官としてそれにしたがったともつたえられているが、いずれにして
も丹波の固有神・豊受大神につながりがふかいことはまちがいない。
 ゆり夫妻には子がなく、ゆりが寡婦となってからは財産めあてに
親戚からいじめられ、再婚問題もからんで苦境におとされた。ゆり
にとってナオが養女となり出口家のあとをついでくれることが唯一
の救いでありなぐさめであったが、もともと気のすすまなかったナ
オは半年ばかりで福知山へかえった。ナオに去られたゆりはめっき
り気がよわくなり、親戚のひどい仕打ちにたえかね四十九才の若さ
で自殺した。しばらくたったある夜、ゆりの霊がナオの枕辺にたち
福知山へかえったことをはげしく責め、屋根瓦をはがしてどんどん
投げつけ「今日で三日も四日も茶も水ももらえんのじゃがえ」とな
じったという。ナオはこわさのあまり「綾部へ行きます」とこたえ
ながら布団を頭からかぶってふるえあがり、以来ゆりのはげしい死
霊になやまされ床についた。一時は死んだとうわさされたほどで、
ゆりのこの切なるねがいを契機としてナオは綾部の出口家とかたく
むすばれることとなり、安政二年(一八五五)にふたたび綾部へか
えった。
 その年の三月十九才で中筋村の大工職・四方豊助(出口政五郎と
改名)と結婚した。政五郎はお人好しで大工としては腕もたち評判
もよく、数人の弟子をかかえて仕事もいそがしいほどだった。しか
し政五郎は酒ずきのうえ大の楽天家であった。仕事の取引が下手で
請取仕事をしても欠損を重ねることが多く、そのうえ野芝居が何よ
り大好きで仕事や家庭のことなど忘れて夢中となり、ゆりののこし

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