国福知山の貧しい大工職、
桐村五郎三郎の長女とし
て生まれた。福知山は綾
部の西十二キロにあり、朽
木氏三万二千石の城下町
としてさかえたところで
由良川と土師川が合流す
る丘陵には明智光秀が築
いた福知山城がある。手
ぶりのきれいな福知山踊は全国に知られており毎年夏の宵を市民は
通りにあふれて踊りあるく。ナオの生まれた天保七年は天候不順が
つづいたため、全国的に大飢饉がおこり民衆は飢えと貧困のどん底
にくるしんだ。しかし支配権力は自己の体制保全と上層階級のこと
ばかりを考えて民衆の救済には全く無策であった。そのためついに
民衆は激昂して反抗し全国的に百姓一揆をおこしている。むしろ旗
をおしたて鎌・鍬・竹槍などを手にした人海戦術がせいいっぱいで
あったから、権力側の武力と懐柔策のまえにおしつぶされてしまっ
たが、民衆の世直しへの目ざめと願望・抵抗という事実のつみかさ
ねとひろがりは、幕藩体制下の封建社会を大きくゆさぶる結果とな
った。
 福知山では万延元年(一八六〇)に六十三ケ村におよぶ大一揆が
おこり、また明治維新後に綾部では新政府の期待をうらぎった施策
に反抗して二千人もの民衆が蜂起している。出口ナオはこのような


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