た資産も目にみえてなくなり経済的にもゆきずまってきた。ことに
ナオが五十一才のとき政五郎と死別してからは一文の収入もなく、
当時としては最低の屑買いや糸くり糸ひきの賃仕事にみずからは
げんで生計をたてねばならなくなり、八人の子をかかえて貧窮のど
ん底にあえいだ。しかし「因縁の身魂」として生まれたナオは、丹
波の封建的残滓のつよい片田舎にあって、下づみの生活をとおして
人生や社会の色々な矛盾と重圧を肌で感じ、独自のするどいみ方を
ふかめていった。
末娘のすみ子は当時を回想して
 今日はさびしき秋日和
       古里なつかし幼な時
 母はその日の生計
        朝まははやく夜はおそく
 姉と二人が家の番
       昼はれ遊べども
 晩げになればさむしなる
       母を迎えに二人づれ
 川糸の細道した川の
        蛍こいぶんぶくしゃう
 岸根にとまる螢虫
       お尻まくって螢とる・・・
とうたにかきとめているが、この回想には、きびしい生活の現実と
なつかしいふるさとの山河のイメ−ジがたくみにだぶって、よむ人

目次 ↑ ←131 132 →133