、毎日の参拝や講座をきくために訪問者があとをた
たないのだからしずかな町に大きな波紋をおこしたことはまちがい
ない。
 なかでも、出雲大社管長の千家尊福、御嶽教管長の神宮日高寿、
鶴殿男爵夫人の大宮守子、久邇宮家官務監督の山田春三、岩下子爵、
水野子爵、実業之日本社理事の栗原白嶺、神戸新聞の桑原道喜、今
井武夫、高校教員で歌人の湯川貫一、俳人の吉原亨、明治製糖重役
の高木鉄男、台湾製糖の上西信助、満鉄理事の谷村真友、三井物産
支店長で俳人の岩田久太郎、医者の井上留五郎・岸一太・桜井同仁・
西崎算保、合気道で著名な植芝盛平・井上祥照、軍人では山本英輔
海軍大佐(のち大将)、日本海海戦の名参謀とうたわれた秋山真之
海軍少将(のち中将)、浅野正恭海軍中将、海軍きっての切れもの
といわれた矢野祐太郎海軍中佐、横須賀海軍機関学校の教官で英文
学者の浅埜和三郎、中国大陸横断で名をはせた参謀本部の日野強陸
軍中佐、一兵卒からの立志伝中の人・小牧斧助陸軍大佐など佐官・
尉官級の人々は枚挙にいとまがなく、大本の鎮魂帰神にひかれた。「彗
星」社長の岡田射水、「心霊界」の木原鬼仏、豊本景介などの心霊
術者や文学士の倉田百三、築地小劇場の創立者で大本紹介の映画を
制作した小山内薫、明治の初期に東京商業会議所の会頭をつとめた
中野武営の子で宝生流の達人・中野岩田(茗水)など宗教・文化・
実業・医者・華族・軍人など、各界のいわゆる実力者クラスがぞく
ぞくやってきたことは、綾部の町に刺激をあたえ、綾部が「ひらか
れた町」として発展してゆくうえに有形無形の役割をはたしたもの

目次 ↑ ←145 146 →147