の心をうつものがある。今はアスファルトで舗装された綾部の町の
通りも、かってはナオが毎日の賃仕事をおえて子供たちの待つ家路
をいそいだことであろう。たたずめば山の木々、野の草、小川のせ
せらぎが、ナオのよろこびとかなしみをこめてしずかに語りかけて
くる。この綾部は、大本開祖となった出口ナオをはぐくんだ修練の
場であり、なつかしい土地である。

   
綾部の金神さん
 ナオは少女時代から信仰心がふかく、福知山の一宮神社にはよく
お参りし祭礼には能をみるのが好きだった。時々修行にゆくといっ
てはひょっこり留守になったり、隣近所の人々の先々のことなど予
言してよくいいあてたといわれる。ナオの信仰心は成人してますま
すつよくなり、貧窮のなかにあってもいつも神床をしつらえ、「天
照大神、八幡大菩薩、春日大明神」の軸をかけ、「天照大神様、日天
様、月天様、天道様、うれし権現様、七社大明神様、日本国中の
大神様、御眷属様」ととなえて合掌し、神床のとなりに仏の軸と御霊
を祀り、お茶を供え、その残りは「餓鬼に進ぜましょう」といっ
て溝にながし、無縁仏にも供えたという。また年の暮れから正月に
かけては夜どおしおきていて神々にお水を供え、御恩を感謝してい
た。
 当時の綾部には封建社会からひきついだ雑多な俗信仰があり、丹
波に多い元伊勢信仰や愛宕山の火の神信仰などが行われていた。ま
た天理教・金光教・黒住教などの新宗教やキリスト教も伝道の手を
のばしていた。こうした宗教的雰囲気のなかで、やがてナオの神信

目次 ↑ ←132 133 →134