なるという母の言葉をまのあたり見る”ともうたわれている。母と
は大本開祖 出口ナオ刀自のことであるが、その開祖の筆先にはつ
ぎのように示されている。「氏神様の庭の白藤、梅と桜は出口直の
おんれいのしるしに植えさしたのであるぞよ。白藤が栄えば綾部よ
くなりて末で都といたすぞよ。福知山、舞鶴は外囲い、十里四方は
宮の内、綾部まん中になりて、金輪王で世を治めるぞよ」。
 綾部は将来宗教の都、
文化の都、また精神的
なメッカとして発展し
てゆくことを神は約束
しているのである。あ
とでのべるように、綾
部は宇宙の親神、民衆
をすくう神が出現され
た地場であり、大本は
「世界の元となる尊い
所」として神がつくられた聖団である。だからこそ綾部は大本信徒
や五万市民のふるさとというだけでなく、世界全体の心のふるさと
である。しかもそれは懐古趣味的なふるさとではなく、将来に希望
をたくした経綸の地でもある。一木一草にも神の光がかがやき、一
挙手一投足にも民衆のねがいがこめられている。

    
大本開祖・出口ナオ
 大本開祖出口ナオは天保七年(一八三六)旧一二月一六日、丹波


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