か宗教の優劣、教団の大小の差異などについての価値規準をいうの
ではもちろんない。「大本の神は一人でてがらするような神ではな
い」「みな仲ようして下され」と示されていることからも明らかな
ように、幕末から明治前期にかけての変動期に出現した一連の民衆宗
教の精神を継承して、明治二十五年というときに出現した大本の立
場と使命とを明確にしたものと思われる。
 明治二十五年といえば、政治的統制の下に「信仰の自由」をうた
った「大日本帝国憲法」(明治憲法)の公布、「忠君愛国」を信条
とする「教育勅語」発布の直後であり、またその二年後には、朝鮮
半島への浸出をめぐって日清戦争がおこり、その後日本は急速に排
外的国家主義の道をたどっていった。民衆への圧迫、生活の窮乏と
旧来の生活を激変させてゆく諸矛盾、明治維新への失望、自由民権
運動の挫折などつぎつぎに民衆を重苦しい灰色の淵へ吸い込んでゆ
く。そしてふたたび民衆の間から復古的で農本主義的色彩のこい世
直しへの期待がもえあがってきた。大本はこのような時期を背景と
して、丹波の小都市・綾部に、「世を変える神」「民衆を救う神」
として出現したのである。

    
みろくの世
 大本に出現し、大本に祭祀する最高の神はいうまでもなく艮金神
である。この艮金神の天地創造・隠退再現の雄渾な独特の教義体系
は、ギリシャの人文神話のなかにも中国の天地開闢説等の神話にも
見出すことのできないものがあり、日本の記紀神話にも類例をみる
ことができない別個の神話体系と思われる。

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