私記:

恐いから 判らないから 難しいから 面白い
  −あるロ−タリ−クラブ会長 1年間の記録

1998-99 会長スピ−チ 「ロ−タリ−の夢・みんなの夢」 プログラム

はじめに

(カテゴリ−別・プログラム)
登山・スキ−:
 恐いから判らないから難しいから面白い  5
 我が家の家族スポ−ツは山とスキ− 20
 3度死にそうになったスキ−・ツア 28
*私のスキ−・アラカルト 28
 初めての登山は剣岳徹夜登山 31
*親不知登山考 32
*丹波の山登りの楽しみ 32
*合歓の花登山行 33
 ワンダ−・フォ−ゲルの思い出 39
*私のキャンプ・アラカルト 40

趣 味:
 綾部テニス協会の発足と四都市大会 18
 私の読書事始め 20
 大雪の夜のコンサ−ト 26
*冬瓜と白菜の野菜づくり 33
 タンゴに魅せられて 34

プライベ−ト:
 私のわるい耳のこと  2
*耳が悪いので得をした話(1)  3
*耳が悪いので得をした話(2)  3
 綾部に疎開したこと 29
 泣き虫のこと 30
 泣き虫余話(私の名前) 30

職 業:
 社会人1年生:不二越の思い出(1) 15
 社会人1年生:不二越の思い出(2) 18
 機械の自動化に取り組んで 22
 私のコンピュ−タ事始め 23
*猿でも分かるコンピュ−タ 23
*水平器の精度について 24
*最近の職人さんのこと 24

平 和:
 国際化の理解から世界平和を  9
 ロ−タリ−の夢・綾部の夢 11
 知覧特攻隊記念館を見学して 19

自治会・福祉・交通問題:
 税の啓蒙週間にちなんで 17
*民主主義のル−ルを考える 17
 交通事故の撲滅をはかろう 13
 生涯教育とボランティア活動 21
 作業所に関わったいきさつ 23

まちづくり:
 綾部の観光振興を願って 12
 もし都市の再開発が盛んになれば   21
 綾部駅の北口開発を考える 31
 越州村の変遷に富山の街づくりを思う 37

ロ−タリ−: ペ−ジ
 年度のはじめに  1
 ロ−タリ−の夢・みんなの夢  1
 21世紀の先取り「人づくりを」  2
 フェニックスに託された「ロ−タリ−の夢」
 みんなが米山功労者になろう 11
 ロ−タリアンとして職業奉仕ができる 15
 ロ−タリアンの趣味 27
 記事は四つのテストに照らして 38
 私の会長スピ−チ 41
 1年間のご協力ありがとうございました 45
 参加メモ:ロ−タリ−大会・セミナ−関係
 謝辞
 あとがき

国際奉仕:
 青少年交換学生:エゲメン君を歓迎して  7
 エゲメン君と東大寺大仏を見学して 22
 財団奨学生:滝花美輝さんのこと 13
*ポ−トランド国際大会の思い出 41
 青春のさなかの貴重な体験を、これからの人生で活かして・・ 45

会員増強:
 会員増強にご協力を  5
 会員増強はクラブの未来造り  6
*ロ−タリ−は地方都市交流の拠点  6
 綾部クラブの会員増強について  8

環境保全:
 ホ−ムペ−ジで環境保全をアピ−ルしよう  9
 ホ−ムペ−ジのコスト・パフォ−マンス 14
*空き缶の見る夢 23

ロ−タ−アクト・RYLA・青少年・教育:
 若者の行動力に期待  4
*ディベ−ト:あなたは綾部に住みたいか  4
 若者は地方では主役  7
 アクト「ハ−ブを楽しむ」例会講評より 22
 甲子園めざして頑張って! 29
*子供達と学び合い、育ち合おう 39
 NEXT・45周年:綾部の良さを知ってもらう体験活動に期待  16
 地域に密着した奉仕活動を通じ、人々に愛されるクラブ目指す! 42
 創立45周年記念式典 式  辞 43
 新世代グル−プ「NEXT」を結成! 43
 NEXTの今後の活躍に期待 44
 なべちゃんのたわごと (実践のすすめ)

青年会議所:
 丹の国構想の夜明け 36
*市民憲章・青少年育成協議会の発足 36
*綾部青年会議所15周年当時の思い出

記録・提言:
 21世紀ロ−タリ−への提言 35
 理事会の構成と役割について 46

(例会日時順・プログラム)
7/ 3 年度のはじめに
7/10 ロ−タリ−の夢・みんなの夢  1
7/17 21世紀の先取り「人づくりを」  2
7/24 私のわるい耳のこと  2
余話 耳が悪いので得をした話(1)  3
    耳が悪いので得をした話(2)  3
7/25 若者の行動力に期待  4
余話 ディベ−ト:あなたは綾部に住みたいか  4
7/31 恐いから、判らないから、難しいから、面白い   5
8/ 7 会員増強月間にご協力ください     5
8/21 会員増強はクラブの未来づくり      6
余話 ロ−タリ−は地方都市交流の拠点  6
8/28 青少年交換学生:エゲメン君を歓迎して  7
9/ 4 若者は地方では主役          7
9/11 フェニックスに託されたロ−タリ−の夢  8
    綾部クラブの会員増強について      8
9/18 ホ−ム・ペ−ジで環境保全をアピ−ルしよう    9
9/25 国際化の理解から世界平和を    9
10/ 2 皆んなが米山功労者になろう 10
10/ 9 ロ−タリ−の夢・綾部の夢 11
10/18 綾部の観光振興を願って     12
10/23 財団奨学生:瀧花美輝さんのこと 13
10/30 交通事故の撲滅をはかろう 13
11/ 6 ホ−ムペ−ジのコストパフォ−マンス  14
11/13 社会人一年生:不二越の思い出(1) 15
   13 ロ−タリアンとして職業奉仕ができる 15
   13 綾部の良さを知ってもらう体験活動に期待 16
11/20 税の啓蒙週間にちなんで 17
余話 民主主義のル−ルを考える       17
11/27 社会人一年生:不二越の思い出(2) 18
12/ 4 綾部テニス協会の発足と四都市大会 18
12/11 知覧特攻隊記念館を見学して      19
12/18 我が家の家族スポ−ツは山とスキ− 20
12/25 私の読書事始め            20
1/ 8 もし都市の再開発が盛んになれば 21
1/21 生涯教育とボランチア活動 21
1/29 エゲメン君と東大寺大仏を参拝して 22
  29 アクト「ハ−ブを楽しむ」例会講評より 22
2/ 5 機械の自動化に取り組んで 22
2/12 私のコンピュ−タ事始め 23
余話 猿でも判るコンピュ−タ− 23
    水平器の精度について 24
    最近の職人さんの話 24
2/19 作業所に関わったいきさつ 25
2/26 大雪の夜のコンサ−ト 26
余話 空き缶の見る夢 26
3/13 ロ−タリアンの趣味 27
3/19 三度死にそうになったスキ−ツア 28
余話 私のスキ−・アラカルト 28
3/26 綾部に疎開したこと 29
3/28 甲子園めざして頑張って! 29
4/ 2 泣き虫のこと 30
  2 泣き虫余話(私の名前) 30
4/ 9 綾部駅の北口開発を考える 31
4/16 初めての登山は剣岳徹夜登山 31
余話 親不知登山考 32
    丹波の山登りの楽しみ 32
    合歓の花登山行 33
    冬瓜と白菜の野菜づくり 33
4/23 タンゴに魅せられて 34
提言 21世紀ロ−タリ−への提言      35
5/14 丹の国構想の夜明け 36
余話 市民憲章、青少年育成協議会の発足 36
5/21 越州村の変遷に富山の街づくりを思う 37
5/28 記事は四つのテストに照らして 38
余話 子供達と学び合い、育ち合おう 39
6/ 4 ワンダ−・フォ−ゲルの思い出 39
余話 私のキャンプ・アラカルト  40
    ポ−トランド国際大会の思い出 41
6/11 私の会長スピ−チ 41
6/18 地域に密着した奉仕活動を通じ人々に愛されるクラブ目指す! 42
  18 創立45周年記念式典 式 辞 43
  18 新世代グル−プ「NEXT」を結成! 43
  18 NEXTの今後の活躍に期待 44
6/25 一年間のご協力ありがとうございました 45
7/30 青春のさなかの貴重な体験を、これからの人生で活かして・・ 45

記録 理事会の構成と役割について 46

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はじめに:

 これは、1998−99年度の綾部ロ−タリ−クラブの会長を務めた1年間の記録である。
 毎週のクラブ例会の会長タイムでおこなった、会長スピ−チの記録である。平成不況下の非常に暗い世相の中にあったので、できるかぎり明るい、軽い話題を選んで話したものである。
 強調月間、ゲスト講師などの、例会の状況に合わせて、会長スピ−チを用意したが、始めの頃の準備にたいし、どんどん話題を追加をしていった。結局のところ使わずに余話として残ったものもある。
 話題の中には、自分史の部分も多い。耳の悪いこと、泣き虫だったことなど、プライベ−トなことの激白から、山、スキ−、キャンプ、テニスなどの個人的な趣味のことを、自分を裸にしてさらけ出したもので、大変恐縮している。
 クラブ創立45周年記念式典、ロ−タアクト・クラブ、NEXT、少年野球などで行った挨拶から、RI21世紀の夢委員会への提言、炉辺会合へのコメント、45周年記念誌、記念事業報告書の記載原稿なども収録してある。

 これは、1地方都市に存在するロ−タリ−・クラブの、ある1会長の1年間の思考の記録でもある。地方クラブにも、地方としての「町づくり」との繋がりや地域奉仕活動がある。日本で第1号の世界連邦平和都市宣言をした、綾部の夢である「平和と環境」の問題など、浅学の上になお地方の論理を、臆面もなく記録した部分もあり、大変恐縮している。
 巻末に記録として、クラブ定款・細則の作成に取り組み、学んだことを掲載した。会長とは、素晴らしい学習の機会を与えていただいたとの感謝があり、会長を終えて振り返ると、まだまだ未熟であったとの反省がある。ロ−タリ−の深さを、改めて認識したレポ−トである。
 例会の会長スピ−チは、下の縮小写真に示す、クラブ週報(会報)の表面右下の72字x31行=2232字(400字詰め原稿用紙で5.5枚)の定位置に掲載される。会長タイムは、これだけでは短いので、ゲスト出席者へのお礼のことばや、若干の諸事報告も行い、さらに付随する話題も話すことになる。この記録は、読みやすいように、それらの話題に付随した枝葉の部分も整理し、1つにまとめた。

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例会スピ−チ           98年7月3日
             役員就任挨拶1

年度のはじめに
 ロ−タリ−の1998−99年度が、本日の例会から始まります。一年間よろしくお願いいたします。はからずも一昨年、会長エレクトのご指名をいただいてから、梅原康会長、守谷佳樹幹事のもとで勉強させていただきました。
 前年度の理事役員の皆様は、IMのホスト、綾部ロ−タ−アクト・クラブ20周年などを担当され、本当にご苦労さまでした。
 この半年間にわたり、本年度の理事、役員とともに準備を進めてまいりましたので、45周年実行委員会の皆様とも協力して、頑張っていきたいと考えております。大変未熟者の会長ですが、何卒宜しくお願い申しあげます。
 3月に福井RC所属の宮崎茂和ガバナ−のご指導で、会長エレクト研修セミナ−があり、出席して参りました本年度のRI会長テ−マについて報告いたします。
 本年度のジェ−ムス・レイシ−RI会長テ−マは、「Follow Your Rotary Dream」(ロ−タリ−の夢を追い続けよう)です。
 このテ−マの前提は、限りない暗闇を背景に輝いている、青い宝石のような地球があり、その中に私達の地域社会、家々があり、毎日の生活をしているわけですが、この様な状態が、今後の子供達、孫達の時代には、どうなってしまうのだろうかということです。
 私達は今、思いやりの心をもって、その答えをロ−タリアンであればこそ、出さなければならない。
 このロ−タリ−の思いやりの心があるからこそ、私達は、ロ−タリアンとして大変誇りに思えるのです。 私達は、果敢に夢を見て、その夢を実現させるために、必要なことを果敢に実行して下さい。21世紀に向け、ロ−タリ−の創立100年に向け、私達もロ−タリ−の夢を追い続けようではありませんか。
 レイシ−RI会長の強調された事項を要約すると、次の通りです。
1.保健;栄養(飢餓)、幼児の保育、予防注射など2.教育;識字率の向上、職業訓練、子供の人格形成、  薬物乱用防止など
3.住宅施設;ホ−ムレス、ストリ−ト・チルドレン  など
4.安定した家庭;生活の安定、子供の虐待防止、子  供の就労、恵まれない家庭への援助など・・「地  域社会の関心事と子供達」に取り組むようにとの  ことです。
明日「社会を明るくする運動、綾部市民大会」が開催されますので参加ください。
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例会スピ−チ         98年7月10日
           役員就任挨拶2

ロ−タリ−の夢・みんなの夢
 先週に引き続き、本日も理事、役員の就任挨拶です。先週は、レイシ−会長のRI会長テ−マ「ロ−タリ−の夢を追い続けよう」について話しました。
 第2650地区の宮崎茂和ガバナ−は、地区の強調目標として「あなたのクラブに、地域社会にロ−タリ−の夢を!!」を出されています。それとともに開かれた地区運営をしたい、とのお言葉がありました。
 会長エレクト研修セミナ−の基調講演をされた、元RI理事の千宗室PGから、会長方針を出しましたかと手を挙げさせられましたこともあり、私の活動方針をクラブ協議会で、発表させていただきました。
 これは、宮崎ガバナ−から昨年末に、会長エレクト・アンケ−トとして、会長のクラブ運営の抱負について調査があり提出、ガバナ−から丁寧なメモ書きをいただき、返送されたものの要約にもなります。

1998-99 綾部ロ−タリ−・クラブ活動方針
「ロ−タリ−の夢・みんなの夢」
−みんな公平に活躍するクラブづくり−

1.みんなの力で「創立45周年」を成功させよう。  記念事業、記念誌発刊、創立記念例会
2.みんなの責任で「地球環境」を守ろう。
  環境保全委員会のスタ−ト
3.みんなの参加で「楽しいロ−タリ−」を創ろう。
  魅力ある例会
4.みんなの活動で「ロタリ−の奉仕」を実現しよう。  青少年交換留学生、ライラ、ロ−タ−・アクト、
  財団、米山、文化祭老人作品展・・・
5.みんなの工夫で「リストラ」を計ろう。
  心と体を使った、地味な奉仕活動
6.みんなの協力で「会員増強」を達成しよう。
  21世紀のロ−タリ−目指して人づくり

 明年の6月18日(金)が、当クラブの創立45周年になります。節目として、記念式典例会を開催し、記念事業と、35周年以来の10ケ年間の活動記録を整理、掲載した記念誌を発刊します。
 環境保全委員会が、3年委員会として本年からスタ−トします、活動への参加をお願いいたします。
 青少年交換留学生の受け入れについて、ホスト家族の方には、大変お世話になりますが、クラブの事業として、皆様のご協力をお願いいたします。
 ロ−タリ−の「人づくり」の取り組みについては、次週の例会でお話しします。
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例会スピ−チ         98年7月17日
           ゲスト:四方八洲男綾部市長
            「綾部市の現状と将来展望」

21世紀の先取り「人づくりを」
 本日は、四方八洲男綾部市長を、ゲストにお迎えしました。市長には、公務ご多用と云うか、激務を割いてお出でいただきましたことを、心より厚く感謝申し上げます。市長の「キラリと光る、ふるさと綾部をつくろう」と呼びかけられましたお言葉に、大いに共感を感じる次第です。
 この春の市長就任早々にも、当クラブで例会スピ−チを賜り、政治家としての頭脳に、市長(行政家)としての頭脳を重層中との、ご苦労をお聞きしましたが、開かれた市政づくり、行政にも経営者感覚を導入などなど、着々と、フレッシュな感覚で改革をおすすめのこと、素晴らしいことと存じます。
 先般、永井記念財団の講演会があり「マチづくりは人づくり」と題した、日本ふるさと塾主宰の荻原茂裕先生のお話を伺いました。さかさまに張った日本地図を指しながら、野沢温泉村の取組みで最も大切なこととして、子供達のことを話されましたが、ふるさとに誇りをもてる「マチづくり」とは「人づくり」であるという素晴らしいお話で、非常に感銘を受けました。
 先週の例会で、当クラブの活動方針に「ロ−タリ−の夢・みんなの夢」−みんな公平に活躍するクラブづくり−「21世紀のロ−タリ−目指して人づくり」をあげましたが、その説明をします。
 昨年度の当クラブの炉辺会合で「クラブの活性化について」の話し合いがあり、多くの貴重な意見をいただきました。その中に「クラブの運営が一般会員には分かり難い」との意見発表がありました。私も理事、役員、委員長が一部の会員に毎年集中し、その順送りで、ロ−タリ−の活動が行われているのでなく、みんなが公平に参加し、活躍できるクラブ、開かれたクラブ運営を目指したいと思います。
 「創立45周年」のある年度ですので、通常のクラブ活動については、本年から前倒しにして、21世紀の次なる活動のスタ−トをきる。まず「人づくり」です。職業人としては、皆様それぞれ一流の尊敬すべき能力者ばかりですが、比較的に新しい会員も多くおられ、昨年のIM実行委員会でも、素晴らしい人材を育てていただきました。それを更に進め、ロ−タリアンとしての「人づくり」を考えています。
 その手段としては次の3点です。1.新人の積極的な登用。2.ベテラン会員もさらなる活躍分野に挑戦。3.みんなの協力で会員増強。本年は新人の理事、役員が多いですが、勉強しながら一同、頑張ってやっていきますので、何卒よろしくお願いいたします。
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例会スピ−チ         98年7月24日
識字率向上月間    ゲスト:松本稔野家守神社宮司
           「お笑い漫談・よも山ばなし」

私のわるい耳のこと
 これから1年間、会員の皆様には、私の下手な話、聞きにくい話を辛抱して、おつきあいいただくことになり、本当に申し訳なく思います。
 小学生の頃、ヘレン・ケラ−という四重苦の少女の話を習いました。目、耳、鼻、口の人間のもつ五感覚の四つを先天的に生まれながら失い、見ることも、聞くことも、話すことも、できなかった少女の話です。指導されたサリバン先生の愛情により、流れる水に手を触れたときにはじめて、物の名前、生命が判ったという大変感動する話でした。
 皆様の感覚能力を100点としますと、私のそれは70点くらいと思います。小さい頃は虚弱児で、風邪から3才の頃に慢性中耳炎になり。大阪心斎橋近くの牟田耳鼻科医院に電車で通っていたことを覚えています。耳が聞こえないので、言葉の発育が遅れ、近くの言葉の教室に通い、サシスセスセソ、タチツテツテトと発音の練習をしていました。人に話しかけられると、「なに」と返事する癖が中学生まで続き、この言葉は、今は使われませんが、低脳児と見られていました。
腺病質(体格が貧弱でリンパ腺などの腫脹を起こしやすい小児の虚弱体質)と云いますか、目は結膜炎の連続で中学生の時にとうとう悪化し、神宮寺にあった日赤病院で病巣を焼いてもらいました。それで左眼の視力は0.5です。右眼は2.0なので物が二重に見え、本を読むときは左眼をつむり片目で読んでいます。テニスでは、左のボレ−を返すときにミスが多いです。 喉は慢性の扁桃腺の故か、高い声が出せません。耳が悪いので自分の声の音程がわからず、歌えないのは勿論のこと、人に葬式声とまで云われています。
 鼻は慢性の蓄膿炎で、20才の時手術を受けて、ましになりました。そんな訳で、ずっと種々のお医者様に通っていました。
病弱の私を父は気にかけてくれ、大阪から綾部への疎開と、戦後の食料のなかった飢えの時代でしたが、肝油、養命酒、まむしの黒焼きなどを飲まして体質改善に気を使ってくれました。私が今日元気でいるのも、家族の思いやりのおかげであると感謝をしています。 高校生の頃から元気になり、体も前列三人目だったのですが、大きくなることが出来ました。
 耳はかなり悪く、隣の演壇の講師様のお話が、ほとんどの場合聞こえません。会議中などにも失礼な場合が、多々ありますので、どうかお許しください。
 室木克則幹事には、私のこの悪い耳のことで、特別のバックアップをお願いし、無理を言っております。
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余話:
耳が悪いので得をした話(1)
 先の例会スピ−チで、私の耳の悪い話をしましたが、なぜ補聴器を使わないのかと、云われることがよくあります。実は私も補聴器をもっています。朝倉龍夫会員が、お使いのと同じ製品で、良い製品であることに、間違いはないと思います。
 何故思うなどと、持って回った言い方をするのかといいますと、実は雑音ばかりが大きくなり耳障りで、とても私には、使用に耐えられないということです。
 耳鼻科の先生に聴力テストをしていただくと、普通会話に使われる音域周波数で耳骨神経を伝わるのが、80デシベルで、私も平常に近いと云われていますが、慢性中耳炎で鼓膜が破れていますので、伝音系の方は40デシベル程度です。
 これが50デシベル以上でないと、必ず補聴器が必要だということです。ところが補聴器をつけると、会話が大きくなるはずのところを、雑音ばかりが大きくなります。紙をめくる音、字を書く音、テ−ブルを引っかく音、足音、体を動かす音。世の中にこんなに雑音があるとは全く知らないで、「雑音のない沈黙の世界」に私は住んでいました。それで雑音慣れしていず、雑音ばかりで神経が参ってしまう現象で、補聴器が役に立ちません。
 また会話も大きくなっているのでしょうが、雑音に負けてしまい、かえって話が聞こえません。補聴器を常時かけておき、雑音に慣れるのが本筋かとも思いますが、なかなか60年間の生活環境、雑音のない世界を捨てての実行に移せません。
 家でもテレビの音量そのままでは、全く聞こえませんので、音量を私が十分に聞こえるところまで上げますと、お父さん音をもう少し小さくして、うるさくてかなわないと必ず云われます。
 耳が聞こえないのでその分、私は音にたいし非常に敏感で神経質です。良く何処ででも眠られる偉大な人がおられますが、私には絶対真似の出来ないことです。 聞こえない分を、人の話を集中して聞きますので、学生時代は、先生の話をその場で記憶し、一定時間以内ですと、ノ−トする事が出来ました。講演会でテ−プ録音が失敗したので、要旨を書き出してくれと頼まれたこともあります。
 学生時代は、先生の話される授業を集中して聞くだけで覚えたもので、特に試験勉強をする必要がなく、テスト週間になると全く退屈でしかたなく、映画を見に行っていたことを覚えています。これは耳が悪いので、逆に得をしたという話です。
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余話:
耳が悪いので得をした話(2)
 今日も私の耳が悪いことの激白のつづきを話します。耳が悪いと云うことは、私は自分が聞く気になったものしか聞いていません。この例会の直前にもいろんな連絡を受けますが、よく生返事で受け答えをしていて、後から、言った、聞いたはずだと叱られ困っています。
 また周りの会話を皆様は、ある程度は聞いておられますが、私は全く聞いていません。私のことを云われても、あなたの事ですと云われない限り分かりません。また皆様の会話が聞こえていないので、急に私の意見を求められた時に、困ってしまいます。
 困るのは、皆様が一つの話題で盛り上がっているのに、突然別の話をして、割り込んでしまうことです。これが気になって仕方がありません。逆に話に入るタイミングが分からないので、ずっと言い出せずに、話すタイミングを待っていることが良くあります。
よくそんな状態で私が、いろんな会の役や会議の議長が努まるのかと不思議がられると思います。PTAの地区総会や同和研修会などで、物部、志賀郷、上林など市内各町区や夜久野、福知山、舞鶴までも出ていきましたが、一方的に話す時間が多くありました。
 会話も先ず相手の話したいことを考え、答えを用意してから進めました。また質問の要点が、予備知識から大体わかるので、その周辺の事を話すと回答になりました。それでもときには質問と違う話をしてしまい、横から小声で云われても分からず、メモを書いてもらっていました。
人間には誰でも身体的なハンディに対し、なにか役に立つ代償作用がある云われています。私の場合は、聞こえない分を集中して聞くので、よく記憶していると云うことです。体も弱かったので、体育、音楽など実技は全くの劣等生でしたが、ペ−パ−テストは良く、埋め合わせができていました。
 体育で柔道の型の問題が出たとします。送り足払い、内股など実技はだめでも、筆記試験では正解できます。音楽では、音符が書かれていて、そのメロディの欠けたところを埋めろとか、曲のイメ−ジを書け等の問題で、本当は音痴では答えられないはずと思いますが、正解するわけです。いつも実技は1で、理解度は5で、1と5の同居で、平均点は3になります。
 ここで誤解のないように云っておきますが、5があるよりは、1のないほうが重要で、幸せなことは云うまでもありません。
先般「障害児・者を考える、綾部市民の集い」があり、シングソング・ライタ−の小西達也氏の講演「ここに生きる・ここに咲く」がありました。
 障害者として、病理的ハンディ、物理的ハンディ、社会的ハンディに対し、心の中の壁を取り除いていくことの大切さを、訴えておられました。死を恐れず、自分の障害を、しっかりと知ることが、生きることの確認になる。命の大切さ。今日1日しっかり生きる。
 幸せの秤は、1人ずつ1人ずつ違う。不自由ですね、大変ですねと人に云われるが、不便だ!といいたい。自分の型、1人ずつの人間の生き方、型がある。自分の夢、ペ−ス、型に合わせ、少しずつ前進したい。と大変感銘の深い話を伺いました。
 負けたくないこと、昨日の自分。明日はもっとがんばりたい。人と比べ何が劣るか・・大切なものを見失う、世の中を見失う。自分の中にある可能性を見ること。違っているところを認め合おう。
 福祉:発想は地球規模で、行動は自分のまわりから、となりの仲良しの友達から思いやりを!
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祝 辞            98年7月25日
              RAC500回記念例会

若者の行動力に期待
 綾部ロ−タ−・アクトクラブが、このたび記念すべき500回記念例会を迎えられますことを、提唱クラブである綾部ロ−タリ−・クラブを代表いたしまして、心からお慶び申し上げます。
 ふるさと綾部を愛する青年男女が集まり、会員相互の理解、研修を深めあいながら、地域社会の発展を願い、さまざまな活動を実践されておられますことに、大きな社会的意義を感じるものであります。
 21世紀を目前にして今日、政治、経済、社会全般にわたり、まさに変革の時代を迎えております。いつの時代にも、若者が変革の原動力となって、行動を起こしてまいりました。
 また先般の京都環境会議(COP3)の決議にありますように、地球環境の保全が重要視され、地球的な規模でも、また地域ででも、具体的な実践活動が必要とされており、地球市民として、国際化時代にふさわしい人間性のかん養と、能力の育成が要請されております。
 当クラブは昨年、成人式といわれる創立20周年の節目を越え、地域社会から認知された組織となられました。さらに心の触れ合う豊かで住みよい町を創るため、若い諸君が親クラブであるロ−タリアンとも手を携えあって、地域のニ−ズに答え、実践活動の輪を広げられて行かれることが期待されております。
 若者の特権として、失敗を恐れず、試行錯誤の中に、自己修練を積まれるため、果敢に実践活動に挑戦されること、アクションを期待するものであります。
 結びに当たり、クラブの発展に尽くされました、歴代の会員諸兄や関係者各位の皆様方のご苦労に対しまして、深く敬意を表し、感謝を申し上げますとともに、今後ますますの、クラブのご発展と皆様方のご活躍を祈念申し上げまして祝辞といたします。
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余話:
ディベ−ト「あなたは綾部に住みたいか」
アクト週間を迎え、昨年の綾部ロ−タ−・アクト500回記念例会に行われた「ディベ−ト」について触れます。甲論乙駁といいますが、日本人は議論をすればすぐ感情的になり、意地や面子が入り、妥協がなくなりケンカになります。ディベ−トは議論をケンカに堕さないための、建設的な討論のゲ−ムです。欧米では一般的に行われていますが、日本人にはまだまだ馴染みがないようです。
 ディベ−トは単なる議論ではなく、日本人が苦手とする論理的思考と、論理を結びつける哲学が必要であり、相手を説得する上でディベ−トに優る武器はないと云われています。今や一方的に上から下へ意見を押しつける、スピ−チの時代でなく、水平に意見を交換する、ディベ−トの時代であり、建設的な意見を生み出し、発想の転換を促す効果が素晴らしく、実社会で如何に手強いビジネスの相手でも、納得させることができると云われる技術です。
 ディベ−トは、ル−ルによりおこなわれます。肯定側と否定側に分かれ、それぞれに立論陳述のあと、交互に相手の立論に対し、クレ−ムをつける反対尋問と、答弁を行い、最後に最終弁論を行うという手法です。
 ロ−タ−・アクトの例会では「あなたは綾部に住みたいか」のテ−マに、4人チ−ムで賛否両論が戦われ、聴衆全員が、評価項目表に従い採点しました。
 討論の内容は、肯定意見側の立論は、綾部のス−パ−の駐車場が空いているので便利などの2点でした。後の討論の中で、綾部の自然の豊かさや子供の教育環境の良さなどが、議論に上がりました。否定側は水道料の高さや、ファ−スト・フ−ドなどの家族で遊べる施設の少ないこと、子供の教育環境に競争という刺激の少ないことでした。教育の競争が、子供のために善いのかどうかの論争が、活発に行われました。
 私の講評は、出なかった論拠を評価するなという注意があるなかで、肯定側の最初の立論に、自然環境や教育問題の提示がなかったこと、さらに京都、福知山を意識した比較はされましたが、例えば綾部は日本列島の中心にあり、何処へ行くにも便利などの、より広域的な視点がなかったことを指摘しました。
 綾部を愛するロ−タ−・アクタ−として「綾部に住みたくない」との立場は不利で、参加者の評価は、断然肯定側に上がり、ジャンケンで否定側になったが、次回は肯定側に廻りたいというのが本音のようでした。
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例会スピ−チ         98年7月31日
親睦例会       村上佳寿子青少年交換留学生
            「トルコ出発あいさつ」

恐いから、判らないから、難しいから、面白い
 青少年交換留学生として、トルコのイスタンブ−ルにいかれます村上佳寿子さんを、本日の例会にお招きしています。いろいろ大変とは思いますが、素晴らしい体験をされる、またとない機会ですので、1年間しっかり頑張ってきてください。
 今日は「恐いから面白い、難しいから面白い」という話をします。私はC級スポ−ツ指導員(テニス)という、文部省と日本体育協会の資格を持っています。
 これは先般も80名の参加をいただいて、11日間の綾部テニス教室を開催しましたが、日体協からの助成金を受ける資格として必要なものです。資格更新には年に1日の研修会参加が、義務づけられています。
 少年スポ−ツの育成には、子供達の自主性を育てることが大切ですが、ともすれば大人の指導者が必要以上に世話を焼きすぎる、という事が多く見られます。
 キャンプで飯盒炊飯をしているのに、何もかも大人がやってしまう、子供は見ているだけ。なにか子供にできる役割を考えて、子供に行動させることです。
 対校試合に引率する先生が、京都の地下鉄を降りてから会場まで、子供達に自分達で考えながら先導させる話をされました。普段は先生が先導するので、子供達は先生が知らないので、びっくりした様子でしたが、「分からないから面白い」ということの学習になりました。
 よく整備されたゲレンデで、スキ−をするのは普通の楽しみですが、ハチ北や神鍋スキ−場に「北の壁」というコブコブの急斜面があり、そこを滑るのが楽しみです。私の技術では途中で止まらず、一度も倒れずにすべることが難しいコ−スで、雪の少ないシ−ズンには、途中で岩や土が出ている恐い難斜面です。
 上に立つと恐さで身が竦みますが、滑り始めると「恐いから面白い」そのものです。怪我をして、人に迷惑をかけることなら勿論やりませんが、山登りにしても十分準備してから行きますので、自分なりの分からない未知への挑戦という、一寸した冒険気分「分からないから面白い」が味わえます。
 昔、巨人・大鵬・卵焼きという安心のメニュ−がありましたが、難しい問題を解くとか、何か事業活動を始めるなどの場合、できてからの満足でなく、やっている最中に「苦しいけれど、難しいけれど、判らないけれど、苦しいから、難しいから、判らないから、面白い」という心境があります。佳寿子さんもいろいろと分からない、辛いこともあると思いますが、青春の最中の素晴らしい経験を大いに楽しんできてください。
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例会スピ−チ         98年8月7日
会員増強/拡大月間      卓話:大槻誠太郎会員
               「幽霊は実在する」

会員増強月間にご協力ください
 8月は会員増強月間です。ロ−タリ−にとって会員増強は、例年の課題ですが、近年は世界同時不況などの影響からか、RI、地区ともに伸び悩みの傾向があるようで、本年もRI会長の特別褒賞が、増強部門に設けられています。
 3月の会長エレクト研修会で10名の会長討論会のグル−プ・リ−ダ−を努めました。テ−マは、研修リ−ダ−の坂部慶夫PGより提案された「魅力ある例会、退会防止、会員増強」の三点セットをとりあげました。
 1月のレイシ−会長エレクトの歓迎IMで、大津唐橋RCの小野亮会長と、ご一緒させていただきましたので、先ずお話を伺いました。創立4年目という事で、30名で発足したけれど、現在25名。ただ羨ましいことに女性会員が、おられると云うことでした。他のクラブは女性会員がなく、いいなという感じがしたわけです。
 会員増強について、他のクラブからの発言にもありましたが、新しいメンバ−が、新しい人を引っ張ってくることを、期待しているとのことでした。
また各クラブとも、ある程度小さなグル−プ単位で、会員増強を図っていくと云うような工夫をされていました。あるいは既に退会されてしまった方を再度引っ張って、再入会をお願いしているという形で、増強に成功されているクラブもあります。また退会届は出ているのだけれども、慰留中であるという会長様もありました。
 それからさらに、出席を厳しく云ったら、辞められてしまったと云うような声もありました。ただある程度は出席を高めていくことが、ロ−タリ−会員のやる気を高めるためには、大切だというお話が、たくさん出ておりました。
 例会を30分間のゲスト・タイムだけで終わるのではなく、メンバ−同士が自由に話し合えるような時間が大切だという、楽しい例会の持ち方。セルフ・サ−ビスでバイキング方式の食事にして、会話の時間を作る。あるいは、月末例会を毎月夜間例会にして、会員の親睦を図り、非常に喜ばれているという、お話も出ておりました。
 いずれにしても退会者をいかに減らすか、減り気味の会員数を現状維持と云うところが精一杯で、ロ−タリ−・ドリ−ムに向かっての話は、ほんの少しでした。
 それでも皆様、一生懸命頑に張るということで、色々な楽しい例会を工夫して作り、やっていきたいというお話でした。
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例会スピ−チ 98年8月21日
            会員増強グル−プセッション
              会員増強委員会

会員増強はクラブの未来づくり
 本日は、宮本太資会員増強委員長の発案で、皆様に会員増強の円卓会議をお願いいたしております。
 先般地区の会員増強セミナ−に、朝倉龍夫副委員長、室木克則幹事と参加してまいりました。
 2650地区の昨年度の会員増強実績は惨憺たるものでした。地区の当初会員数6,602名、クラブ会長からの会員増強目標総数508名に対し、京都モ−ニング・クラブ52名の発足を含めて、101名の減少に終わりました。91クラブありますので、クラブ平均1.7名の減少です。今年度の当初会員数は6,501名で各クラブの増強目標総数は491名です。
 水原醇地区会員増強委員長以下、留任ということで、大変な危機感で、会員増強に協力を要請されておりました。各クラブに、少なくとも2名の純増をお願いするとのことです。諮問委員の坂部慶夫PGのお話を基に、本日のスピ−チをします。
 自分にとって、ロ−タリ−・クラブとはなにか。人に勧められて、ただなんとなく入ったという、主体性のない人も多いと思います。自分は、ロ−タリ−に何をすることが出来るか。・・この言葉を聞きながら、ケネデイの言葉「与えられるのではなく、何を与えることができるか」をJC入会の時、故塩見清樹理事長に云われたのを思い出しました。・・あるいは、エリ−ト意識をもてるからか。
 ここで大切なことは「本物は、易しいときも、難しいときも、本物である」ということです。困難の中から歩みが始まっています。ロ−タリ−の中に価値観をしっかり持って欲しい。仕事への生き甲斐からでも、入会動機からでも、ロ−タリ−の中に、自己の価値観をしっかりもつことです。自己に自主性がなければ本物ではありません。
 次に大切なことは、「量は質を落とす」という固定観念をすっぱり捨てることです。どんな会員も会員教育で素晴らしいロ−タリアンに育てることができます。
「鉄は熱い内に打て」が肝要です。さらに退会防止は、消極的な会員増強です。
 具体的な方法として、10名でシェイク・ハンド・ナイトを開く。会員増強の話をして、1〜2名の新会員を推薦してもらう。・・・「困難とは、失敗を意味するのでなく、困難こそ、創造の力が問われるときである」・・・という坂部慶夫PGのお話でした。
 最後に「会員増強は、ロ−タリ−・クラブのエネルギ−である」と言われた、宮崎茂和ガバナ−の言葉をおくります。
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余話:
ロ−タリ−は地方都市ふれあいの拠点
 ロ−タリ−の綱領の第一「奉仕の機会として知り合いを広めること;」が会員増強の主眼です。地方においてロ−タリ−・クラブは、経済人の知り合いを広める交流の拠点であり、情報収集と人間関係の機会を得る最高の場です。
 以下は、宮崎茂和ガバナ−の公式訪問で、クラブの会員増強についてお尋ねがあり、私が提出したレポ−トの一部です。
 企業メセナ、フィランソロピ−(企業の社会貢献)という言葉があります。また企業市民(コ−ポレ−ト・シチズンシップ)という言葉もあります。経団連やJCが様々な委員会や基金を設置して、企業の社会参加をアピ−ルしようとしています。進出企業の幹部(支社長、支店長、工場長・・)の方々の、地域社会との交流活動を表現する適当な言葉はないでしょうか。地元を故郷とする企業人は、もとよりのことですが、進出企業の企業人も積極的に交流し、職業奉仕をするという、「企業人の地域交流・貢献」の概念を定義化し、ロ−タリ−として、アピ−ルしていただきたいと考えます。
 地方の町づくり、地域活性化についての地元の勝手な論理からですが、地方都市では、市内諸団体の構成要員は限定されて、どんな会合に出席しても同じ様な顔ぶれです。進出された企業人の参加、新しい視点からの意見が、大いに期待されるのですが、それがあまり望めません。
 地方での人的交流の場・拠点としてのロ−タリ−に是非参加していただくような啓発活動が、まずロ−タリアン自身に、さらに本社企業のトップの方々に対して、できないものかと考える次第です。
 先般も当市の有力な企業へ会員増強に行ったのですが、万一、クレ−ムを起こしたとき、社長がロ−タリ−で出ていたのでは、親企業から何を云われるか心配との口実がありました。仕事に熱心な方ほど、ロ−タリ−は大変という思いが強いようです。社長職の現業では余程の名士でなければまだ若い、会長職になれば入会するの意向です。
 これも親企業の本社トップの方々の、ロ−タリ−が果たしている地域の交流活動への理解がもっと深かったなら、逆に親企業から地域の職業奉仕活動をやっていますかと、お薦めになると思う次第です。地方のクラブの力だけでは、この様な企業本社の方々にまで、「ロ−タリ−は地域交流活動の拠点」というような理解を求める活動ができません。
 今般、地区会員増強委員会からもアンケ−ト調査があり、地区で研究して欲しい要望事項として、このことを提言しました。
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例会スピ−チ         98年8月28日
親睦例会     青少年交換留学生:
         エゲメン・ド−ガン君/ホスト夫人
              卓話:櫻田拓也会員
              「嫌いになった八月」

青少年交換学生:エゲメン君を歓迎して
 トルコのイスタンブ−ルより先週の21日に来日されました、青少年交換学生のド−ガン.エゲメン君をお迎えしています。また22日には村上佳寿子さんが、元気に関西空港よりトルコに向け出発され、見送りをさせていただきました。
 本日の例会に、ホ−ムステイをお願いする、ホスト家族の方々をお招きしましたところ、ご多用にも関わりませず皆様が、ご出席いただき有り難うございました。心より歓迎の意を申し上げます。
 留学を受け入れていただく綾部高校、親身にお世話をいただきます、ホスト家族の方々、カウンセラ−の森永功先生、国際交流委員会をはじめ、クラブあげてのご協力をいただき、この事業の所期の目的が、達成されますことを願っています。
 エゲメン君には、早く日本語を覚え、日本の風習になじんでいただき、良い思い出をもって帰っていただく、国際親善の成果を期待しています。
 私事になりますが、このお盆に富山に行って来ました。例年ですと登山をするのですが、大雨で山が荒れているのと、なお大雨の警戒が必要とのことで断念し、礪波市にあるチュ−リップ公園に行きました。チュ−リップ四季彩館という展示館があり、入り口のメイン・モチ−フとして、金属製の先の尖った独特の花の形をした「アクミナ−タ」という「イスタンブ−ル・チュ−リップ」が飾られていました。砺波市は、イスタンブ−ル市とチュ−リップの縁で姉妹提携都市となり、イスタンブ−ル大学教授の書かれたイスタンブ−ル・チュ−リップ図鑑を日本語訳で復活出版するなど交流が盛んです。日英版の本をエゲメン君にさしあげます。
 チュ−リップは、トルコなど中近東一帯が原種の生育地ですが、17世紀オランダで原種の交配から作出されたものを、更に品種改良を重ねて、現在の華麗な品種が造られたと云われています。17〜18世紀の欧州では、珍奇な新品種に万金を投ずる「チュ−リップ狂時代」が出現しましたが、実はビ−ルスに犯された病気の花に興じていたということです。
 トルコでも、1718〜30年にオスマン帝国第23代スルタ−ン、アフメット3世の官邸を中心にフランス趣味が流行し、ベルサイユ風の庭園にチュ−リップをオランダから輸入、珍重され、スルタ−ン保護の下に各分野の学問、文芸が栄えたという「チュ−リップ時代」があったということです。
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例会スピ−チ         98年9月4日
新世代のための月間  RYLA「若者の集い」参加者
             卓話:梅垣良佐久会員
               「海外アラカルト」

若者は地方では主役
9月は、新世代のための月間です。本日は峰山ロ−タリ−・クラブの主管のもと、久美浜の小天橋周辺で行われる、第30回RYLAの出席者10名の青年男女諸君をお迎えしています。他の地域や職場の青年が交流を深め、啓発しあう良い機会であり、楽しい経験をしてきていただきますよう願っています。
 先般の綾部ロ−タ・アクト500回記念例会に「ディベ−ト」という企画があり、「あなたは綾部に住みたいか」のテ−マに対し、肯定側と否定側に分かれ、それぞれの立論陳述のあと、交互に相手の立論に対し反対尋問と答弁を行い、最後に最終弁論を行うという手法で討論が行われました。
 その内容やディベ−トの事については、また次回にお話ししますが、アクト・クラブの次の例会で、こんな事を当日の講評の続きとしてお話ししました。
 2年前に綾部で「ふるさと振興セミナ−」が行われました。行政の地域指定事業の一環でもあり、綾部市の諮問委員をされている、福原教室の京都産業大学の学生さんが多数、綾部に泊まり込み、視察や討論会に参加される内容でした。
 私は企業紹介で自社の紹介をしましたが、さらにスポ−ツ・レクレ−ション部会に出席し、この大学生たちの綾部に対する意見感想を聞きました。綾部には、若者が遊べる場所、ファ−スト・フ−ドのチェ−ン店などが少ないなど、ロ−タ−・アクタ−が出されたのと同じ様な論拠が出されていました。
 その時私は「都会では若者が、孤独や大衆のなかに埋没してしまっている暮らしに対し、地方都市にいると若者は、容易に主役として活躍する場が与えられ期待される。スポ−ツや、祭りや、消防や企業でも地域社会とつながり、注目される活躍の場がある。やる気のある青年には、その事に生き甲斐がある、やる気のある若者は是非綾部に住んでください」と話しました。
 あとで人に話すと「今の若者は、それが、かなんのや!」との声がありました。それでこの両論でアクトの論争を聞きたいし、またロ−タ−・アクトの活動の本質は、これでないのかと話しました。
 地域社会の方でも以前に比べると、地域行事の参加役割などについて、何か若者に遠慮している様子が伺えます。昔は地域あげての行事も盛んで、若者の活躍の場ももっと多かったと思いますが如何でしょうか。
 以上の話ですが、RYLA参加者のグル−プ討議の参考になればと思います。
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例会スピ−チ         98年9月11日
公式訪問   ゲスト:宮崎茂和ガバナ−
               ガバナ−・アドレス
 「ロ−タリ−の夢を」

フェニックスに託されたロ−タリ−の夢
 この春に宮崎 茂和ガバナ−より絵はがきをいただきました。
「RI会長テ− マが発表されま した。目標に向 かって一緒に頑張りましょう」
のメッセ−ジを 入れていただき 、RI会長テ−マ「ロ−タリ−の夢を追い続けよう」のシ−ルが貼られています。
絵はがきは、アナハイムの、RI本部ビルを INTERNATIONAL ASSEMBLY・ANAHEIM
フェニックス樹」をバックに撮影されたものです。
 私事になりますが、この絵はがきをいただいた直後に会社の慰安旅行で宮崎、鹿児島に行きました。堀越峠のトンネルを抜けて、太平洋の波が打ち寄せ、ホエ−ル・ウオッチングができる日向灘の眺望の素晴らしい宮崎海岸のフェニックス樹に囲まれた、フェニックスというドライブインで昼食をとりました。ビルの大きさは全く違いますが、絵はがきのイメ−ジと一致しました。「フェニックス」は宮崎県の県木です。
 会長エレクト研修会と地区協議会が、福井市の国際交流会館とフェニックス・ブラザでありました。「フェニックス=不死鳥」は福井県の県鳥です。フェニックス・ブラザは、福井大震災の犠牲をメモリアルして、建設されたと、会場の福井ロ−タリアンより、インフォ−メイションをいただきました。
 私が福井大学に入学したころは、駅前のダルマヤ百貨店の入り口フロア−に地震の亀裂が走っていました。福井県庁のある福井城を囲む堀の、地震で崩れた石垣のそばの民家の、ベニア板張りの部屋に下宿しましたが、そこの高校生の娘さんの襟元にケロイドがありました。お風呂屋さんに行くと、ずいぶん多くの人にケロイドが見られ、水に入って難を逃れた話の現実を知らされました。
 宮崎ガバナ−が「フェニックス」に託された、「ロ−タリ−の夢」が私にはよくわかります。福井は戦災と震災を超えて、立派に荒廃から復興しましたが、世界には多くの飢餓貧困、戦争や病気、家のない人、文字の読めない人、不幸な子供達がいます。今日は、宮崎ガバナ−よりガバナ−・アドレス「ロ−タリ−の夢」をじっくり話していただきます。ご静聴ください。
 綾部には、世界連邦平和都市建設という市民の夢があります。世界連邦平和都市宣言50周年をひかえて、世界から宗教戦争をなくそうという世界宗教者会議の話題があります。国家(政府)とNGO(市民)組織が連携、補完しあって平和を築く道程が始まろうとしています。
 この綾部の夢を宮崎ガバナ−には、レポ−トでお渡ししました。会員の皆様には10月の「環境と平和の日」の例会で、お話しする予定です。
宮崎ガバナ−からいただいた絵ハガキ
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記録:
綾部クラブの会員増強について
 以下は、宮崎茂和ガバナ−の公式訪問の時に、会長・幹事懇談会でさしあげました資料です。
 昨年度の山田三郎ガバナ−の公式訪問で、会長エレクトの私に会員増強・拡大について質問があり、次のようにお答えしました。当市の人口は、なお低迷を続け、4万人を大きく割り込んでいる、減少の傾向に歯止めをするべく、近年の工業団地造成や商業再開発の効果に期待中の状況です。これらの効果が出てきて、@市人口の増加があり、A進出企業からのメンバ−獲得、女性会員の入会など、B会員数が80名を超えた段階でなら拡大を考えうる。
 舞鶴市が、東西で各4万人をベ−スに各1クラブです。福知山市は7万人で2クラブあり、ライオンズも2クラブの計4クラブを考えると、綾部も先に拡大した方が有利というメンバ−もいます。現在は時期早々ですが、僅かながらの拡大の要素はあると思われます。 ただ、福知山市は、卸商業が多く進出され、出先機関も多くあり、ロ−タリ−などの人的交流が仕事に役立つ一面が、利しているとの分析が出来ます。
 私はテニス(テニス協会会長)をしていますが、進出企業の幹部社員方もテニス協会の理事や市体育協会の理事に出向していただくなどの協力をいただいております。しかし工場長様方は仕事熱心な故か、あまり人的な交流の場にお見えにならず、以前は当クラブの熱心な会員もありましたが、定年退職で退会後は、後継の方のロ−タリ入会をいただけない状態です。
 進出企業では、交流ブラザという協同組合を結成され、私達の綾部鉄工協同組合と交流しようとの活動もあります。先年には、ライオンズ、JCの会長もこの鉄工組合の理事メンバ−であり、組合の理事長以下多数が、ロ−タリ−の副会長などでしたので、これらの方々に是非入会して交流をと呼びかけましたが、企業人としての参加は難しそうです。また進出企業には、企業の地域交流として、工場のある住民の参加を呼びかけて、納涼大会をされるなどの活動をされています。
 地区の調査網でロ−タリアンのネットを作られ、もしもこれらの企業の紹介状をいただけるとなれば、それを前提にもっと有効な増強活動を進められるのでは考える次第です。勿論、大阪本社の企業などもあり、近畿地区、日本、RIのNET活動がなければ用をなしませんが、工業団地に一つの窓口が開ければ、次々の結果も期待されると思います。
 地区への要望事項として;「企業人として、地域での交流活動をしましょう」という「社会全般に向けた啓蒙活動」についての研究をお願いします。
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例会スピ−チ         98年9月18日
           ゲスト:若山行正京都研究所長
              「環境問題について」

ホ−ム・ペ−ジで環境保全をアピ−ルしよう
国際ロ−タリ−の広報メディアの一つにインタ−ネットのホ−ム・ペ−ジがあります。ロ−タリ−財団の諸活動、ポリオ・プラスの取り組みなどをはじめ、図表や写真も豊富に各分野にわたり、数百ペ−ジもあります。ただ飢餓貧困などのペ−ジは豊富ですが、環境保全のペ−ジはほとんどないようです。昨年のインディアナポリスでの国際大会のエントリ−記事も充実していて、メンバ−が直接インタ−ネット・メイルを用い、参加申し込みができるようになっていました。
 アメリカの会員が殆どですが、AOL(アメリカ・オン・ライン)を利用したロ−タリ−会員のNETもあります。また2650地区内の数クラブが、RIのホ−ム・ペ−ジにリンクを貼られています。世界の各地区ロ−タリ−をリンクしたペ−ジもあります。ゾ−ン合体区は1ペ−ジのリンクです。
 私達の2650地区はまだなので、宮崎ガバナ−に地区の事業で開設されるよう進言しています。本年リハ−サル大会をする国際大会の開催に併せ、近畿四地区合同のペ−ジをRIに登録すると大きなスペ−スを利用でき効果的です。イメ−ジ・マップといって、2650地区の地図にリンクを貼り、綾部をクリックすると綾部RCのホ−ム・ペ−ジが見れると言うことです。勿論、府県別クラブ名の読み順リストや環境問題など、ジャンル別のリストからのリンクも併設します。
 2650地区内の各クラブが取り組んでいる、環境保全の活動の総量は、なかなかのものです。三国の油回収、琵琶湖周辺クラブの環境保全、京都近郊の自然景観保全、天の橋立の砂浜清掃、伊佐津川の生態観測・・を各クラブがホ−ム・ペ−ジで紹介すれば、RIをはじめ世界に大きなインパクトを与えることと思います。RIの公用語に日本語はありませんが、写真に英文のコメントの併記で充分です。
 京都府にOWN(老いも若きもNET)という生涯教育のNETがあります。各市町村の末端タ−ミナルが記載されている中で、綾部市だけがありませんでした。中丹文化会館がありますが府の施設です。
 以前朝日新聞に近畿四府県の各市町村の紹介特集がありました。山崎町など記載の中で、綾部市だけがありませんでした。今はこの様な一律の特集では、一々記者が出かけて取材する時代でなく、ホ−ム・ペ−ジで基本デ−タを集め、編集する時代になっています。
 市に云うと、職員の多数がインタ−ネットをしていますと云っていましたが・・・。宮崎ガバナ−に地区の広報プロジェクトにされないと駄目ですよと提言しました。
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例会スピ−チ    98年9月25日
親睦例会            卓話:伴仲博司会員
                「本音と立て前」

国際化の理解から地球平和を
 彼岸が過ぎ、秋たけなわになってまいりました。今年は、お盆例会が休会になりましたので、話しそびれたスピ−チをさせていただきます。
 昨年、私の中学時代担任の木下禮次先生から呼び出され、綾部史談会の権威ある例会に行ってまいりました。昨年当クラブの例会でゲストにお迎えし、卓話をされた同じく中学恩師の渡邊忠夫先生の書かれた「カロ−の桜」の主人公の故山崎少尉が、史談会同人の山崎巌先生の兄にあたることを行ってから知りました。
 呼び出された用件は、市民新聞などに「カロ−の桜」が紹介されたこともあり、戦後50年の今、綾部史談会でも太平洋戦争についての評価を、市民から問われることもある。ついては戦後派の見る、太平洋戦争観を聞かせて欲しいとのことでした。
 悲惨なインパ−ル戦記でもある「カロ−の桜」を読んで、極限の状態にありながら、故山崎少尉の優しい心遣いに感銘し、今日の日本の平和は、この人達の尊い犠牲の上でもたらされていることを感じました。
 ただ戦った英国軍は本国兵との戦いでなく、地元のグルカ傭兵であり、ジャングルの中の遭遇戦であり、相手には急降下爆撃機も戦車もあり、日本軍は旧式の三八銃での戦いであり、長い補給線(兵站)を余儀なくされ、何よりも日本は、生産人口を失っていく、悲惨な消耗戦の現実を知らされて愕然としました。
 勇猛果敢な精神主義だけでは勝てない戦争を、何故続けたか。国際感覚を身につけた、時の先覚者達は何をしていたのか。そんな疑問をもちました。
 今日の平成維新といわれる国際的な経済戦争の状態もあります。「日本人の内なる国際化」の問題は、大化の改新以来、日本の歴史に繰り返し登場し、その都度大きな犠牲をはらって、消化してきたと思います。「太平洋戦争」もそう言う意味では、一つの大事件であったのではないのか。
 繰り返し問われる「日本人の内なる国際化」の問題を歴史的に問題提起することで、常に「まずい対応」を繰り返す現状にたいして、効果のある視点が得られるのではないかと思います。
 綾部の「世界連邦平和都市」の実現への取り組みについて、民族、宗教、政治、経済、文化などの相違を超えた「地球市民」としての国際化への理解が、世界平和への道筋であると思います。そのような意見を具申して、活発な討論を聞かしていただきました。
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例会スピ−チ 98年10月2日
米山奨学月間      ゲスト:張文青米山奨学生
               田辺廣躬地区委員
           「米山奨学生として学んだこと」

皆んなが米山功労者になろう
 本日は会長タイムが少し長くなりますので、ゆっくりお食事をしながら、お聞きください。
先週の福知山のIM(インタ−シティ・ミ−ティング)には、多くの会員のご参加をいただき、有り難うございました。また、パネリストで頑張っていただきました由良大司会員、フロア発言の田所卓会員ご苦労様でした。
 その折の懇親会で、米山奨学諮問委員の増田房二PGとお話しましたが、本日お見えの張文青さんは大変お美しい方と伺い大槻米山委員長にも伝え、お出でをお待ちいたしておりました。心より歓迎申し上げます。
 エスコ−ト役で同行いただきました、田辺広躬地域委員には、綾部青年会議所の大変な難儀を助けていただいた事があります。オイル・ショックの時に私が理事長をしていましたが、丁度今頃の季節、小西屋に京都の山本力也ブロック長、福知山のイサオの林田紘理事長など京都7JCの理事長が集まり、ブロックを引き受けてくれの膝詰め談判を受けました。
 当時は、多くの有力メンバ−が卒業された交代期で、さらにオイル・ショック不況で事業に失敗するなどで総務委員長、事務局長、国際交流委員長など6名が退会されるという、ベテラン経験者の短境期でした。私は何とかやれても、総務委員長以下、ブロックの事務局運営を引き受ける、ブロック経験者が皆無ということと、また綾部JCは、認証15年・創立20周年の節目と重なり、その実行委員長を引き受けていると云う理由で、何とか、お断りできました。
 それではということで、一同福知山に走り、田辺さんの自宅に押し掛けたのは、もう零時を回っていたと思います。起きてこられた田辺さんに家に入れていただき、ブロック長を引き受けていただき、ほっとしました。
 ロ−タリ−は定年制がありませんが、その年度をベテラン会員さんに、役を引き受けていただくのは、大変運営が楽ですのでそうなりがちです。私は経験者の人材は常に厚くと、この時に感じましたので、今年は新人を多く登用させていただいて、21世紀のロ−タリ−の人づくりを、活動方針にとりあげさせていただいた次第です。前置きが長くなってしまいました。

 私が米山財団奨学生の存在を知り、お話を初めてお聞きしましたのは、私がロ−タリ−に入会した年度に、青少年活動委員会に入れていただき、藤本繁委員長とともに福知山の北稜コミュニティ・センタ−で行われた、両丹7クラブのRYLA「若人の集い」に参加させていただいた時です。
 中国、韓国、マレイシァなどからと記憶していますが、6名ほどの米山奨学生がおられ、大変わかりやすい日本語で、日本での体験談や自国との風習の違い、自分の学習の抱負などを話され、私も大変感銘を受けましたので、丹念にメモを取ったことを覚えています。そのメモを探したのですが、もう10年以上の年月が経ち、どこかに紛れ込んでしまったようです。
次は私が米山委員長をした時の思い出ですが、両丹7クラブの委員長会議が、舞鶴のグランドホテルでありました。私は車で行き、余裕を持って定刻前に席に着いたのですが、すでにほぼ全員が出席され、雑談中のようでした。するといきなり綾部さんと、諮問委員の増田房二PGに呼ばれました。昨年度の綾部の成績が非常に悪いということです。事実、第2650地区でワ−スト4位で金額が24万円位であったと思います。このワ−スト4位の金額は、ずば抜けて悪く、ワ−スト5位は、50万円以上でした。それで綾部より悪いクラブの名前を全部覚えたものです。
 これは大変だと思い、「皆んなが米山功労者になろう」と、まず3万円の準米山功労者の積み立てを呼びかけました。当時は入会者の準米山の制度も、綾部クラブにありませんでした。それで篤志のある方、余裕のある方などだけが、「ロ−タリアンの幸せ・華」であるといわれる、米山功労者になられるのではなく、ロ−タリ−の会員全てが、毎年3万円の米山の奉仕をして、10年で米山功労者に、全員がなろうという活動をしました。
 納税申告を自分でされている方は、ご存じだと思いますが、寄付行為としてこの3万円は寄付控除の対象となります。米山奨学財団からきちんと毎年、控除証明書が送られてきますので、申告書に添付すれば終りです。税率10%の方なら、2万7千円返る計算で、した方が得の好例です。
そのような米山財団の委員会活動でしたが、その年は皆様のご協力を戴きまして一挙に躍進し、地区からも認めていただきました。
ここまでが会長スピ−チですが、お許しをいただいて少し蛇足を申し上げます。実はこの時、当クラブの長老であった梅原昇大先輩から叱られたことがあります。皆様は米山寄付は、功労者が30万円、ファンズ・フェロ−が15万円なので、3万円の積み立てでは、おぼつかない、米山寄付の足を引っ張ることになるのではとお考えだと思います。しかし3万円を70名が出せば、210万円で、クラブ予算である100万円の2倍以上になります。米山委員会は、毎年大変な苦労をされて寄付集めをされていますが、大変楽になり、クラブの成績も安定します。
 ここからが叱られた話の要点です。地区の委員長会議で他のクラブから教わったのですが、クラブに米山財団幹事とか会計をおかれて、このお金を積み立ての多い方から優先して補助し、米山功労者を作っている。 当クラブだと、これだけでも、単純計算で毎年7名が順番に米山功労者になれます。しかも補助された会員はいわば借金するのだから、早めに残額を払われる。一度に30万、15万必要でなく、これは3回分の9万円程度を残している人が目標であるとのことでした。
 皆様が平素されている、積み立て定期や、50万円ほどの障害保険積み立ての満期継続と同じ感じで、早い目に返された分は、2た廻り目の前倒しの積み立てになるわけです。それで、全体で運用できる金額はさらに増えて、数十名の功労者が毎年苦労なくつくれる。そうなれば、ロ−タリ−財団寄付と折半しての運用もできる・・と良いことずくめの話でした。
 クラブの成績は一般寄付と篤志寄付の合計です。いわば個人の業績が、クラブ全体の利益になります。金額も集まり、功労者も確保できると言うわけです。
 毎年3万円の積み立ては、義務づけでなく、理解協力いただける方から始めますので、当クラブでもやれませんかと、梅原昇大先輩にお伺いしたのですが、それは綾部クラブのやり方ではない、と諭されました次第です。もしこのシステムが、やれていたとしたら、勇み足になっていたでしょうか。先年のRIの財団寄付、クレジットの方法を見ると地区でも、この方法を考慮されているような感じがしました。
 この全体で運用することは、問題外であるとしても、毎年3万円の積み立ては、大変だとは思いますが、旅行積み立てと同じ感覚で、みんなが気楽に米山功労者のゴ−ルにたどり着ける方法ですので、是非お薦めする次第です。しかも積み立てる人が大勢になれば、クラブの業績も安定する一石二鳥の効果があります。
 米山月間に当たり、米山奨学寄付へのご協力を宜しくお願い申しあげます。
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例会スピ−チ        98年10月9日
職業奉仕月間   ゲスト:若山行正京都研究所長
              「環境保全への取組み」

ロ−タリ−の夢・綾部の夢
 綾部には、世界連邦平和都市建設という夢があります。昭和25年10月14日に、市制施行の市議会において、日本で初めての世界連邦平和都市宣言が採択されました。また当時の長岡誠市長が、世界連邦自治体連合会の会長になりました。以来当市では連綿として、市民と行政を巻き込んだ、世界連邦推進活動が展開されております。
 今日では、10月14日を「平和と環境の日」と市条例で定め、その日を中心に、小・中学生の平和・環境をテ−マにした作文、ポスタ−・コンク−ル、小学生の環境壁新聞、平和講演会、地球市民の集い演奏会などの多彩な行事が、展開されています。
 この活動の主催団体は、綾部市、綾部市議会、世界連邦建設同盟綾部支部、綾部市民憲章推進協議会、JCの五者ですが、世界連邦と市民憲章の両会長がいずれも当クラブのロ−タリアンであり、両組織共にロ−タリアンの会員が多くおられ、「平和と環境」は当クラブの得意な分野であるといえます。
 神奈川県の長洲知事の会長退任後、再び谷口昭二綾部市長が世界連邦自治体連合会の会長になり、現在は四方八洲男新市長が、会長代行を努めています。先般のインドとパキスタンの核実験には、いち早く抗議の表意を送りました。
 当市は、市制施行50周年を西暦2千年に迎えますが、これはまた日本の世界連邦運動史50周年です。この時に当たり、先の40周年にも綾部市で開催されました「世界宗教者平和会議」を再び綾部で開催し、万教同根の信念の基、世界中の宗教者のトップの方々が集まり、「ノ−モア宗教戦争=宗教戦争禁止」の決議をしようと企画されております。
 日本には信教の自由があり、公序良俗に反しない限り人から差別、迫害されることはありません。人類の英知と勇気、人類愛の深化、国際理解の伸展、寛容の精神の発露により、人類は、ぼつぼつ悲惨な戦争行為や、深刻な環境破壊に対して、自己規制をする能力を手に入れなければ、我々人類や緑の地球は、滅びてしまうのではないでしょうか。ノ−モアひろしま=核兵器、対人地雷、地球温暖化防止に始まり、宗教戦争、テロ、民族間戦争などの禁止・・・へと人類の英知を結集した決議が続き、実行されていくことを、真の平和、美しい地球への道であると夢見ます。
世界連邦は、NGO(非政府組織)です。先般の京都の地球温暖化防止対策国会議(COP3)では、このNGOである環境諸団体が、環境先進国である欧州諸国と協力して大きな役割を果たしました。NGOは、国家に対立するものでなく、国境を越えて国際世論を背景に活動し、国家を補完するものであると云われるようになりました。国家エゴを調整し、世界人類のオピニオン・リ−ダ−として、真っ暗などろどろした現実社会を射し抜く、一筋の灯台の光のように、NGOの役割が、今後次第に増加してくるものと思われます。
 ロ−タリ−・クラブもまたNGOであり、世界連邦と同じだと、当クラブの元会長の故塩見清毅氏は、第二組のIMにおいて、パネリストとして発言されていました。ロ−タリ−の各クラブは、各個がそれ自身完結した組織である。RI会長代理である地区ガバナ−を通して、各クラブは国家を超え、国際ロ−タリ−そのものの主体に帰属している。ロ−タリ−は、奨学生の受け入れやポリオ・プラス活動など、その国際活動は最大のNGOに優ると。
 この人類の英知、相互理解と寛容の精神・・などの国際世論を背景にし、組織力と実行力を手にしたNGOの活躍が、新しい21世紀の「世界平和と地球環境」への道を拓く新しい要素となり、国家・政府、国連の役割を補完し、国家、民族、宗教、南北問題・・・などについて、実質、効果のある調整力が発揮される時代がやってくる。そして「世界平和」と「地球環境保全」が達成されると夢見ます。
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例会スピ−チ        98年10月18日
エクスカ−ション       二王公園「パタ−・
親睦家族例会 ゴルフと バ−ベキュ」

綾部の観光振興を願って
本日は、クラブのエクスカ−ション例会で、ここの「二王公園」に来ております。参加されたご家族の方々を心より歓迎申し上げます。秋の一日をゆっくり、この「君王の里・二王の里」でお過ごしいただきますようにお願いします。親睦委員会、出席委員会、SAAの方々には、大変お世話になります。
 寺伝によりますと、推古7年(599)聖徳太子の創建といわれる君王山光明寺ですが、寛平年間(889−898)に理源大師が真言の道場として再興され、盛時は坊舎72を数えました。大永7年(1527)の戦乱で、ほとんどが焼失しましたが、さいわいその災を逃れたのが二王門であり、京都北部で唯一の「国宝・二王門」にちなんで、「二王村」「二王公園」が名付けられています。
 綾部では、周辺施設である上林温泉、青少年山の家、かやの里などを二王村という村興しの拠点とされ、ほたる祭りなどの行事も行われていると伺っています。
私の趣味のテニスコ−トもありますが、ハ−ドコ−トなのと、ナイタ−施設がないのと、少し遠いのとでメンバ−の利用は殆どありません。
 地元の方の利用は、ともかくとして、温泉、食事、宿泊、遊び、花公園、屋内遊技場などのそろった、レクレ−ション・ゾ−ンとして整備されれば、もっと合宿などの利用も伸びるのではないかと思います。
 先般、丹後弥栄町の「味わいの郷」にいきましたが、味の工房がそろい、なかなかの賑わいでした。商品も地ビ−ルをはじめ、パンやケ−キ、チ−ズ、らしきグッズまで揃っていました。地元産品は中に入れないそうで、外で売られている、さつまいもやジャコに魅力がありました。弥栄町は「スイス村」「ガラシャの里」などもありますが、この「味わいの郷」は海辺でもなく、だだっ広い果樹園の一画に拓かれた施設で、第3セクタ−の経営のようです。この「二王村」と立地条件は、あまり変わらないと思いました。
 峰山RCの稲穂寛会長に、中丹から加悦の「SL広場」「フレッシュ加悦の里」丹後「味わいの郷」今度開通した、「たんたんトンネル」を通り、「モンゴル館」「シルク温泉」が周遊コ−スに使えると話しますと、峰山RCも「味わいの郷」で、バ−ベキュウ例会などをされたと云うことです。そして観光施設は、点から線に、さらに面へと発展して欲しいと言うことでした。舞鶴一帯までの観光施設の連携と振興を、稲穂寛会長と話しあいました。
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例会スピ−チ   98年10月23日
          ゲスト:大久保昇地区財団委員長

財団奨学生:瀧花美輝さんのこと
 ロ−タリ−財団のプログラムには、財団の最初のプログラムである国際奨学金をはじめ、教育的プログラム、人道的プログラム、今日脚光を浴びている、人道的な国際奉仕プロジェクトのための同額補助金など様々な活動があります。
 私は何故か当綾部クラブが関係した国際奉仕活動の、GSE、財団奨学生、青少年交換事業に、いつも関わらせていただいてきたと自覚しています。
 財団奨学生であった瀧花美輝さんから、5年間勤められた国連を退職し、カリフォルニアに転居されて、夫君と元気にお過ごしとのお手紙をいただきました。
瀧花さんは、私がクラブで1度目の国際奉仕委員長をしたときに、クラブの例会にお招きするなどのお世話をした方です。大阪空港でお見送りしましたが、貴重品を入れたポシェットを腰にきりりと締めて、女一人旅の勇姿で英国の大学留学に旅立って行かれました。 帰られてからもクラブの忘年例会などにお招きしてスピ−チをいただきました。財団学友はRIの準メンバ−なので、里帰りの際は遠慮無く夫君とクラブ例会に参加下さることを、お願いしたいと思っています。
 瀧花さんが国連職員に応募されるとき、この財団奨学生の経験と、留学で修士号を得たことが、ずいぶん役に立ったとお聞きしました。若者に職業の機会を与えるという財団奨学制度の目的を見事に達成された方です。
 GSEは、オ−ストラリアからのメンバ−を当ホテルの玄関前で迎えてから、京都のホテルまで送り、次のロ−タリ−に引き継ぐまでの8日間でした。我家はマ−ガレットさんのホ−ムスティでした。非常な勉強家で遅くまでレポ−トを纏めておられました。食事は何でもOKで、菜食主義の方をスティされた牧野芳和会員は大変だったと思います。宮本太資会員は団長のブラッドレ−さん、荻野良一会員はピ−タ−さん、村上博孝会員、渡邊義会員の6人だったと覚えています。 この時、次の財団奨学生になられた下野香織さんに一行の通訳をお世話いただきました。
 マ−ガレットさんは、後日来日され、丁度お盆休みに我家に一泊し、千葉から来ていた娘夫婦達と、天瀧まで遊びに同行していただき、神戸まで送りました。
ニュ−ヨ−クで瀧花美輝さんとも出会われて、意気が合ったと伺っています。
 2度目の国際奉仕委員長の時にお世話した、青少年交換留学生の梅原奈央さんも、瀧花さんと家が近く、歯の治療に行かれたのが縁で、よく手紙を瀧花さんに出され、何かと教わっていたようです。
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例会スピ−チ     98年10月30日
親睦例会              卓話:仲江文男会員
                「環境アンケ−ト報告」

交通事故の撲滅をはかろう
 本日は親睦例会なので、趣味の話をしようか、職業奉仕月間の最終例会なのでその関係の話をしようかと迷っていましたが、その前に若干の報告事項と、お願いを申しあげます。
 綾部ライオンズ・クラブの結成35周年記念大会が、盛大に開催され、出席して、お祝いを申し上げてまいりました。
 当クラブの45周年記念事業である、新世代グル−プ「NEXT」が結成され、来る11月13日夜の「新世代会議」開催を目指して、鋭意努力されておられます。そのフォ−ラムへの出席依頼に、四方八州男綾部市長、奥原恒興綾部振興局長、梅原陽介商工会議所専務理事、塩見勝洋商工観光課長補佐を訪問して協力要請をしてまいりました。当クラブとしても、皆様ご多用とは思いますが、例会なみの出席参加をいただきますようにお願い申しあげます。
 「RLJのゴルフコンペ」で、当クラブが団体優勝、個人優勝、準優勝を獲得されました。参加された選手の方、大変お世話になりました。懇親会のお招きにあずかり出席。昔、ライオンズの粟賀保氏の音頭で、故米川RC会長、故坂根LC会長とJC理事長の鍋師の3名で寄贈しました、紅旗と青旗の両優勝旗に22年ぶりに、表彰の席で再会してまいりました。
 その当時は60名を超える参加があり、会場に困るほどであったのが、今回は24名参加で非常に寂しくなっている。次回は、当クラブ同好会代表の山崎春夫会員が当番幹事ですが、各クラブが少なくとも10名以上の参加を申し合わせました。ゴルファ−の方々、宜しくお願い申しあげます。
 福西JC理事長がBB賞でしたので、来る11月20日のロ−タ−・アクトが当番幹事の「5クラブ・ボ−リング大会」では、私がBB賞をいただくと宣言してまいりました。現在の所、参加者が少ないようなので、皆様の積極的な参加をお願いします。
 先般の福知山のIMでも、パネリストの由良大司副会長は、同好会活動が、また峰山の岸田駿也前会長は委員会活動が、クラブ活性化の大切な要素であると、発言されましたが、短時間の例会だけでは、会員相互の深い理解は進みません。同好会活動への、ご理解を宜しくお願い申しあげます。

 本日は、予定を変更して、先般四方綾部市長より召集がありました、交通事故防止対策緊急会議の話をします。
 まず交通安全月間の「啓発立て看板」のご協力を、メンバ−企業の方には、本年もお世話になり、まことに有り難うございました。
 交通安全協会の副会長をされている、加藤静会員の出席要請に室木幹事と伺いまして、この立て看板の報告と緊急会議の話をしたのですが、大変な事態だと言うことでした。
 このスピ−チでは、若干の事故のことを取り上げますが、決して事故を起こされた方を非難したり、関係ご親族の感情を無視するものでない事をご了解の上で、お聞きいただきたいと存じます。以下は、「職員ねっと」からの引用です。
事故は、丹波くりまつりの準備用務で、林業センタ−に出られた市の職員が、帰庁のためJA丹の国農協前を府道に出るときに、右から続く車に気をとられて、左の確認不十分のまま発進し、歩道上を進行中の76才の自転車に乗った女性と公用車が接触し、車道に転倒し頭を強打され、直ちに入院されましたが、1日おいて死亡されたというものです。
 緊急会議には、府警本部、府交通関係者、市議会、老人会、自治会、小中高の学校などの諸団体が出席されていましたが、その中で四方八洲男市長は、職員の起こした事故について、深々と陳謝の意を表されました。さらに市庁内の対応を話され、事故の経過や加害職員の反省文を掲載した「二度と悲しい事故を起こさないために」の「しょくいん・ねっとの研修臨時号」を配布されました。
 四方八洲男市長は、この事故について、身近な関係者が事故に関係しているものだ。いつだれが加害者であり、被害者であるかわからないので、自分のこととして真剣に受けとめている。と話されていました。
 実はこの事故の被害者は、私の会社の従業員の祖母でした。一方当日の緊急会議資料として、綾部市内の交通死亡事故の発生状況についてが配布されましたが、その交通死亡事故概要に、昨年と本年の計13件の事故報告があります。その1番目は当社の新成人になったばかりの従業員が、成人式の3日後の退勤後に起こした事故です。いかに事故が身近なものであるか、身にしみてわかり、絶対に交通事故を起こさないと、自戒するものであります。
 本年の当市の事故死亡者数は、10月18日現在で6名(他に統計外3名)になり、昨年合計7名と比較して、例年の年末の急増現象を考慮すると、もう後がない崖っぷちの緊急事態ということです。
 討議のなかで、外部からの車による事故は、12パ−セントしかなく、第一当事者の大部分は綾部市民などの地元の人であり、自分の手で安全を守る必要があると強調され、老齢者人口の増加のなかで、老人が被害者、若者が加害者の事故が目立つことが報告されていました。
 京都府全体で、事故死者数の減少を目標に努力しているが、非常に厳しい状況であり、飲酒運転の追放、シ−トベルトの着用、老齢・若年者の交通マナ−教育、地域住民への啓発活動、事故発生危険個所の再点検・改良の5項目を重点に取り組んでいるということです。シ−ト・ベルト着用が京都は悪いと言うことでした。
 事故は決して他人事でなく、自分の問題として充分認識して、安全運転に取り組んでいただきたいと思います。(追記:年末に起きた、本年最後の事故死者も、当社の高齢の退職された元従業員でした)
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例会スピ−チ         98年11月6日
ロ−タリ−財団月間     若山行正京都研究所長
             「環境問題取組の推進1」

ホ−ム・ペ−ジのコスト・パフォ−マンス
 前回はホ−ム・ペ−ジを使って、ロ−タリ−が取り組んでいる環境保全活動を、世界にアピ−ルしようという話をしましたが、本日はその続きです。
 ホ−ム・ペ−ジを開設するには、ブロバイダ−に加入する必要があります。例えば綾部商工会議所や西町アイ・タウンがホ−ム・ペ−ジを開いていられる、N−関西の場合、加入料:7000円/利用料:22000円/年の固定料金制になっています。ホ−ム・ペ−ジは、10MBまで無料です。
 ペ−ジを読み込む負担を軽くするために、余り大きなイメ−ジ写真は避けるので、適当な写真を5〜6枚使うと、1ペ−ジが本文を併せて20KBぐらいになります。1MBで50ペ−ジ、10MBで、何と500ペ−ジ分が、上記の約3万円で利用できるわけです。
 もしこれをカラ−写真をふんだんに使って、同じ程度の印刷物で仕上げたら、いくら掛かるでしょうか。そしてこれを郵送するとなれば切手代も馬鹿になりません。ホ−ム・ペ−ジはさらに、デジタル・カメラで写真を撮っておけば、誰でも簡単につくれます。ワ−ドや一太郎というワ−プロ・ソフトでもホ−ム・ペ−ジの作成ができ、さらに何時でも写真などの内容を簡単に差し替えできるので、時節にあったアピ−ルができます。
 豊岡市にある「こうのとり繁殖センタ−」のホ−ム・ペ−ジを学習のために、ソ−ス・ファイルなどを参照したことがあります。こうのとりの生態は勿論、バレ−公演や講演会、若者の討論会・・の行事紹介で埋められた、なかなかのものです。
 ホ−ム・ペ−ジを作り、ブロバイダ−に送るには、コンピュ−タが必要ですが、一度送ってしまうと更新や反響メイルの参照時以外に、コンピュ−タ−を動かしておく必要はありません。極端に云うとホ−ム・ペ−ジの製作を誰かに頼み、ブロバイダ−に登録してしまえば、WEBと言われるインタ−ネットの通信網を経由して世界の何処からでも見てもらえます。そのためのリンクをRI、地区、地域情報NETに貼って貰います。INSネットの基本料金は2830円で、携帯電話の3600円より安く、しかも福知山局なら3分間に10円の料金で、世界中の情報がみれます。
 現在はまだ少数の人しか見ていない状況ですが、モバイル・ギアという携帯型の機器や、ホ−ム・テレビ兼用のインタ−ネットも普及してきていますので、携帯電話が普及したときの状況を考えると、利用の拡大は早いのではと思います。
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例会スピ−チ        98年11月13日
          炉辺会合報告例会/情報委員会
          挨拶:山口龍太郎NEXT代表

社会人1年生:不二越の思い出(1)
 福井大学を卒業して、富山にある不二越鋼材工業に入社しました。学卒者33名採用の中の一人でした。 不二越は、NACHI印の切削工具、特にハクソ−という金切りのこ歯の発売元で有名です。工具、ベアリング、工作機械とそれらに使用する特殊鋼材の製造部門があります。富山では、綾部におけるグンゼと同様の存在感で、戦時中は、ハ−ド部門の軍需工場として、戦時採用された従業員数は、すごかったようです。
 資本金が大きすぎたのか、株価も10円台を数度も低迷したこともあり、大きな工場の経営を建て直す苦労も大変だったようです。私の入社した時の初任給は、高卒で8千円、大卒で1万余りの時代でした。
 入社後は、体験実習があり、工具、軸受けなどの全製造部門を廻りました。工具や軸受けの焼き入れ工程はすごい印象を受けました。特に東富山の製鋼所では、深夜勤を体験しました。仮眠室で休んだあと、高周波電気溶解炉での炉前作業でした。真っ赤に解けた鉄のインゴットを運び出すため、クレ−ンのフックでクランプするという、ものすごく熱い仕事を一週間体験しました。
 私は、不二越研究所の工具研究室の配属でした。材料研究室と軸受け研究室がありました。仕事は、工具材料の改良や、難切削材の加工などでの工具寿命を測定することでした。研削加工につかう研削材や、当時普及し始めた超硬工具材、セラミック材、放電加工、電解研削などの技術研究もやりました。
 仕事として、アメリカン・マシニスト、ウェルクスタット・テクニック、ルスキ−・エンジニアリングなどの技術雑誌を毎月、山のように押しつけられ、全部目を通して、抜粋を書き出す業務をやりました。英訳もやっとの実力なのに、ドイツ語は習っていましたが、ロシア語、フランス語の技術雑誌もありました。
 ともかくやるしかないので、辞書を片手に掲載された写真や、グラフを手がかりにして、記事や論文を暗号解読もどきに翻訳し、所長室に送りました。おかげで外国語の翻訳には自信がつきました。
 ロシアの雑誌に摩擦熔接という、鋼材を互いに高速回転で自己発熱させ熔着させる。破壊試験でも熔着部以外で破断するという研究が報告されていました。少し考えつかない方法で、早速ドリルの柄と、高速度鋼材製の歯部を別個につくり、摩擦熔着でつなぐ工法が確立され、大きなコスト・ダウンが得られました。
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レポ−ト:         98年11月13日
              炉辺会合例会コメント

あなたは、ロ−タリアンとして、職業奉仕ができます
 情報委員会の事業である、本年の6グル−プに分かれての「炉辺会合」に、会員の皆様方の熱心な参加と、大変有意義なご討議をいだだき、誠に有り難うございました。「炉辺会合」における皆様方の様々なご意見の要約を、一足先に拝見させていただきましたが、今回それを報告書冊子にしていただけると言うことで、会長として心からの御礼を申し上げます。
 「あなたは、ロ−タリ−に何をすることができるか」、ケネデイの有名な言葉、誰かに何かをして貰うことを待ち受けるのでなく、自分が何をすることができるのかが、より大切であるとの言葉です。「あなたは、ロ−タリ−に何をすることができますか」

1.あなたは、ロ−タリアンであることができます。
   ロ−タリ−の綱領の第一は「奉仕の機会として  知り合いを広めること;」です。あなたは、ロ−  タリアンとして毎週の例会に出席し、ロ−タリ−  において親睦を深め、様々な奉仕活動を行い、あ  なたの役割を果たすことができます。
2.あなたは、ロ−タリアンとして、職業に奉仕をす  ることができます。
   あるパストガバナ−が、今日頻発する企業不祥  事に対し、企業倫理の問題として、もしロ−タリ  アンの企業なら、この様なことは起こらないはず  であると嘆かれていました。「四つのテスト」が、  会社更生の実践から生まれたという実話から伺え  るように、「I Serve」としての「職業奉  仕」の理念は、「ロ−タリ−の奉仕の理念」を、  皆様それぞれの職業に生かすことだと思います。
3.あなたは、ロ−タリアンとして、地域社会に奉仕  することができます。
   皆様方はすでに業界や地域において、様々な役  目をされておられます。それは「I Serve」  でいう、個人の「職業奉仕」であると同時に、個  人の「社会奉仕」でもあります。平和で住み良い  豊かな暮らしの為になされる、様々な市民活動、  まちづくりの原動力として、あなたの能力が「ロ  −タリ−の奉仕の理念」の下に、発揮されること  を望みます。

 伴仲博司情報委員長からお借りした、佐藤千壽という東京東クラブのPGの書かれた「私本、人作りロ−タリ−」のなかで書かれている文章を紹介します。
 会員は、みんなそれぞれ忙しい仕事を持っている。然しロ−タリ−で役職を命じられたら、絶対に断ってはいけないのだ。
 この不文律が何故厳しく教えられたのか。それは、ロ−タリ−の会員になる程の人は、皆それぞれ業界を代表するような人物で多忙を極めている。従って本当にロ−タリ−の指導者になって貰いたい人ほど、役職などに未練はないし、寧ろ出来るだけ避けて過ごしたい、というのが本音だからだ。
 どんな集団組織でも、本当に大事な役割は、やりたがって蠢動している人ではなく、逆に能力を隠して逃げている様な人にやって貰いたいものだ。殊に欲望の自己制御を精神的支柱にして、「超我の奉仕」を唱えるロ−タリ−なら、なお更そうではなかろうか。
 非常に辛口の文言ですが、皆様が企業で、地域社会で、ロ−タリ−で様々な役目をされるなかで、ロ−タリアンとして、「ロ−タリ−の奉仕の理念」を生かす努力をするということが、「あなたは、ロ−タリ−に何をすることができるか」の私の思いであると、私の炉辺会合での「コメント」を申し上げます。
昨年の炉辺会合で、フレッシュ・メンバ−から出された、色々なご意見を参考に、室木克則幹事と相談して、今年度のクラブの活動方針を決めました。新会員をはじめ一般会員に、ロ−タリ−で決定される内容が見えにくいとのご意見に対し、初期の段階から公表して皆様のご意見を聞いていく、「開かれたロ−タリ−運営」を心がけています。また、「45周年事業」のある年度なので、事業が過大とならないように、「楽しい魅力ある例会づくり」と、「活動のリストラをはかる」こと、さらに21世紀のロ−タリ−の先取りで、「ロ−タリ−の人づくり」を進めることをお願いしました。
 野球で左打席の場合、守備も左にシフトしますが、今年度だけのそうしたシフトにも、やはりメリット、デメリットがあると思います。炉辺会合のご意見のなかでそうした事柄について、評価をいただきましたことにも、心からの感謝を申し上げます。
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挨拶:           98年11月13日
            「NEXT」新世代フォ−ラム

  綾部の良さを知ってもらう体験活動を通じて、
  得られるものに期待して
本日ここに、フォ−ラム「新世代会議」が、「人・食・緑−綾部のこころにふれる旅」をテ−マとして、このたび結成されました、若者ネットワ−ク組織・「NEXT」の主催のもとで、多くの方々のご出席者を得て開催されますことにたいし、心よりのお祝いと感謝を申し上げます。 (来賓各位に謝辞挿入)
 綾部ロ−タリクラブは、明年6月18日に、創立45周年を迎えますが、記念事業の一環として、新世代を担う人材育成の必要性を痛感しており、この「NEXT」の結成をはたらきかけましたところ、関係者各位の非常に熱心な、お取り組みをいただきまして、本日の「新世代会議」の開催を迎えることが出来ました。
 お世話になりました皆様方に、深甚なる感謝の意を表しますとともに、21世紀を迎えるこの時期に、21世紀の綾部を担う若い世代のあつまりである「NEXT」と、その活動にたいして大いなる期待を寄せるものであります。
 本日の討論が熱心におこなわれ、「NEXT」の主旨や活動の内容が、より具体化し、充実いたしますことを、心より期待いたしております。
綾部市は、豊かな自然にめぐまれ、世界連邦平和都市宣言第1号都市としての存在が、私達、綾部市民の最大の資産であると考えます。
私が青年会議所に在籍していたころの思い出ですが、高度経済成長の開発の波に取り残された山陰の地方都市、ふるさと綾部を、「丹の国構想」という、「人間と自然が調和する都市」として、位置づける活動をしたことがあります。
 この活動の展開の一つは、「綾部市市民憲章」の制定と、市民運動の論理と、まちづくり理念に基づいた「市民憲章推進協議会」の設立となり、今一つは青少年の健全育成を願った「丹の国祭り」の実施と、「青少年健全育成連絡協議会」の結成となりました。
 その前後の期間において、丹の国ツア−、丹の国ハイキング、丹の国サイクリング、丹の国魚釣り大会、川遊び、丹の国コンサ−ト、水上ジャズ・フェスチバル、由良川下り、君王山ジャンボリ−・・・などの諸行事を、地元の子供達や、一般からの参加を得て、青少年グル−プのご協力をいただき、手作りの企画で行いました。これは、子供達や地元の方々自身にも、綾部の自然のすばらしさを、ふるさとの文化を体験を通じて知っていただくことが目的でした。
 今回は、若者による手作りの企画で、外部からの訪問者に、「綾部の良さを知ってもらうツア−」を計画するとの、この会議の目的を伺っておりますが、まことに若者らしい発想であり、素晴らしいことであると存じます。
 以前に行政としての取り組みで、ふるさと都市振興シンポジウムが開催されたことがありますが、若者が中心となった、民間組織による今回の企画は、これまで例がないのではないかと存じます。若者同士がふれあい、「綾部の良さを知ってもらう」という今回の企画は、綾部の良き理解者が、たとえ少数にとどまったとしても、企画に参加された皆様には、綾部の未来を考えていくための、何よりも得難い、自己の学習体験になると思います。
 結びに当たり、事業の成功とともに、本日参会の皆々様の益々の御健勝と、ご活躍を祈念いたしまして、歓迎のご挨拶といたします。
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例会スピ−チ   98年11月20日
            ゲスト:友次秀正楡の木園長
               「介護保険について」

税の啓蒙週間にちなんで
 11月は税の啓蒙週間があり、公正な納税推進の啓蒙活動が行われています。昨日も企業のトップを対象に研修会が開催され、参加してきました。福知山納税協会の主催です。松田安弘副会長をはじめ、当クラブには、多くの納税協会の理事役員がおられます。
 講演会は、読売新聞社会部次長の植松実氏の「新聞記者の現場・・・最近のニュ−スから」で、和歌山で起きた毒入りカレ−事件の話題でした。
 景気低迷の今日、不況の原因にパブルがはじけた後の、金融機関などの不良債権が言われていますが、税収の落ち込みと、過大な起債済み債権を抱えた地方自治体を含めた政府財政の緊迫も、景気回復を遅らせる大きな要因になっていると思われます。
 税の問題とは異なりますが、私が初めて税のことを考えさせられた時のことを話したいと思います。それは自治会費の徴収でした。
 井倉町で、私がはじめて持ち回り順の組長になった時、自治会費の割り当てが議題で役員が集まり、だれそれの家は、こうこうだから、いくらもらうかの相談がありました。昔は、古くからある大抵の町区の場合、これと同じ状況であったかと思います。
 税務署ならいざ知らず、人の財産なり収入を、持ち回り順の組長に推定させ、前年度のデ−タを基に、応分の会費をランク付けさせようとの習慣でした。これは極めて非近代的な風習であると云わざるを得ません。
 私はちょこちょこと計算し、全体を総平均すれば、あと大部分の人は、タバコ銭くらいの増加でしかないのでは。ピラミッド型の細分された費用分担はおかしい。なぜ旦那とかいって、1級市民や、2級市民・・の格差を付けなければならないのか。タバコ銭くらいで格差を付けられても、ありがたくない。
 会費の使われ方も、総会の弁当代など食べるのは皆が同じでないのか。受益者負担の原則からいって、均等割りこそ同じ自治会員の意識づけに必要だと思う。
 たしかに、母子家庭とか、障害者とかに配慮すべきことはある。それは相互補助の精神で軽減すれば良いことだ。もし今までの高額会費の方が不足だと云われるのなら、別の機会に寸志をいただけば済むのでは。と提言しました。
 さらに、固定資産税の徴収などが自治会に委託され、手数料収入が財源となっているが、(現在このことを問題にする人もあるように)個人の秘密事項に属することなので、これを基にして、非公式であるにせよ、自治会費のランク付けを議論するなどは問題外である。と提言しました。
 これは理の当然であったようで、それまでの相談事はすぐにご破算になり、以後は均等の自治会費の徴収になりました。ついでに自治会規則の抜本的な改正にも協力を要請されてしまったという、私の自治会の組長初経験でした。
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余話:
民主主義のル−ルを考える
 以前に井倉自治会で、自治会費の一律化を提言した話をしましたが、その後転居して中神宮寺の住人になりました。やはり同じように組長が回ってきて、総務部会の所属になり、自治会規則の抜本的な改正に協力しました。
 昔のままの文言の古い会則を、今の自治会の住民相互の親睦や、生活規範を入れて、暮らしやすい町区づくりをする基になるものが、自治会規則だと思います。
 2回目にまた組長が回ってきて、あるベテランの元自治会長さんから、葬儀マニュアルを経験から自作で下書きをしたから、自治会の総務部会で完成させてくれという依頼があり、議事に提案されました。
 確かに昔と違って、回り持ちである新米の組長さんは、組で司会する葬儀の取り扱いに苦慮されて、マニュアルを求めておられました。
 しかし私はあえて、信仰の自由の時代に、神道やキリスト教の葬儀もあるし、関係の自治会員もおられる。都会から綾部に来られた方は、綾部式の葬儀が、まだまだ簡素化されていないとの批判も多い。その綾部式の葬儀でさえも、一昔前と比べると、どんどん変わっている最中だから、マニュアル化して、現在に固定化するのはどうかと思う。
 個人でマニュアルを作られることは、大いに結構な事と思うが、自治会で取り組むのは不適当でないのか。と発言しました。それで取りやめになりました。
 その後、綾部市民新聞の記事で、他の町区で同じ要望から葬儀マニュアルが作成され、便利で喜ばれているとの紹介記事がいくつかありました。それで高崎忍会員が入会された頃、私はこう思うと話したこともあります。
 社会のル−ルづくり、というのは難しいもので、青年会議所で地区委員をしていたときに、大阪JCなどの提案で、今後の議決権は、各LOM(クラブ)一票ではなく、会員数で決めるとの議事が提案されました。私が発言するまで、それで当たり前の雰囲気でした。
 長い物には巻かれろの気持ちなどではなく、その弊害(クラブ規模が違えば、活動規模も異なる)を考えなかったようです。私の反対発言で提案は撤回され、今まで通り、各クラブ一票の議決権になりました。
 ロ−タリ−の場合は、テリトリ−内に複数クラブがあり、あまり巨大クラブには、なりにくいので問題ありませんが、時々とんでもない事が起きるものです。
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例会スピ−チ        98年11月27日
親睦例会        卓話:藤本繁会員
         「有名人の不適切な関係について」

社会人1年生:不二越の思い出(2)
不二越は切削技術とともに、品質管理の方面でも有名です。著書を出されている方や、コンサルタントをやっている方もあり、綾部のグンゼ、日東、堀内機械などにも私の研究所時代の同僚などが講師として、来ておられると伺っています。
 私達研究所の成果は、不二越技報という会社の技術機関誌に原稿を書かされ、掲載されるのですが、精密機械学会の北陸地方での開催があり、当時はOHPもなく、模造紙に皆で資料を書いて、発表したこともありました。
 自動車などに使うボ−ル・ベアリングは、外輪、内輪、球の3者の勘合公差で、性能が決まり、JIS規格の1〜3級のクラスが分かれますが、この製造工程を常時、QC手法のX−R管理図で管理するので、全国でもQCの分野で有名になったようです。
 先年私の入社時の不二越34会の同窓会があり、35年ぶりに工場見学をさせていただきました。自動車用のベアリングも進化して、もはや単体のベアリングでなく、現在は第3世代とかで、以前のように製品の汎用性はなく、車種ごとにハブ・ケ−スなどと一体化した専属製品ということで、全てが自動車メ−カ−の設計に基づき生産され、本当に下請化した感じだと、当時の同期生が生産技術部長をされ嘆いていました。
 それでも社内壁面は、TQCの張り紙で埋め尽くされた感じでした。私のいた研究所も昔の面影はなく、研究員の姿が見えず、無人で自動化された工具の寿命試験器が動いていました。
 不二越高校という会社の付属高校がありますが、先年甲子園に出場していました。そこに先輩達が教師に出ていましたが、私も大学で教職の単位を取っておけば良かったと思いました。
 仕事ばかりしていたようですが、実は大いに遊んでいました。入社一回目だけは、先輩達が歓迎会をしてくれたのですが、あとは我々同期入社の2名で万事の設営をまかされ、会費を取って、コンパ、マ−ジャン、釣り、海、山、川、スキ−、行楽・・の行事を毎週のようにやりました。会場の設営、交通の確保、料理の交渉、賞品の用意、進行まで大変でした。
 立山登山、黒部渓谷軌道行楽、岩瀬浜の海水浴、新湊のはぜ釣り、糸魚川のほたるいか狩りなどの遠征も計画しました。独身貴族といわれる時代でした。
私は大会マ−ジャンですが、職場の仲間の手の内が分かり、国士無双などの手ができて優勝したこともあります。テニスは職場内にコ−トがあり、昼休みのレクレ−ションでした。クラブをつくり、市内の大会に参加して、どんぐりト−ナメントで優勝したこともありました。私の遊びの殆どは、不二越で覚えました。
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例会スピ−チ 98年12月4日
           ゲスト:若山行正京都研究所長
「環境問題取組推進2」

綾部テニス協会の発足と四都市体育大会
 昨年の(財)綾部市体育協会10周年記念誌に、綾部テニス協会の歴史として、次の文章を掲載しました。
 グンゼに勤務するテニス同好の士が集まり、昭和43年にグンゼテニスクラブが若山氏(本日のゲストの若山行正所長)を中心に8名で発足、女性部員も参加するなどクラブとしての実績を着々と蓄積する中で、四都市体育大会のオ−プン競技種目のテニスに舞鶴、福知山、綾部が参加することとなった。(註)4都市大会の年表によると、テニス種目は昭和32年第5回大会の開始なので、遅れること十年余りの快挙。このあと宮津市の参加を得て正式種目となった。
四都市大会への参加が、綾部テニス協会発足の直接の動機となった。グンゼテニスクラブ=綾部テニス協会の時代はしばらく続いたが、テニス教室の開催を契機に地域との交流も深まり、昭和55年にテニス教室の参加者を中心に、更にテニスを続けていきたいとする同好の士で、綾部ロ−ン・テニスクラブが発足した。 四方武美氏が会長で、前田、嶋田老人、角野、菅沼、などの一般市民、府職の藤原、グンゼの社員や夫人も含め、男女50名ほどのクラブが成立した。
練習には、神栄のテニスコ−トを整地しながら借用し、ネット、ライン・マ−カ−、ボ−ル、ラケットもクラブ会費で購入しての発足であった。
 綾部ロ−ン・テニスクラブの発足を契機に、さらに新しいテニス愛好者も参加の場が生まれ、府職綾部テニス・サ−クル、日東硬式テニス・クラブ、ラブ・オ−ル等の結成となり、若山行正会長に始まったテニス協会も、グンゼの井出昇会長を中心に理事、会計、事務局など組織も確立し、事業としても四都市大会のホスト、選手団派遣から、今日継続して行っている年間の各種大会協会行事を、これらクラブの輪番制で開催できることとなった。・・・
テニスとバトミントン両種目は、舞鶴が常勝王国です。選手層が厚く、その牙城は当面揺るぎそうにありません。綾部は福知山と隔年で2位争いをしていますが、本年は昨年に続き連続で第2位を確保しました。
第一戦で福知山に6−3で勝ち。第二戦で不覚にも宮津に3−6で負け、福知山が宮津に6−3で勝ち、3者同率の成績でしたが、綾部が舞鶴に3ポイントを取り2位となりました。この時もう少しで舞鶴に勝てる可能性がありました。
 対舞鶴戦で、早い時期に3ポイントとり、壮年ダブルスが4−2、男子シングルスが5−2でリ−ド(6ゲ−ム先取の試合)しました。舞鶴の監督が、綾部さん、えらいことをやってくれると云ってきました。結果は、壮年ダブルスが逆転されて破れ、気力が抜けたのか、隣で試合をしていた男子シングルスも落としてしまいました。3ポイント取れれば、射程に入っていたということです。
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例会スピ−チ      98年12月11日
          ゲスト:足立忠彦福知山税務署長
              「酒と健康プラス税」

知覧特攻隊記念館を見学して
 12月8日は、日本が真珠湾を攻撃した太平洋戦争開始の日です。前に、綾部史談会の例会に恩師の木下禮次会長に呼ばれ、戦後派の見る太平洋戦争についての歴史観を尋ねられた話をしました。
 その時に同席されていた歴史の先生方は、終戦でそれまでの日本の歴史観は一変して、マッカ−サ−司令部の方針である、東京裁判の結果が、唯一正しいと教える、歴史授業をしてきたと話されました。
 私の習った教科書は、殆ど全部が墨で真っ黒に塗りつぶされたものでした。読めるところは殆ど残されていなかった記憶があります。最大の被害者は、先生自身が確信のないままに授業を受けていた、私達子供ではなかったのかと思われます。
 現在ますます低年齢化し、残忍性を増している少年非行の横行を考えるとき、欧米の家庭では、まだまだしっかりした宗教心に基づく倫理教育がされているのに引き替え、日本では個人の放任主義だけが横行していると思います。
 先般のIMの発言でも指摘されていましたように、これは、昔のままの修身教育の復活の問題などではなく、新しい国際理解と民族観に立った社会倫理を、幼少時の子供達に、親に教えなければ、病める日本のこの病状は、益々ひどくなるのではないでしょうか。
 鹿児島の知覧に行き、特攻隊の基地であった記念資料館を見学して驚きました。私は、特攻攻撃は、ごく希な程度の話だと思っていましたが、なんと計画的に数次にもわたり、特攻攻撃が準備され、次々と出陣していったという事実を知りました。
 前の例会でも話しましたが、今日の日本の繁栄、平和は、この方達の尊い犠牲の上に築かれたものですが、このように日本の生産人口を死なせて、どうして戦争に勝てるのか常識外と思います。当時の国際理解のあった先覚者達は、何をしていたのでしょうか。

 知覧は、武家屋敷があり、特攻基地がありの歴史の街です。先般の報道記事によると、子供のいじめの問題で、この街の教育委員会が訴えられています。関係ないのでしょうが、歴史教育は知識のみを教え、子供達に何の役にも立たないのでしょうか。
史談会の会合で、ある会員さんの発言にもありましたが、欧米各国から疎外されて、当時の日本の国民感情は閉塞感の最中にあり、この日の開戦を快挙として、国民全てが大変な感銘を受けたということです。
 次は、12月8日の朝日新聞、天声人語よりの引用です「その日の朝・・四年生より上の子たちは「やった、やった」と大喜びしていた。学校に着くと、僕は100メ−トルのトラックを一周半した、逆立ちで。その後を何人もがついて歩いた」妹尾河童さんとの対談集「少年Hと少年A」で、野坂昭如さんは1941年12月8日、米英などとの開戦の日の自分をそう語っている。・・・
 それに引き替え「現代社会は、国民的な痛みを喪失する傾向がある」と聞きました。高度の知的教育を受けた社会は、人の受ける傷みは、個人の事柄であり、全体の痛みになりにくいと云うことでした。
日本人社会は、なおさらそうではないでしょうか。
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例会スピ−チ        98年12月18日
親睦例会            家族同伴忘年例会

我が家の家族スポ−ツは、山とスキ−
 クラブの年忘れ例会に、日頃から何かとお世話になっております会員の奥様方をお迎えしております。またこの機会を借りまして、青少年交換学生のエゲメン君のホ−ム・ステイをお世話いただいているご家族の方々に、クラブを代表いたしまして、心より厚く感謝の意を表します。
 エゲメン君は、日本にも大分慣れて、元気に綾高のクラブ活動などにも積極的に参加されているとご様子を聞き喜んでおります。本日の例会を皆様方で大いに楽しんでいただきたいと希望いたします。
 さて、家庭争議の話題を作るわけではありませんが、皆様はご夫婦で同じ趣味を楽しんでおられる方は、どれくらいあるでしょうか。私と家内とは、山とスキ−が趣味で、我が家の家族スポ−ツになっています。
 例年ですと、この年忘れ例会に、ニコニコ箱で今年登った山を十山ほども、ご紹介するのですが、本年はクラブの用務多忙で、山、スキ−の他にテニスなどの趣味の時間が殆どとれません。ロ−タリ−をやっていて困るのは、休日の好天気を恨みながら、会議、研修で室内にかんずめになっていることです。
 どうして家内と私が、山とスキ−をやっているのかの、のろけ話で、皆様のお耳を汚すお許しをいただきたいと思います。
 富山の不二越で社会人一年生を始めたことを、先月の職業月間で話しましたが、その時に配属された、不二越研究所の先輩達の影響で、山、スキ−、テニスを始めました。
 研究所には付属図書館があり、田上さんという独身の女性の主任がおられましたが、家内のいた秘書課の先輩らしく、職場が近いせいもあり、私達の研究所員と秘書課員との交流が、かなりありました。
 それで、山やスキ−にいく時には、たいていの場合大勢で、がやがやと行動していたわけです。家内は例によって皆から、お嬢(若い女性社員の通称)とだけ呼ばれていましたので、名前を知ったのは、かなり経ってからです。
 初雪の降った日、白馬から祖母谷まで、黒部の源流の餓鬼の田圃(湿原)を二人で歩きました。静閑とした山中で、山猿が木に群がっているのが不気味でした。 翌年の三八豪雪があった春に、私は綾部に帰りました。結婚式は大本神殿で挙げ、中山勝美会員の挙式の次でした。三喜旅館の披露宴のあと、昔は宅急便などなかったので、スキ−・ウェアに着替えてから、皆に送られ出雲号に乗り、熊ノ湯、横手山に新婚旅行でスキ−に行きました。
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例会スピ−チ        98年12月25日
年次総会        卓話:出口栄二会員
           「ロ−タリ−の今日的存在価値」

私の読書事始め
 私は「本の虫」と云われていす。私の読書事始めについて話します。大阪から昭和20年、小学3年生の冬に疎開してきた関係からと思いますが、戦後の我が家には、たった3冊の本しかありませんでした。岩波文庫で芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と「杜子春」、青い表紙の大冊で火野葦平の「花と兵隊」「麦と兵隊」「土と兵隊」の兵隊3部作、図書館で今でも持ち出し禁止のシ−ルが入っていそうな固い表紙の世界名作全集のドストエ−フスキィの「罪と罰」でした。
 戦後は本もなく、麦わらが表面に浮いているような紙に印刷された本も見ましたが、私の小学生の頃の愛読書は、立派なこの3冊の本でした。
 とりわけ「罪と罰」が好きでした。「選ばれた強者は凡人のために作られた法を踏み越える権利を持つ」主人公である、大学生のラスコ−リニコフはこの確信のもとに、金貸しの老婆とその妹を撲殺します。しかしその直後からその信念は、たちまち揺らぎ始め、不安と苦悩に満ちた悪夢のような日々が始まります。
 純真な信仰篤い聖なる娼婦、ソ−ニャの愛によって最後に救われるという筋書きですが、「僕は自分を殺したんだ、・・・あすこでひと思いに、永久に、自分を殺してしまったんだ!」自己をナポレオンに比し、凡人の法を超える権利を持った、選ばれた少数の一人と信じたラスコリ−ニコフでしたが、内心の相克のあげく自らの過信を悟り、ソ−ニャの前で絶望の叫びをあげます。魂の苦悩と発展を描いた、ドストエ−フスキィの偉大な文学的達成といわれる長編小説です。
 ポルフィ−リィ・ペトロ−ヴィッチ、カテリ−ナ・イワノ−ヴァなどの読み難く舌をかみそうな、覚え難いロシア名に埋まった小説を、また虚無主義などの深遠な哲学的思想を盛った、今読んでも難解と思われる小説を、本に飢えていた私は、むさぼるように読んでいました。
 難しい漢字は、振り仮名で読みましたが、意味が判って読んでいただけでなく、判らなくても前後の文脈から理解したのだと思います。6年生担任の朝子つる枝先生に「大きくなったら、小説家になりなさい」と云われたことを覚えています。
 「本の虫」と云われる病気は、今でも本を読み始めると止められず、食事に呼ばれても生返事で、食べながら読むのが普通で、徹夜で読んでいて空が明るくなり、明日の仕事に差し支えるので、あわてて寝ることもあります。
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例会スピ−チ       99年1月8日
新春例会         卓話:志賀哲二会員
   「新春随想」

もし都市の再開発が活発になれば、再び人口流出が・・
 新春を迎えまして、おめでとうございます。パブル崩壊後の日本経済の停滞は、長期にわたっています。なんとか本年は、景気の回復を期待したいものです。
 神戸、淡路大地震は、大雪で悩んだニュ−おじろから疲れて帰った朝でした。小代の民宿で話を交わした神戸の夫婦は、無事だったのか知る由もありません。 震災の復興もかなり進んだようで、明石、鳴門大橋の開通などを契機に、関西地方の経済復権の兆しは確実になるでしょうか。
 震災で多くの家屋、建造物が被害を受けました。それで建築基準の見直しや、旧基準で造られた建造物の耐性が不十分であるとの報道が盛んにありました。都会にある殆どの古い建造物は、このような震災に耐性がないと言うことです。
 それで都市の再開発が盛んになれば、日本の景気は確実に良くなると思われます。景気が良くならなければ、再開発は進まないとも言えます。
 耐振性を高め、安全性を向上させるための、コスト・パフォ−マンスを考えると、橋脚を太くし、港湾岸壁の基礎を重くし、頑丈な建造物を建て、集積回路の代替え施設を用意したりの費用増加に対し、走る交通量、貨物取り扱い量、集まる客数、売上、出来る仕事量がなんら増えることはありません。コスト・パフォ−マンスが悪くなります。
 現在の日本の生活基準では、以前の施設や後開発諸国のそれと比較し、体裁から空調施設など全てに費用が掛かるようになっています。単価が高いわけです。
 同じ費用で以前は、客も売上も増え、経済効果が一石の投資で2鳥も3鳥も得られたと思いますが、現在はその投資分の経済効果があるだけで、付随する大きな投資効果が少ないのが現実です。あるいは、重箱の中をほじくるように、部分的効果があっても、総体での効果が少ないのが現在の状況です。設備投資をして良くなった分、固定資産税が上がりますが、一定期間これを凍結すれば家屋を建て直したい人はまだまだあると思います。そんな政策は、できないでしょうか。
 かって都会に仕事があり、人は都会に向かい、地方の人口流出がありました。景気の停滞は都会の仕事を減らし、人口の流出が止まり、地方に帰る人も出始めました。しかし再び都市の再開発が進むと、都会に仕事が増え、再度の人口流出が起きるのではないか、そんな事を考えます。都市の再開発に要する費用と、海外での投資効果と、地方での投資効果とのコスト・パフォ−マンスの競争です。
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例会スピ−チ 99年1月21日
ロ−タリ−理解推進月間   川井鋭治社会保険労務士
              「国の補助金について」

生涯教育とボランチア活動
 「市民一人、1学習、1スポ−ツ、1ボランチア活動」という生涯学習の標語があります。これは一人の市民がそれぞれの分野で活動しようの意ですが、生涯教育の意味から、活動の進化と捉えることも出来ると思います。綾部テニス協会で毎年実施しているテニス教室には、多くの勤労青少年から熟年者までの老若男女が参加されていますが、始めは初心者として教室に参加した若者が、初級から中級へと回数を重ね、次の段階では市の代表選手として大会で活躍し、さらにこのテニス教室の実技コ−チとして指導に当たるという、学習を受ける側から、指導する側へ、参加型活動から主体型活動への「レベルの深化」が見られます。
 「教える者が最も良く学ぶ」の格言を地で行くものであります。また当市のような地方都市においては、個人的な趣味スポ−ツに始まっても、選手への登用、クラブ運営など主体活動への期待が非常に大きく、この事はテニスに限らず、どのスポ−ツにも見られることで「多くのボランチアに支えられて、市民スポ−ツが育っている」ことを忘れてはならないと思います。
 以前のことですが、生涯学習モデル市町村事業の取り組みで、綾部の特性を生かした生涯教育のあり方についての提言する、綾部市生涯学習推進市民会議があり、綾部市民憲章推進協議会からのメンバ−の一人として参加しました。
 先進地に学ぶ視察活動として、園部町国際交流会館では、例のふるさと創生資金1億円事業で設置したという、全戸加入のCATV放送設備を見学し、若者人口の増加につながった、学園都市機能の形成にプラスしたこと。草の根の市民文化活動にも放映による紹介交流で活力をもたらし、今まで見えてなかったものが、見えてきたとの評価があり。女性の館事業もなかなかのものでした。
 宇治生涯学習センタ−の見学では、円形ホ−ルにハイビジョン映写装置が設置され。源氏物語・宇治十帖のロマンを取り上げ、紫式部文学賞、市民文化賞を創設、市民文化活動の高度化がはかれたこと。宇治学ing、遊ingで多彩な市民行事を展開成功させていること。行政組織を従来の縦割りから、商工観光と市民活動を統合した何でもすぐやる課で、市民意識との密着を図っているとのことでした。
 例年の生涯学習フェスチバルで、市内各地域公民館活動を紹介した、パネル・作品展示や事例発表会が行われております。年令に応じての生き甲斐・生とは何かを学ぶ、生涯教育の一層の活性化を願うものです。
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例会スピ−チ 99年1月29日
親睦例会          卓話:四方彰会員
                「卯年に因んで」

エゲメン君と東大寺大仏を参拝して
先週の日曜日は出口春彦委員長の世話になり、ホストファミリ−の家族旅行ということで、エゲメン君とホスト家族5名のご夫人方と奈良に行って参りました。
 東大寺も雨の中でしたが、鹿の群に囲まれてエゲメン君がうれしそうでした。大きな山門をくぐり、宮本太資会員のお世話で、上司永慶師のお話を伺いました。
 エゲメン君に対して、アッラ−の1神教で、崇拝する偶像を持たない、トルコのモスクについての話にはじまり、仏教の考えには、人、1人々の中に宇宙世界と交流する部分があり、それぞれの人の心の中に、仏を持っているとのこと。56億年後に起きるとされる、ハルマゲドンに救済に現れるという弥勒菩薩のこと。何故、この様に大きな東大寺の大仏(廬舎那大仏)が造られたのかという話など、今回でないと聞けないお話に感銘を受けました。
副住職のご案内で大仏様の側に上がり、厳しさの中に慈悲の微笑みを目にしながら参拝しました。像の高さ15メ−トルもの仏像の側面から見るお姿も素晴らしく、宇宙を示すという連弁に彫られた蓮華蔵世界の説明を、巨大な金像の発する冷気に身を震わせながら聞きました。
 広隆寺の国宝館では、来世の救済仏とされる弥勒菩薩の修業中の像と、現世にあって救済をされているという地蔵菩薩の半跏像が見られ、上司永慶師のお話を再確認しました。奈良国立博物館では、脇像の日光菩薩、月光菩薩の立像が素晴らしく、国宝の日本書紀の原本を見ることが出来ました。
風邪をおして参加したのでしたが、得難い機会を与えていただきまして本当に有り難うございました。
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綾部ロ−タアクト「ハ−ブを楽しむ」例会の講評より
 急用のため、前回の新春例会に出席できず、申し訳ありませんでした。代わりに本日の「ハ−ブを楽しむ例会」を楽しませていただきました。
 最近は弥栄町の「味わいの里」和知町の「山草苑」、加悦町の「リフレ加悦の里」など何処へ行っても、ハ−ブ園が設けられ、売り物になっています。
 今いただきました「ロ−ズヒップ」というハ−ブは、美肌効果が有ると言うことで女性メンバ−に好評だったようですが、リフレ加悦の里には、ハ−ブ園と共に入浴施設があり「ハ−ブ湯」がありました。美肌効果があるのなら、女性にお薦めだと思います。私はお正月に孫家族をつれて行き、「SL広場」に展示された、いろいろなSLに乗ったりの一日を、私も子供に返った気分で楽しみました。
 氷ノ山に対峙して、約1千米弱の藤無山があります。麓は若杉高原といい、大屋スキ−場になっています。ここは積雪時には、スキ−やスノ−ボ−ドで賑わっていますが、スノ−ガンの人工雪施設もあり、雪の少ない時節の穴場になっています。夏でもこのゲレンデで芝生のグラス・スキ−ができます。また、ハングライダ−、トライアスロンも行われ結構賑やかです。
 藤無山は、このスキ−場が登山口ですが、背丈より高い笹薮に覆われた、なだらかな稜線で眺めも良く登山も楽しめます。鹿よけのネットが張られており、首だけになった鹿のミイラがひっかかっていてびっくりしました。下山してからスキ−場にハ−ブ喫茶店があり、トレッキングスタイルで、今日もいただきましたが疲労回復に効くという、一杯の「スペアミント茶」を楽しむと本当にゴ−ジャスな気分でした。
ただいま風邪気味なので、咳止め効果のあるハ−ブがないのかと思いましたが、「ロ−ズマリ−の赤ちゃん」という連想が働くので覚えやすい名前の、「ロ−ズマリ−」は、細胞活性、老化防止、記憶力、集中力の低下防止の効果があると言うことで、熟年向きだと思い、たくさんいただきました。しかし咳止めどころでなく、濃いめのティ−にむせてしまった次第です。
 今日は、楽しい例会を有り難うございました。本日いただきました、ハ−ブティ−の薬効で頑張りますので、残された後半をよろしくお願いいたします。
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例会スピ−チ       99年2月5日
職場訪問例会        本田味噌綾部工場見学
              三輪芳弘工場長

機械の自動化に取り組んで
 自動化技術という専門用語があります。物を加工するときに通常は、それぞれの工程を単純動作で人の手で進めるわけですが、例えば工作機械の場合、物をつかむ、削る、位置を決める、穴を開けるなどの一連の操作を連続して自動的に行うことを自動化といいます。
 サイエンス・フィクションの世界では、片側から原料を入れると、反対側から出来上がった完製品が無限に飛び出してくる、空想の世界が描かれていますが、自動化技術は、人の労働を軽減する省力化、品質をそろえ、コストを下げる決め手の技術です。
 私が今の会社で最初に取り組んだのがこの自動化です。私は機械工学を専攻しましたが、この自動化技術は習った事はありません。それで機械技術の雑誌の特集を見ながら、エア−シリンダ−、切り替えバルブ、空気調整器、パワ−・リレ−などの部品を集め、順次全ての工作機械をエア−方式の自動機に改良しました。
 一番面白かったのは、リレ−回路の設計です。パワ−リレ−やリミット・スィッチを組み合わせて、例えば電源ボタンを押し続けていなくても切れず、所定の動作が完了すれば回路が切断する、自己保持回路などを形成するわけですが、このことも自習で覚えました。
 自動化設計といって、工程のフロ−・チャ−ト図や、リレ−回路図、タイム・ラグなどの動作時間設定図などを、専門の記号を用い、きちんと書いて、自動化をするのが本当です。
 しかし私はそれを知りません。ですから私の作ったリレ−操作盤は、ジャングル配線になっています。やった私自身でも、その時しか理解できず、もし故障すれば始めから回路を辿り直す必要があります。その代わり、ヒントを思いついて改良することが簡単です。
 日東精工さんなどから購入した機械の制御盤は、整然とした配線処理がされており、配線図でたどれば自動操作回路が追えるようになっています。
 私の改良した自動機でも、緊急時の非常回路や、単動作で各部の調整をするテスト回路などは、万全になっていますので、機能に差し支えは全くありません。
 私にとって、この自動化の取り組みが次に、コンピュ−タ−のプログラミング技術の自習拾得につながりました。
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例会スピ−チ 99年2月12日
世界理解月間  ゲスト:白方秀二綾部市立病院副院長
    「中国訪問記:遥かなる歴史と
            無限の可能性を秘めた国」

私のコンピュ−タ−事始め
 私は理屈屋なんでしょうか。子供の頃によく親から「またへこ理屈をついている」と云われたのを覚えています。大学の一般教養の自由選択科目で、記号論理学と言う単位を取りました。
 「いつも嘘を付くうそつきのつく嘘は、うそかほんとうか」という反論理や三段論法、背反相律の問題を記号を用いて記述する学問だったと思いますが、全く面白くもない授業でした。ところがなんと、テストに全問正解したらしく、文系の多い受講生の中で最高点の成績を貰いました。
 コンピュ−タ−のプログラムは、ある意味ではコンピュ−タ−言語を用いておこなう論理記述です。AND、OR、NOT、XORの概念は勿論ですが、言語の文脈も僅かな命令語で記述するだけです。その中に変数という概念を駆使して変数の受け渡しを上手く行うと、いろいろな仕事を行うプログラムがつくれます。
 私は、BASICという一番簡単なプログラム言語を使っています。その始まりは例により、新しい物好きの叔父が、NECのPC−8801というコンピュ−タ−を買い、どうにも使えないのでお蔵にしていました。一方で会社の納品書をコンピュ−タ−処理で発行しようと思い、参考書を求め取りかかりました。
 始めは全く分からず、厚い壁のこちら側で迷っていました。それでゲ−ムでも何でも、とにかく書かれているプログラムを作って、動かしている内にいつか、全面突破といいますか、厚い壁を通り抜け向こう側にいる事に気が付きました。分からないことを自習で理解する方法の一つは、分からないままでも、ある程度情報量を蓄積すれば、解るということです。
 叔父は、舞鶴のコンピュ−タ−教室に通い学習しましたが、その当時は、コンピュ−タ−を自分の物にできた人は、数パ−セントに過ぎないと云われています。
 当時は、情報処理をするメモリ−が少なく(128Kバイト)文字入力を間違えてもそのままで確定させ、後で訂正すれば無難ですが、入力の途中で訂正を繰り返すとコンピュ−タ−がハングアップ(フリ−ズ)してしまい、リセットするしか処置無しになる状況でした。作った文章を保存する、ファイル操作を部分的に学習せず、テキスト通り全部できてから保存するようなことでしたから、何回やっても次段階の学習に進まず、リタイヤを余儀なくされたわけです。
 現在は、ワ−プロなどアプリケ−ション・ソフトも進歩し、誰でも使えるようになっています。
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余話:
猿でもわかるコンピュ−タ−
 今日のコンピュ−タ−は高性能になり、話題のWINDOWS98、インタ−ネットの時代です。ワ−プロなどのアプリケ−ション・ソフトの日本語変換も進歩して、誰でも使えるようになりました。
 当クラブの会員であった故梅原三郎先生は、歴史研究の講演原稿づくりに、上手くワ−プロをお使いになっておられました。初めてお伺いしたときは、Aキ−を押されると、ああああ・・・と連打され、「先生、ピアノタッチです」の状態でしたが、すぐに上達されました。歴史上の人物や用語は当然、当用漢字の変換になく、JISの第2種の特殊漢字でも出ないものが多くあり、常に大冊のJIS漢字コ−ド表を使われたり、文字を偏と旁から合成されたり、普通私達がしないご苦労をされていました。
 「猿でもわかるコンピュ−タ」というシリ−ズの学習書があります。先生からインタ−ネットもしたいと言われ「先生、猿でも分かると書いてありますから」と申し上げますと、「わしは猿にも劣る」とジョ−クを云われていました。
 それでも先生は、最新のペンチアムという高性能で、WINDOWS95を組み込んだ2台目のコンピュ−タ−を買われ、インタ−ネットやマルチ・メディアにも挑戦されていました。その努力に頭の下がる思いがしました。
 私の会社の売上などの営業伝票処理は、私の作ったプログラムを使っています。最初、福知山のソフト屋さんがシ−ケンシャル・ファイルを扱う、プログラムを持ってきましたが、全く使い物になりませんでした。それで、どこからでもデ−タの引き出せる、ランダム・ファイルという形式で、得意先(500件程)と製品(3000件程)のリストをつくり、コ−ド番号を入れると、そのデ−タが引き出せるようにしました。
 売上伝票(納品書)は、この得意先と製品のリストを参照して、年月日、数量などを追加した、ランダム形式のファイルです。請求書はさらに残高ファイルなどを参照して発行します。
自分で作ったプログラムは簡単に組み直して、必要な集計をその都度自由に処理できるので非常に便利です。BASIC言語ですが、DOS変換して、EXEタイプのプログラムにし、複数のコンピュ−タ−を連結して、WINDOWS95上で走らせていますが、プリンタ−がNETに対応できないのが難点です。
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余話:
水平器の精度について
私の会社は、水平器の製造メ−カ−です。水平器は、家などの建造物を建てるときに水平・垂直を測定するために使用する、現場工事用の測定工具です。水平・垂直と一口に言っても、絶対の水平・垂直とは異なり、実際には誤差があり、あらゆる測定器を使用する場合と同様に、精度という概念が必要です。
 水平器は大きな建造物を建てる際に使用するので、1メ−トルについて0.5ミリの精度が要求されます。たとえば2間(4メ−トル)の部屋の両端で、最大誤差2ミリの精度ということです。これを角度に直すと約100分の3度になります。とても直径20センチ位の分度器で測れる精度ではありません。
 傾斜・勾配のある面を測定する場合、水平器と同じ気泡管方式の勾配計を使えば、設定勾配の精度が、この100分の3度で得られます。スラントル−ルという測定器も製作していますが、これはせいぜい0.3度が計測できる最小単位であり、精度です。
 長さの測定器に物差しがあり、ミリ目を使って計ると0.5ミリは得られますが、100分の3度の精度は、ノギスという測定器を使って測定する場合に、20分の1の副尺の部分を使用しますが、それが100分の5なので、それ以上の精度となります。100分の1を計るダイヤル・ゲ−ジの測定精度に相当します。
 水平を測定するには、気泡管を使用します。これは内面に曲面をつけた管の内部に液体を詰め、気泡を残したものです。水平器は、これを定規となるものに取り付けた測定器です。気泡管には、気泡を挟む目盛線がつけられており、水平器を測定する物体に当て、気泡が目盛線の中央になるように、求芯という作業をすると、この所定の水平精度を得ることが出来ます。
 よく精密水準器と混同されますが、これは普通は水平精度を計る測定器でなく、物体の平面精度を検査測定するための測定器で、2ミリ目を移動すれば、いくらの傾きかを測り、平面の真直性計測の測定器です。汎用の水平器は、目盛線と気泡の両側の間隔を一度に比較する方法で、容易にこの精度が得られるものです。
 気泡管の感度という概念があります。内面曲率の大きな気泡管ほど、高精度の感度が得られますが、汎用作業に使用する場合、気泡がなかなか止まらないので使いづらいと言われます。気泡液は浸透性のある液体を使用し、気泡が容易に移動できるように製作されています。
 気泡管はそれ自体で、その感度に相当する、水平精度を得られる絶対的な測定器です。水平器の前後(左右)を振り替えながら、測定面と気泡管を取り付けた定規の双方を調整するわけですが、これは、かなり難しい作業なので、メ−カ−の基準水平定盤で、あらかじめ水平に調整したものを販売しています。
 このことは、世の中の建造物の水平・垂直が、当社の基準の水平・垂直のコピ−で決まるという、何とも恐ろしい概念になります。宗教大本の教義である「立て替え・立て直し」は精神的・社会的なものですが、それに相当する物理的行為を、当社のレベルでやっているわけです。
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余話:
最近の職人さんの話
またもや、NHKの朝ドラを引き合いに出しますが、「天うらら」という番組が昨年放送されていました。「うらら」という若い女の大工さんの成長を描いたものですが、教えた松匠という工務店の親方の職人気質がよかったと思います。
 大工、左官など建設関係の職人は、以前は年季奉公というような徒弟制度の技術習得をして、1人前の職人として認められていたと思います。鋸や鉋や鑿の1つにしても、自分で道具を選び、歯を研ぎ、調整して使っておられましたので、私など素人には決して貸してもくれませんでした。
 ところが時代が変わり、現在の建築労務者は仕事をしたその日から、もう職人という具合になっています。道具も自分で選び、調整するという技術が全くない人が殆どとなりました。それで道具のメ−カ−がそのままで使用できるように、全てを整えた道具を売り、場合によっては、オルファ−カッタ−のように使い捨てで使用していくものまで、売られるようになりました。
 道具に対しても専門的な高度の知識が少なく、道具の善し悪しの判断も分からず、使用する方法、仕事の手順も曖昧なままで、作業をされる場合も多くなりました。また工具を販売される金物屋さんなども、扱い商品の道具について、専門的な知識のないまま販売されることも多くなりました。
 クレ−ムが発生した場合、ときどき常識外れのクレ−ムがあります。水平器の場合も、とんでもない使い方をされていたりします。また水平・垂直は少し冷静になって離れた所から見ると、周りの取り合わせ、うららのよく使っていた言葉、「おさまりが、良い・悪い」から、おかしいとわかりますが、いまの作業者は、それが分からないままに仕事をしてしまったと言うような、クレ−ムを起こされることがあります。
大きなビルの窓枠の取り付けを、買ってきたばかりの水平器を使って取り付けた。他社の水平器と比べて狂っているので、全部の材料・仕事を弁償しろというクレ−ムがありました。
 水平器は感度の良い方が、正確な水平精度が出ます。これは、感度の悪い水平器と比べると、逆に狂っていると勘違いをされることになります。さらに水平器を窓枠の左右の両側に当てて求芯をするのが、垂直の測定法です。使い方を知らないまま、片方だけ当てて仕事をしたということでした。離れた所から見てみれば、窓が傾いているのが分かるはずでしょう、というとその通りでした。使用人の失敗の口実にされたというのが、クレ−ムの実体でした。
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例会スピ−チ       99年2月19日
           ゲスト:上原渥美綾部市教育長
              「教育の現況について」

私が福祉法人、綾部作業所に関わったいきさつ
もう4年前になりますが、私が社会奉仕委員長の時に、あやべ作業所・共同作業所で例会を持ち、当クラブの例会出席ワ−スト記録をつくたことがあります。 「作業所参観とグランド・ゴルフ交歓会」を計画し、ロ−タ−・アクトにも手伝っていただいて、車椅子などの障害者をエスコ−トして、グランド・ゴルフをプレ−しました。大島功会員が、ずっと車椅子をおし世話をされていた、辛そうに見えた女性が入賞され、白い歯を見せてうれしそうに笑っていられたのが印象的でした。事業としては成功で、障害をもつ仲間に喜んでもらえ、地区の社会奉仕、環境保全委員長会議の両方で報告するなど、地区からも注目をいただきました。
私と作業所のつきあいは古く、綾部RC会員だった、渡邊泰人氏のご依頼によるもので、そのいきさつを話します。
 四方八洲男氏が綾部に帰られ、幼稚園のPTA会長をされた時に、ねむのき学園を主宰していた宮城まり子さんをゲストに迎え、講演会をやりました。綾小PTAも共催で、私は当時4年生の学年委員長で協力しました。宮城まり子さんは、共同作業所の設立に使って下さいと、多額の講演料を全部寄付されました。
 翌年、綾小PTA会長に四方八洲男氏がなられ、障害児教育推進部会を設立して年度を終わられました。私が会長として、障害児部会の初年度を計画することとなり、スキ−・ツアのバスで一緒した渡邊泰人氏に、どんな活動をすればよいのか教えを乞いました。丁度中丹養護学校設立の動きがある中で、あまり重度でない障害者施設を見学し、子供の目線まで腰を低くして、障害児の子供達と遊びなさいと教わりました。
 向日町の養護学校を、また市の連P会長も兼務しましたので、連Pでは精華町の養護学校の見学を計画し、多くの参加をいただいて実施できました。
狭くなった綾部共同作業所の建設と法人化を目指して、準備委員会が設置されることとなり、委員長の渡邊泰人氏の来社を受け、委員の就任を依頼されました。初委員会に出席しましたが、病気で渡邊泰人氏は欠席され、2回目の委員会も欠席されたまま故人となられてしまいました。私は故人の意志を伺ったままで、一度もその後話すこともなく、人からものを頼まれる最後の機会に立ち会えたのだと、厳粛に受けとめている次第です。
現在は、作業所の監事をしていますが、福祉法人も今日では、監査報告に加え、監事意見書を独自に京都府等の監督官庁へ提出を要請される時代となりました。
 追記:その時の綾小PTAのスタッフは、この初代障害部長に現市民新聞記者の塩見洋子、同和部長は、現市会議長の鹿子木旦夫、ひこばえ部長は、たんたん文庫お話のおばさんの小谷小夜子、企画委員長は、現商工会議所専務理事の梅原陽介、副会長は、コ−ラスすみれで活躍されている上田初美(いずれも敬称略)などのメンバ−で素晴らしい出会がありました。
 高校三原則で厳しかった、京都の教育行政が変わり、綾高に2、3類の課程ができるのをきっかけに、第2体育館の設置陳情に藤原校長と京都府庁に行きました。
 知事選に出馬される直前の荒巻禎一副知事にお出会いでき、府教委より北部教育振興の施設として府議会に上程されれば、確実とのご返事をいただきました。
 四方八洲男氏が綾高PTA会長の時に体育館が竣工しました。綾中創立50周年の同窓会実行委員会でも、本部委員として、四方八洲男同窓会長に協力しました。
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例会スピ−チ     99年2月26日
親睦例会       ゲスト:城崎勝平綾部高校教諭
  「園芸について」

大雪の夜のコンサ−ト
大阪から疎開してきた関係から、ドストエ−フスキィの「罪と罰」が小学生時代の私の愛読書だった話を、以前の例会でしましたが、音楽の方はラヴェル作曲の「ボレロ」でした。あの終わりのない様な繰り返しの、でも変化に富んだ曲を、たった1枚しかないLP版?のレコ−ドで飽きもせず聴いていました。
 私は耳が悪いので、自分の声の音程が判らない全くの音痴ですが、大のクラシック音楽のファンです。今は忘れましたが、ステレオの名曲集に凝っていて、チャイコフスキ−の「悲愴」やガ−シュウィンの「ラブソディ・イン・ブル−」など好きですが、シンフォニィもピアノ協奏曲もバイオリン協奏曲も何でも来いで、聴きまくっていたものです。
 福井クラブの方に聞くと今は無くなったそうですが、福井県庁の近くに祇園?神社があり、縁日ともなれば、屋台が並び、見せ物や、木下大サ−カスなどで賑わったものです。そこをぶらついていると、ヨハン・シュトラウスのワルツ「美しき青きドナウ」の曲が聴こえて、見ると水曜会と書いてあり、入るとステレオの下に、水色のシ−ツを扇風機で翻した演出がしてありました。
 いまは周囲の立派なビルに押されて、見る影もありませんが、当時は大きく感じられた福井繊維会館があり、「労音」が開催されて毎月聞きに行きました。当時の地方都市では「労音」だけが、内外の演奏家による、生のクラシックの名曲を聴ける唯一の機会でした。
富山の不二越では、独身寮に入りましたが、自分で巨大スピ−カ−を設計製作して聴いているマニアもいました。六畳の個室のかなりの部分を占めており、寝るときはどうするのかという感じでした。現在立て替え中ですが、富山市民会館で開催される「労音」に、先輩達や仲間と連れだって出かけるのが常でした。
サンパチ豪雪という言葉を覚えていますか。昭和38年は豪雪に見舞われ、不二越ののこぎり屋根の雪下ろしを総出でやりました。雪を切り出す人、トタン板に綱をつけて降ろす人、降ろしても周りは2階に届く程の雪の中でした。
 その夜は「労音」が開催され、バスは勿論なく、大変な雪道をてくてく歩いて市民会館にたどりつきました。集まった人が少なく、イ・ムジチ室内楽団の演奏する、ヴィヴァルディ作曲の協奏曲「四季」を、緞帳をおろしたステ−ジの中で聴きました。欧州の王侯の聴いたという、室内楽そのものの雰囲気でした。
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余話: 990308:寡父母家庭新入生励ます会に出席のため、
      ロ−タリ−の森アフタ−ケア例会を欠席

空き缶の見る夢
  4年前になりますが、空き缶ポイ捨て防止大作戦という事業を、ロ−タリアン、ロ−タ−・アクタ−、作業所の仲間の皆様にお世話になりました。
 社会奉仕委員会として例年の活動に加え、障害者福祉の取り組みとして、綾部作業所の参観とグランドゴルフ交歓会を計画していました。ところが早朝清掃の空き缶拾いなどをやっている内に、たしかに街は一時は綺麗になるが、問題は空き缶を捨てる人自身が、回収作業に関わっていないことだと思いました。
 10月頃ですか、地区の環境保全委員の指名が綾部クラブにあり、社会奉仕委員長の私に出向せよとのことです。これは何かしておかなければと思いました。
その時に鉄工組合の関係で、コンピュ−タ−NETを構築する研修会があり出席すると、府のカウンセラ−をされている、田崎央氏が講師でした。驚いて地区の次年度環境保全委員長ではとお尋ねすると、綾部理想都の代表でもあり、さらに工業団地に建設中の本田味噌の本田茂PGが諮問委員だと云うことでした。
ちょうど会社のゴミを入れている、ボ−ル函製のドラム缶タイプの廃材容器がありましたので2個用意し、ロ−タ−・アクタ−と作業所の仲間に絵を描いていただき、活動のシンボルとしました。絵は@ポイ捨てされた空き缶が、自然を汚し花や虫をいじめているA集められた空き缶は、リサイクルで新しい資源として生まれ変わるB空き缶を主題にした一坪花壇で、花と子供達に囲まれている・・の3場面でした。
 伴仲博司会長にもアドバイスをいただき、5回の早朝清掃、ロ−タリ−の森ケア、鮭の稚魚放流、作業所の訪問例会、一坪花壇など活動全部に、この容器をシンボルとして持って回り演出に使い、周辺の空き缶の回収を行いました。
 特にひどいと思いましたのは、鮭の稚魚を放流をする、花壇公園の対岸を草刈りして準備したときです。白瀬橋の上から捨てられた空き缶、空き瓶、ふとんの類まで散在し、回転草刈り機も使えない様子でした。水の中の物は流されますが、岸辺や橋詰めまで由良川の流れの大部分は陸地で、捨てられた、ごみの量にぞっとしました。峠の上など空き缶ポイ捨て凶悪地帯を清掃する方が、PR効果があると思います。
 作業所の空き缶プレスの処理などを見学した例会では、私の不二越時代の堀野正美先輩がアルミ缶リサイクル協会の専務理事をしており、ポスタ−やリサイクル資料を提供してもらい、卓話や展示に利用しました。
 この大作戦の最後の展開は、由良川花壇公園祭りの参加でした。プレスした空き缶の板、空き缶で立体的な面を構成し、仲間がアルミ缶で作ったみこし(祭り=平和)/ハ−ト=愛/太陽=希望/みつば=みどり/星・百武彗星=願いを、空き缶と、色とりどりの花で表現。障害者の仲間に製作をお願いしました。
 創った一坪花壇「空き缶の見る夢」で市民に、「綾部の美しい自然を守りましょう」のアピ−ルをした活動となりました。
 この事業は、諮問委員の坂部慶男PGに夢があると褒められ、地区の環境保全委員会表彰を受けることができました。表彰盾は、最終例会に届きました。
 表彰は、簡単に貰えるものだと思っていましたが、地区委員になってから、膨大な資料の持ち回りの審査会があり、三国RCの油回収と、京都中RCの子供対象の自然学習活動の2クラブの受賞であったことから、かなり意義のあるものだと、後になって知りました。
 ロ−タ−・アクトとの合同早朝清掃などは、例年行事ですが、この様に個々の活動を連携させることで、障害者問題と環境問題を同時に取り組み、進行させることができました。コスト・パフォ−マンスを考えると、殆ど費用のかかっていない事業活動ですが、地区表彰を受ける事ができました。
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例会スピ−チ         99年3月13日
合同地区大会         家族同伴会員旅行

ロ−タリアンの趣味(7クラブロ−スタ−より)
 一年間、会長スピ−チで、私の趣味のあれこれを話しますので、皆様の趣味について調べました。隔年ごとに作成される、最新版の中丹7クラブの会員ロ−スタ−に記載された趣味を集計しました。
 この趣味は入会の時に自主申告されたものと思われますが、中途で変更される人もあるのか、不勉強で分かりません。ただ今回会長になり、7クラブの会長・幹事会に出席して、例えば福知山RCの谷村紘一会長のご趣味はシングル・スカルなどと、あらかじめロ−スタ−で調べておき、話し相手の趣味が分かっていると、非常に付き合いやすいと感じました。
 ロ−タリアンの趣味はやはり、ゴルフが断突の1位で188名(38%)です。ロ−タリ−はゴルフの話題で賑やかなのが頷けます。スポ−ツについて、2位:スキ−・スノ−ボ−ド25名(5%)、3位:登山14名、ハイキング、ワンゲル、キャンプ各1名の計17名(3.5%)、4位:硬式・ソフトテニス計11名、5位:ジョギング・散歩10名、6位:野球7名(今回、峰山クラブがRCの野球大会で甲子園に出られ全国優勝をされましたが、7クラブで合計7名とは変ですよね)7位:ヨット・マリン5名、8位:水泳4名です。バドミントン、ゲ−トボ−ルが各2名、ソフトボ−ル、バレ−ボ−ル、バスケット、卓球、陸上、ボ−リング、スケ−ト、ア−チェリ−、乗馬が各1名です。趣味がスポ−ツとされる方が42名ありますが、野球、サッカ−、相撲などのスポ−ツの鑑賞が主と思われますが、スポ−ツ全般の意味で自分でやられる方も含むようです。
 全般的な趣味の2位:読書104名(21%)、3位:旅行98名ですが、ドライブ6名、温泉1名の計105名は、読書を抜いて2位となります。旅行がロ−タリアンに人気があるという分析を基に、荻野良一親睦委員長に、以前のようなロ−タリ−の家族旅行も楽しいのではと申し上げましたところ、本日の素晴らしい家族同伴会員旅行を計画していただきました。
 3位:釣り66名(13%)、4位:囲碁51名(10%)で福知山西南クラブさん、初のRC囲碁大会お世話様です。勝負事は、マ−ジャン16名、将棋4名です。5位:音楽46名(9%)は、鑑賞および自分で演奏される人も含みます。カラオケは1名でした。6位:園芸・庭いじり32名(6%)、7位:写真・カメラ・8ミリ26名(5%)、8位:絵画・美術22名です。映画・TV・観劇9名、歴史・研究4名、古美術7名、英語1名、コレクション7名の中には、蝶採集やステンドグラス収集家などもあります。料理・グルメ6名、土いじり・水遊び1名、日曜大工・建築4名、陶芸4名、詩歌活動では、俳句6名、短歌4名、川柳1名、作詩1名です。茶道3名、書道2名、歌舞音曲では、謡曲4名、詩吟4名、小唄2名、邦楽・和太鼓5名です。パソコン8名はまだまだ少ないようです。アマ無線2名、趣味の極め付きは、グ−タラでした。
 趣味総数は866件です。会員数は497名、一人平均1.8件の趣味申告です。私などは4つ申告しましたので、一般的に趣味は1つか2つと云ったところでしょうか。
 ロ−タリ−は趣味の会とはほど遠い、趣味は不謹慎と真面目に考えられ過ぎか、あるいは趣味は仕事という方もありましたが、仕事人間が多く、本当に趣味を持っておられないのか、趣味は、ゴルフだけで満足されている方が多いのかと分析します。
 7クラブの会長幹事会で、新規の会員ロ−スタ−作成の折に、この趣味の欄を、会員に補充していただく機会を提供されるように進言するつもりです。多分入会時の申告は、ロ−タリ−とは真面目な所であるとのみ考えられ、趣味は読書やスポ−ツ(種目も、鑑賞か実践かも不明)などで済まされてしまい、そのままの方が多いと思われます。
 楽しいロ−タリ−造りに趣味の豊かさは欠かせない要素なので、無趣味人間〜趣味は仕事人間を問い直して、例会の話題の花をつくることも大切だと思います。
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例会スピ−チ 99年3月19日
            卓話:西田好三会員
              「介護保険制度について」

3度死にそうになったスキ−・ツア
 「恐いのが面白い」がモット−の私ですが、3度死にそうになったスキ−・ツアの話です。5時に会社を終え、スキ−用具を抱えて、リュックを背に会社の先輩方と富山駅に駆けつけました。列車は超満員でデッキの入り口で支えてしまい、スキ−を抱えて、もたもたしているうちに列車が動き出しました。がたんと揺れたとたん、はじき出され、気が付いたときは、プラットホ−ムを外れたばかりの地面に落ちていました。列車は急ブレ−キをかけて止まり、慌てて乗り込みました。デッキがやけに高かったのを覚えていますが、今度は中に入れてくれました。
 その日は、白馬山麓の細野部落の民宿に泊まり、翌朝早く、白馬兎平に直行のゴンドラ・リフトに並びました。快晴でした。
 うさぎだいらで、気持ちよく滑っていると、突然強風が吹き出しました。山おろしの突風でした。仲間ともはぐれ、立っているのがやっとの状況で、積雪をどんどん巻き上げる、大変なブリザ−ドでした。雪の粒が飛んできて顔に当たり、痛いのと、寒いのとで、顔が凍り付きました。上へ歩こうにも、休み休み、風の具合を見ては、2歩前進して1歩後退する状況で、やっとモ−タのあるロ−プ・リフト小屋にたどり着きました。一坪ほどの小屋は超満員で、何とか風をしのげました。小屋から見ると、顔につららをつけた人が何人も倒れていました。
 そのうちに誰かロ−プを輪にして、中に人を収容しながら、集団の力で上がってくるグル−プが活躍し始め、皆が救われたようでした。
 風が止み少し滑りましたが、下りることになり、リ−ゼン・スラロ−ムという、国体滑降コ−ス(本年のオリンピック・コ−スにもなった)を滑り始めました。この冬は積雪量が少なく、例年よりも幅の狭い大変な難コ−スでした。
 途中転倒してしまい、アングリ−メンというスキ−バッケンが外れ、スキ−を外すこともできず、ウェアもビニ−ル系の滑る素材のもので、カチカチの氷雪の急斜面を止める術がなく、ずるずると急斜面を落ちる一方でした。巻き込まれるのを恐れて、誰も眺めるだけで止めてくれず、日も暮れ、暗くなってきた中であせりました。結局手袋を脱いで素手を氷雪に当て、やっと止まることが出来ました。ずいぶん長い時間を斜面を止まっては、ずるずると落ちていたと思います。
 この日、白馬稜線直下の第3ケルンでは、6名の犠牲者が出ました。
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余話:
私のスキ−・アラカルト
子供の頃は雪が多く、神宮寺の一番奥にある山の神に住んでいましたので、友達に教えられて、青竹を火であぶり先を曲げ、箱に打ちつけて、はこぞりを作り、近所の子供と遊びました。
 富山の不二越に入社して、先輩に教えられ総曲輪のスポ−ツ店に行き、みずなら材の金田のスキ−とダ−クホ−スの靴を買いました。全部で給料1ヶ月分より高かったと思います。スキ−は金属製のエッヂが付いていましたが、よく折れて外れ、行く度に修理をしました。バッケンは、ト−ピ−スだけに、一応セ−フティの付いた、ガンダハ−式のものでした。靴は馬革製のすごいもので大奮発しました。
 その年は、糸魚川の魚津スキ−場、大川寺スキ−場、宇奈月スキ−場などに行きました。我流で滑っていましたので、あまり上手くなれませんでした。立山の春山スキ−に職場の先輩達と行きました。美女平から雪上車(ウィ−ゼル)に先輩達はロ−プで引っ張って貰いましたが、私は不慣れなので上に乗りました。
 弥陀ケ原ホテルは完全に雪の下でした。雪のトンネルを中にはいると、スト−ブで山男が目刺しを焼いていました。思わず唾が出ました。以来私も山小屋で目刺しを焼くのが夢になりましたが、未だ果たせません。
 未明に一人起き出し、星の残っているホテルの前で、山回りクリスチャニアの練習をしました。完全に凍れている雪面なので割合簡単に成功しました。この頃は、猪谷千春というオリンピック選手が活躍し、ジャンプ・クリスチャニァという回転技術が脚光を浴びていました。私も飛んだり跳ねたりしてみましたが、基礎が出来てなく、とうとう出来ず終いでした。美女平までの長いコ−スの山スキ−を楽しみました。
 翌シ−ズンの11月23日の勤労感謝の日の連休で、立山に初滑りに行くこととなり、弥陀ヶ原からは歩いて、立山稜線の一の越山荘で宿泊しました。まだ滑るだけの雪は積もっていませんでした。一夜明けると寝ている間に降雪があり、美女平まで滑ってスキ−を楽しみました。
綾部に帰ってからも、ずっと家族で滑っていましたが、地元のスキ−同好者の集まりである、四峰スキ−クラブに入会しました。スキ−協会の志賀高原ツア−にも、子供のつきそいを口実にして、若い方々の中にまじって参加し、スキ−・ナイトの懇親会で乾杯の役をやるのが常でした。
 若い人たちとは到底、滑降タイムが合いませんので、今枝俊毅君と綾部クラブ対抗戦などの選手権に出て、2人だけのタイムで、百分の一秒差の大回転滑降を争うのが楽しみです。
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例会スピ−チ     99年3月26日
親睦例会         卓話:楠正人会員
               「人生の受け止め方」

綾部に疎開したこと
私は昭和20年、小学3年生のときに、大阪から父の故郷である綾部に疎開してきました。人で混んだ深夜の汽車、トンネルに入ると煙がもくもくと吹き込んできて、息苦しくなりながら真っ暗な綾部に着きました。駅を出るとすごい大雪が積もり、しんしんと雪が降っていました。
 駅前通りを真っ直ぐに上がった、神宮寺の山の神に疎開先の家を確保してあったのですが、大雪の中を小さな子供連れでは、動きがとれないということで、駅前にある境組さんのお宅に泊めていただきました。朝起きると日に照らされて大雪がまぶしく、手水鉢に氷が張っていたのを覚えています。
 父は綾部の奥にある弥仙山の向こう側、舞鶴の上根で生まれ、畠山姓でしたが、子供の頃に山を越えたこちら側の於与岐に養子に来て、鍋師姓になりました。養子先の家はとうの昔に無人になり潰しましたが、弥仙山の麓にある、みくまり神社に一番近い家で、両墓制で、山麓の竹薮の中に埋葬墓もありました。
 父は子供の頃、大本開祖の出口なお様が白馬に乗って、弥仙山の滝までお水ごりに、通われるお姿を拝見したそうです。
 父は百姓が嫌で、綾部に出て境組に奉公し、北西町の三つ丸を建てる時に働いていたそうです。大阪に出て建築師になり、小寺の祖父に頼まれて貸家を建てていたようで、北田辺の一画には父の建てた家が並んでいます。
 小寺の祖父は、大阪勧業博覧会で水平器のヒントを得て、大正8年に日本で初めての国産の水平器を発売しました。父は祖父に見込まれ、長女と結婚しましたが、祖父が亡くなった時、港区の市岡にあった工場をまかされていたようです。
 今、当社の会長をしている叔父は、学校へ行っていましたが、海軍に徴兵され、水兵の通信兵として戦争に行っていました。舞鶴海軍工廠の仕事の関係もあり、疎開先に綾部を選び、昭和19年に設立されていた、アカツキ木工所を買収しました。
 戦後しばらくは、樫の木で木製の水平器を作り、生木なのですごく曲がったのを覚えています。空襲で市岡の工場が焼け、父が、火の粉を被って穴の空いたボロボロのオ−バ−を着て綾部にたどりついたこともありました。焼けた工作機械を綾部に運び修理して生産を再開したようです。叔父は進駐軍に支給されたアメリカの兵隊服の格好で綾部に帰ってきました。
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表彰式祝辞:   99年3月28日
             ロ−タリ−杯少年野球表彰式

甲子園めざして頑張って!
 3月14日から始まりました、このロ−タリ−杯・少年野球大会も本日が決勝戦でした。優勝された綾部ファイタ−ズの選手諸君に心からのお祝いを申し上げます。また準優勝されました、中筋ジャガ−ズの選手諸君も良く頑張っていただきました。
 表彰メタルを藤村宏青少年委員長と2人で、両チ−ムの選手諸君一人一人に掛けさせていただきました。選手諸君には、今回が初めてのメタル授与になり恰好いいと、例年人気があると聞いております。記念として大切にしてください。
 今シ−ズン初めての春先の大会ということで、先程、野球協会の滝下昇一会長さんから、お話がありましたように、まだまだ練習を重ね上達いただくことが必要だと言うことですが、本大会の決勝戦進出チ−ムの皆様には、京都府下大会でもご活躍いただくということを、聞いておりますので一層頑張っていただきたいと思います。
 春の選抜大会に京都北部から初めて、峰山高校が出場することになっています。先日、峰山ロ−タリ−クラブの40周年があり、峰山に行って参りましたが、町挙げての熱心な応援がされていました。峰山クラブの稲穂寛会長や増田圭一峰山町長にお聞きしたのですが、全国に町の名を知ってもらえる素晴らしいことだと言っておられました。
 選手諸君には、日常の練習に努力して、試合の勝利を重ね、あるいは敗戦の反省をバネとして、素晴らしい上達をする機会に恵まれています。甲子園出場を目指し、先生方の指導に応え頑張っていっていただきますよう、お祝いと激励の言葉といたします。
 最後になりましたが、熱心に応援をいただきました大勢の選手仲間やご家族の方々、本大会をお世話になりました滝下昇一綾部市野球協会会長をはじめ、試合審判、少年野球の育成に携わっていただいている皆様方に心からの御礼を申し上げます。まことに有り難うございました。

追記:綾部高校が京都府下で準優勝し、大津市の皇子山球場の近畿大会で、和歌山の御坊高校に勝てば、春の選抜大会の甲子園出場ということであった。綾高PTA会長として、応援団や家族会の人々に混じって応援した。「声を出せ、声を出せ!」地方都市で応援席のある球場経験が少なく、折角の甲子園出場経験校が来綾し練習試合をしても、校庭グランドの対戦なので場慣れがなく、萎縮を一番心配しての応援であった。善戦したが、今一歩及ばなかった。綾高が甲子園に最も近づいた時であった。
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例会スピ−チ   99年4月2日
           ゲスト:楠文範舞鶴RC会員
               「私的めん喰い報告」

泣き虫のこと
 女の子達が云う。「手を出して」。私はおずおずと手を差し出す。女の子は手を取り、一人が指を輪にして手首を握り、交互にずらしながら云う。「おなべす、おなべす」。私はわっと泣き出す。また女の子が囃し立てる。「なべなべ底抜け、底が抜けたら帰えろ」。私はわっと泣き出す。
 本当にどうしようもない程の泣き虫でした。病気がちで、苦い薬を飲むのが嫌で、三角の飴をもらえるので飲んだ事を覚えています。赤トンボの歌のように、ねえやがいて、いつもおぶってもらい、ぐずっていたそうです。
 小学三年生の時に疎開してきて、一緒に暮らしていた母の妹の二人の叔母を、大きい姉ちゃん、小さい姉ちゃんと呼んで育ちましたが、私は負けず嫌いで、廻り将棋でも、ババ抜きでも負けては、勝たしてもらうまで泣いていたそうです。
 疎開児なので友達もいず、同級生は山育ちと云って良い程のバイタリティにあふれ、チャンバラゴッコなどで野山を駆け回っていました。たまたま仲間に入れてもらっても、八幡さんの坂道に崖崩れの恐い場所がありましたが、そこを覗き込まされて落とすと脅かされたこともありました。
 家から学校までは、山沿いの道を通学しました。池があり、竹薮がありの恐い通学路でした。それでも空襲警報が鳴ると、さらに山の中にある山道を走って帰りました、薄暗い立木の中の山道でした。
 虚弱児でしたので、整列の時に起立と言われてもじっと立っておれず、また顎を締めてと言うことが全く分からず、叱られてばかりいました。
 私は体育が全くの苦手でした。棒登り、跳び箱、懸垂など全く出来ませんでした。どんなに跳び箱を低くしてもらっても、跨ることがやっとでした。友達は皆が高い跳び箱を難なく飛び越すので、すごいと思いました。遠足も途中でリタイヤするのが通常でした。
 私が初めて喧嘩をしたのは、中学の卒業式の時です。式場に入るとき身長順に整列しましたが、私は前から3番目で、その前の子と震えながら喧嘩をしました。
 本当に皆からよく泣かされていましたが、現在よく云われる「いじめ」という感覚は全くありませんでした。今日、育友会や同窓会の役などをやると、同級生の女性からも、あのおとなしい人がと云われます。
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泣き虫余話(私の名前)
 鍋島、渡辺など「なべ」のつく名前はかなりありますが、子供の頃は、そんなことを知らなかったので、「おなべどん」を連想する鍋師の姓が嫌で、たびごとに先生達からも珍しかしがられ、綾部に良くある、四方、塩見、大槻などの姓を羨ましく思っていました。
 時には「鍋師有:なべしゆう」を「なベしあり」と読んで、「ベ」を抜いたら「なし・あり」になる珍しい名前だと言われたこともあります。今は同級生などから「なべちゃん・鍋さん」とよばれると、嬉しいばかりです。
 「有」の方も大変でした。名前の点呼に続き、私の名前を引き合いにして、黒板に「有」と大書され、左半分に「無」と大書して、英語の授業なのに、お寺さんの先生だったらしく、般若心経や平家物語を引きながら、「有」と「無」の関係について、授業の半分以上も話をされた先生もありました。
 先生としては、悪気があったわけでなく、生徒に、諸行無常の無常心などの深遠な人生哲学を教えたかったのだと思いますが、引き合いに名前を出された私にしてみれは大変な気持ちでした。現在は、名前をジョ−クの種にされる先生は、おられないと思います。
 昨年は梅原康会長が「無の宇宙相」から一瞬にして、「有の物質宇宙相」に変化した「宇宙創造:ビッグバン」の話をされましたが、「無」と「有」の間には科学や常識では究明されない不思議な神秘があるようです。「有」という名前も大切にしたいと思っています。
 脱線ついでに、先週は父が、彌仙山を越えて養子にきた話をしましたが、そこが私の本籍地で東八田村の於与岐町大又宮谷・番地といいます。育友会の地区同和研修会で行った時に、こんなことを知りました。
 「およぎにいってもおおまたのおくはみせん」つまり「於与岐=泳ぎ」に行っても「大又=太股」の奥は「彌仙山=見せん」ということです。なんとも故郷の悪口を言う人もあるものだと呆れましたが、あとに続く宮谷というのが大切で、谷奥には産着や乳型を供えた、子宝を授ける安産の神様を祭る「みくまり神社」があり、昔は多くの参拝者があったと言うことです。つまり故郷自慢の「落ち」があると気づきました。
 先日、隣組の花見がありました。以前は近くの波多野記念碑の広場やお寺の部屋、公会堂を借りていましたが、昨年あたりから料理旅館でやるようになりました。当番組長の準備や、あとかたずけが楽なのと、年配者が多い中で、カラオケが歌えるので好評です。
 その中に東八田出身の方がおられ、「およぎに・・・」の言葉を知っておられましたので、これはかなり広く世間に流されていた言葉のようです。現在は大原神社に安産祈願に行きますが、以前には「みくまり神社」にも行ったと言うことです。父が大阪時代に寄進したという名前の入った鳥居が立っていますが、今は無人で、すっかり荒れ果てた神社になっています。
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例会スピ−チ 99年4月9日
ロ−タリ−雑誌月間   ゲスト:井田吉則井田園専務
               「日本のお茶」

綾部駅の北口開発を考える
 またまた私の失敗談です。雑誌委員長の時に地区の広報・雑誌委員長会議が、交通の要衝の地、彦根でありました。彦根は先年、綾部RYLAの講師をお願いしたメルビルさん、2001年度ガバナ−・ノミニ−の山崎時雄氏(彦根RC会員)の居住地です。
 京都から快速で彦根駅に着いたのですが、9割までの人が左に行かれ私もついて歩き駅前広場に出ました。問題は、会場がどこか分からないことです。鞄を探しましたが、書類を忘れてきており、手帳も会場を書き忘れていました。家も不在で、事務局も休日でした。
 記憶を探しましたが、完全に忘れていました。それでホテルだと思い、駅前のタクシ−にのりました。ところが彦根にはホテルがないそうで、大津か長浜のどちらと聞かれました。タクシ−は動く前でしたので慌てて降りました。
 仕方ないので、駅前の観光看板の旅館案内を見て、片っ端から電話しました。ロ−タリ−の会合と言うと、こちらでやっていますと言われ、迎えに行きますとのことで、駅前で待ち、迎えに来た旅館の営業車に乗りました。
 着いたところは、駅の反対側で昔の中仙道の街道筋の家並みが続く、歴史景観保存地帯にある旅館でした。上がって会議室に入ると、どうも様子が違います。あわてて出て聞くと、全国から集まった、釣りのサ−クル同好会の会合でした。まちがいを話すと、近所の喫茶店をやっているロ−タリアンを知っていると言って、電話で聞いてくれました。結局、彦根生涯教育文化会館が会場と分かり、また会場まで車で送っていただきました。
 彦根駅は多分橋上駅でした。日本の昔の動脈であった中仙道筋は、景観保存地域で、綾部駅の南と同様、山が迫っています。開けた琵琶湖側は、ス−パ−や会館が建設され賑わい、大津から長浜への環琵琶湖畔ベルト地帯になっています。
 綾部開発協議会の視察に参加し、園部駅、城陽駅などを見たことがあります。いずれも駅の反対側の建設は、これからの状況でした。綾部の北口開発促進同盟という団体があり、駅北の7町区と域内企業が参加しています。
 綾部の北口に将来、商店街、ルフトやモ−ルが出来るかと、この北口の総会にお見えになった来賓の、会議所副会頭の大槻實雄氏に聞きますと、駅前商工会のお立場と、西町再開発の難しい局面の最中でのご返事は、あり得ないでした。次の副会頭の松下耕樹氏に聞くと、井倉企業の一員でもあり答えは、当然でした。
 交通アクセスの良い北口の発展の可能性を思い、南北の協調発展を願うものです。
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例会スピ−チ 99年4月16日
              卓話:高橋昭雄会員
                「雑感/ゴキブリ」

初めての登山は剣岳徹夜登山
私の初めての本格的な日本アルプスへの登山は、剣岳〜大日岳走破の徹夜登山でした。不二越に入り、先輩に誘われ会社の終了を待って、不二越駅から地鉄に乗り、立山駅に7時に着きました。横の登山ケ−ブルを横目に見るだけで歩いて、称名滝につきその右側の急な八郎坂を登り、弘法平に着きました。昼間ならここから称名滝の全貌が見れるそうでした。私は初めての立山行なので先輩の道案内に従い、面白い登山のよもやま話を聞きながら、真っ暗な山路を、懐中電灯の光を頼りに、てくてくとバス道や間道をたどりました。
 弥陀ケ原から、美松坂、天狗平。室堂平へと、夜なので涼しい中を汗をぶるぶるかきながら上がり、地獄谷へ下りる頃には、卵の腐ったような臭いに悩まされました。しゅうしゅう、ぶくぶくと硫黄の噴気や溜りが夜目にも恐ろしく、懐中電灯の光に照らし出され、全貌が見えないだけに、いつ硫黄泉や噴煙の中に踏み込むか恐ろしい思いでした。地獄谷を経験するのも初めてでした。
 雷鳥沢を過ぎ、登りはきつく苦しみの連続でした。やっと剣御前にたどりつき稜線に上がれました。そこから前剣、蟹の縦這い、横這いの難所を経て、剣岳の頂上に着きました。山頂の眺めは、すごいの一言です。遥か富士山まで見えました。
 帰りは 大日乗り越しまで引き返したところで、急にガスって来て息苦しくなりました。少し離れるともう先輩の姿が見えず、離れないように歩きました。そこで雷雨に合いました。まわりで雷が鳴っているようで、先輩から金属製の物を外して、地面に伏せているように云われました。
 雨上がりは、すがすがしく元気を回復した思いでした。なだらかな大日岳の稜線を、今登った剣岳の勇姿を眺めながら、お花畑の山道を辿り、奥大日岳の頂上を経て、可愛い雷鳥に出逢った大日岳を走破し、広大な大日平に下りました。富山に帰り着いたら、ほっぺたの落ちるようなラ−メンやステ−キをおごってやるなどと、先輩の励ましを聞きながら、力を振りしぼって歩きました。
 牛の首から今度は、左の称名坂を下りましたが、足が笑うと云うのでしょうか、足ががくがくと勝手に動き、全くふんばりが効かない現象に悩まされました。
休憩を取りながらがんばり、滝に下り着きました。立山駅に着いたのは丁度歩き始めた時刻でした。私の初めての本格的な登山は、24時間の徹夜登山でした。
 この登山コ−スは、現在の私の体力では二日間の日程で廻っても、かなりきつく三日間コ−スです。
 山には、木製の古びた登山標識がよく似合いますが、すぐに傷みます。それで現在は環境庁の予算で作られた金属製の立派な近代的な標識にかわりました。地中から電柱の太さほどのポ−ルが立てられ、頭部を斜めに切って、そこに金属板がはめられ、大日嶽←・→室堂などと書かれています。人工物なので登山の趣向が殺がれる感じです。
 お花畑を縫う低木地の山道は、コンクリ−トで固められ、湿原を縫う山道も延々と続く立派な板張りの歩道となり、疲れる上に登山の趣向を殺がれるばかりです。植生の保護、自然の環境破壊の保全の必要性はわかりますが、こういった施設そのものが山好きから見れば、自然破壊ではないのでしょうか。環境庁の予算の使い方をもっと工夫してもらいたいと思います。
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余話:
親不知登山考
 以下は昨年、福知山市観光協会に送った手紙の要旨です:親不知に夫婦で熟年登山をしました。先年は林道が工事のため入れずに断念、向かいの青垣町の五台山に登頂。今回も林道入り口のゲ−トに阻まれ、引き返しかけましたが、丁度山の仕事師さんに出会い、ゲ−トをあけていただき、室の桜地蔵に駐車、帰路に再びゲ−トの開門をお世話になることを約して、登山を開始しました。
 林道終点より少し迂回して、荒木山−親不知の主稜線に出、なかなか良い山道で、ふるさと探検隊の記念ボ−ドなどを見ながら、90分で頂上に着きました。 頂上からは、アンテナ山を手前に、福知山市街、烏が嶽〜三岳山〜大江山、五台山〜多紀アルプス連山の遠望、右下には、豊富用水池の青い輝きなどを楽しみました。良い山なのに、登山者が一人もいないのは、もったいないと思いました。
 登山ガイドに依ると、「親不知とは珍名中の珍名であるが福知山側では聞かないと云う。福知山市街方面からは、山麓の室、市寺の名をとって室山、市寺山と云い習わしてきた」とあります。
 親不知、子不知の名で知られた、生き別れの難所が有名なので連想から、家内が、なにか姥捨て山の感じがするといい、親不知の由来を考えながら帰路につきました。2つ目の東に回るチェックポイントを間違えたのか、北に向かう稜線から抜けられず、引き返しましたが判らず終いで、覚悟を決めて北に向かいました。こちらも黄色のテ−プが散見できる登山道でしたが、室とは尾根一つ離れた、小野脇の林道に下りました。
 採石場の近くの市道に出、通りがかった青年の「困っているときはお互い様」の好意に甘え、室の林道入り口まで車で送っていただきました。本当に親切な気持ちの良い好青年でした。予定より1時間遅れで駐車場に帰り着き、待っていていただいた山の仕事師さんにも迷惑をかけました。
 思いがけない、お二人の方の好意で、親不知登山ができ、また一つ思い出の山ができました。福知山人の温かい好意に心より感謝を申し上げます。
 山中にコ−スガイドが殆どなく、下山ル−トが分かりにくく、整備されると市民の山として、もっと愛好家が増えると思います。
 老齢化社会の中で、次の民話創作をお薦めします。親不知由来噺し/室・市寺の孝行村(素案)/いつの時代の事ですか/室・市寺に年寄りを大切にする村がありました。/飢饉が起きました。/お役人:「口減らしのため、年寄りを差し出せ」/村人:裏の室山・市寺山に老人を匿い、村で世話をする。/役人:「親はどうした」の詰問/村人:「親はいずこにあるか知りません」=「親不知」命名の由縁/翌年またもや無理難題/役人:「お殿さまお国替えで余興をせよ」/若者:困った、どないするべ/年寄りの知恵が発揮/「どっこいせ節」で面目を施す=「福知山音頭」の原型/慈悲深いお殿さまの許しを得て、老若男女、晴れて仲良く幸せに暮らしましたとさ。/老人を大切にしてきた孝行村の創作民話です。・・/おそまつ。
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余話:
丹波の山登りの楽しみ
 ロ−タリ−をしていて不便なことの一つは、好きな山登りが十分にできないことです。登山と云えば日本百名山の記事が、皆様の頭に浮かぶと思いますが、私の登山は、有名な山は年に一度程度で普段は手近な丹波の山歩きをしています。家内と二人で、時には子供も一緒に今はやりの熟年登山で、年に十山を目標に登っています。特に雨の降らない特異日は、わが家の絶対の登山日になっています。
 綾部では、質山峠の霊山、四つ尾山、中筋の甲ケ岳、高津の高岳、位田の高城山、小畑の空山、東八田の弥仙山、蓮ガ峰、上林の君尾山、頭巾山、天狗鼻、・・・昼からでも一寸した運動に気軽に出かけ登れます。
 周辺では、和知の長老ケ岳、三和町の鹿倉山、多紀連山周辺の三嶽、小金ケ嶽、白髪岳、三尾山、摂津の剣尾山、亀岡の半国山、福知山の親不知、鬼ケ城、三岳山、氷上の五台山、宮津の大江山、明石岳、由良ケ岳、赤岩山、高竜寺ケ岳・・・丹波アルプスと言われる多紀連山は岩山も多く、一寸したスリルも味わえます。さらに足を伸ばして、粟鹿山、東床尾山、藤無山、氷ノ山、鉢伏山、総武岳、七種山、雪彦山・・・まだまだ登る山は無数に残されています。
 高山の場合は、登山口が便利で、ある程度高い位置から登り始めますが、平地から登る丹波の山でも山登りの所要時間は、同じ程度見込まれ、岩場などもあり結構な山登りです。頂上からの眺めも遜色なく結構日本海や瀬戸内海までも見通せる山があります。
 丹波の山登りは、日帰りで行けるのが便利です。ゴルフは勿論だと思いますが、テニスやスキ−などのスポ−ツと異なり、山登り自体には体力さえあれば良く、技術や練習が全くいりません。誰でも出来るスポ−ツなので、最近は熟年者や若者の姿も、便利の良い山では、かなり見ることが出来るようになりました。
 一方、山道さえ定かでなく、迷わないようにマップとコンパスを使いながら、テ−プを木に巻き付けて登る、文字通り無人の山も多くあります。孤独を楽しむなら、登山が一番です。鹿避けのネットが尾根伝いに張ってあり、頭だけになった鹿を見たり、熊避けに鈴を鳴らしながら歩いたり、見事な雲海に出逢ったり、栃の巨木に目を見張ったりと楽しみも多くあります。
 昔はもっと里山に人が行っていたと思いますが、人が行かなくなって山道が荒れています。雑木林の山にもっと関心を持って欲しいと思います。
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余話:       −9年前のRC週報の寄稿文−
                夫人:鍋師悦子

合歓の花登山行
 早朝の寺山登山、静寂の中、薄紫の合歓の花がきれい。今日も一日健康を願う。ふと人声に耳を澄ますと、頭巾山のことを話されている。よく山で出会うロ−タリ−の方(註:故安村広太郎氏)で本当に元気な人だ。主人は夜更かしをして、多分まだ寝ているのだろう。日曜日はいつもテニス未亡人だと諦めているが、私も頭巾山へ行きたい。
 帰って早速、主人に話す。よく考えるとシルバ−センタ−の人に世話になった植木剪定枝の消却に、1日かかるので無理だと思いながら、末娘・有保の中学参観に行く。帰ると剪定枝を燃やしつけておいたよ、テニスも大会なので午後の表彰式に間に合えば良いように手配したとの事。夕方、次女の有香をロ−タアクトの合宿キャンプに送り出す。
 四時に起床出発の計画でお握りを作る。深夜風が強く目が醒める。主人も起きてきて、燃やしている残り火が心配だと言い、井倉へ見に行ってくれる。
結局、七時に出発する。177で京都府北部に暴風・大雨・洪水注意報発令中と知る。急遽、行き先を行程の短い青葉山に変更する。車は自由が利くので便利だと思う。有保は車に弱く今度も胃の中の物を吐いてしまう。小雨の中を松尾寺に着く。
 傘をさして、三人で登りにかかる。道が濡れており随分登山道が荒れている。マムシに注意の立て札があちこちで目につく。ロ−プの掛かっている岩場や急坂が続く。両手を使ってよじ登るが、有保は子供なのでつらそうだ。昔よく、立山連山を主人と登ったのを思い出す、もっと天気の良い時に、有保に山登りの楽しさを教えなければと思う。80分で頂上に立つ。寺山の三倍半くらいだ。晴れ間が出てきて、下からガスが上ってくる。内陸側の見晴らしが良い。遠くの連山も見える。しかし期待の内浦湾は、ガスで何も見えないまま、食事をして下山にかかる。
滑らないように下るのは大変だ。有保が悲鳴を上げている。しばらくすると慣れたのか多少ピッチが上がる。鳥居のある草むらに着く。薄紫の合歓の花がきれいだ。往復とも誰にも出会わず、三人だけの登山だった。松尾寺に帰り着き、登山日誌に記帳をする。天気が晴れた故か、寺の境内は随分賑わっている。これから登山する人も見かける。
 正午過ぎ、綾部に帰り着き、母から綾部は大雨だったと聞く。テニスの大会も来週に流れたそうな。何よりも家族が元気なのを、ありがたく思う。
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余話:
冬瓜と白菜の野菜づくり
私の家の横は畑になっていて、多くの方が野菜づくりをしています。私も畑を借り、トマト、キュウリなどの夏野菜や、ねぎ、大根などの冬野菜を作っています。特に力を入れているのが、冬瓜と白菜です。
 冬瓜は、かもうりとも云います。不二越の社員食堂のメニュ−で馴染みになりました。丹波には丹波瓜がありますので、冬瓜は最近になって、栽培される方も出てきましたが、当時は全く綾部には、馴染みのない野菜でした。
 綾部に帰ってきて、タキイから種子を取り寄せ栽培を始めたときは、皆に何を作っているのか尋ねられました。また実をさしあげても、どうして食べるのか説明が必要でした。淡泊な素材なので、料理旅館の会席料理の蓋物というお椀の真ん中に入っている、四角い大根みたいなものです、と言うと理解して貰えました。
 冬瓜の発芽した双葉は、南瓜、胡瓜の大きな双葉と比べずいぶん小さいものです。たぶん、瓜類のなかで最も小さいと思います。葉も比較的に小さく、いわば1番小さいものから、1番大きな実を結ぶ瓜が、かもうりです。
 冬瓜というだけに長く保存でき、富山では冬至を越して食べるものでした。不二越社員食堂では、大根の漬け物を輪切りにして、煮た物が出され、びっくりしました。今はこれも食品として市場に見られるようになりました。大きな鉄砲いかに身を詰めたものを出され初めて食べました。社員食堂の定番料理でした。
白菜は、お盆過ぎにポットに種子を播きます。すぐ発芽するので、双葉の内に4本に間引き、本葉が出てから、さらにポットから出して、根を切らないように土を割り、1本ずつにしてポットに植えなおします。この方が播種したままのものより良く成長します。
 畑はスコップで深く掘りますが、時間がないので細かく砕く暇がありません。神宮寺は赤土なので、ゴロ土のままで固まっています。畑の体裁をつくり、植え込みます。近所の方は種子の直播きなので、一日にして立派な白菜畑が出現するのを見て驚かれます。定植して5日もすれば、もう畑の土が見えないくらいに成長します。毎年100個の白菜を作っています。
PTAの役員のときに、この植物を栽培する際に、心をこめて世話をすれば立派に成長する様子は、子育てに通づるところがあるとよく話しました。
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例会スピ−チ 99年4月23日
親睦例会            卓話:四方弘会員
               「出会いを大切にして」

タンゴに魅せられて
 アルゼンチン・タンゴの名曲、ラ−・クンパルシ−タのリズムにのって、ダンスホ−ル狭しと私は踊ります。ここではスゥイブル、ダブル・リバ−ス・スピンのあとコントラ・チェックが、ここではテレマ−クのあと、オ−バ−・スゥエィが、またセイムフット・ライトランジが見事に決まりました。タンゴのダンス・ヴァリエィションを次々と繰り広げながら、私は踊りつづけます。これが私の見る夢です。
学生時代は、ダンスに凝っていました。福井には実に多くのダンスホ−ルがありました。銀星、新星、ダイアナ、アカデミ−・・・。私にとってダンスはスポ−ツ以外の何物でもありませんでした。その時代の学生には、2派ありました。マ−ジャンに入れこんで徹夜し、授業を抜けては、学生寮で卓を囲んでいる者。一方下宿組は、ダンス愛好者が多かったと思います。
 ダンスには、ワルツ、スロ−・フォックストロット、クイック・ステップ、マンボ、ジルバ、ルンバ、サンバ、チャッチャッチャなどの種類がありますが、私はタンゴが一番です。
 曲はカミニ−ト、ジ−ラ・ジ−ラなどのリズムの明快なアルゼンチン・タンゴ、淡き光に、碧空、ママ恋人が欲しいのなどの優雅なコンチネンタル・タンゴ、霧子のタンゴなどの和製タンゴであれ全て好きですが、やはりアルフレッド・ハウゼ、リカルド・サントスなどのオルケスタ・ティピカ楽団の演奏する、バンドネオンの効いた、ラ−・クンパルシ−タやエル−・チョクロで踊るのが一番です。
 タンゴ・ウォ−クという独特の歩き方があります。リズムを区切って滑るように、一瞬でパ−トナ−を押しきる歩き方です。タンゴはこの歩き方で決まります。 ガウチョがブエノスアイレス場末の酒場で美女を相手に踊ったという、ミロンガが原型と云うことですが、  ハバネラ、→ダンサクバ−ナ →タンゴ
  ミロンガ + リカントンベ →タンゴ
その廃退的な重い雰囲気とは、どんなのか想像するだけです。故塩見清毅氏が淡交会青年部長として、千宗室家元のお供でグリ−ン・ピ−スフルネス活動のため、ブエノスアイレスに行かれ、場末の酒場にも寄られたと聞き、様子をお尋ねすると、タンゴの原型の雰囲気が残っていたとのことでした。
 当時出始めたダンス・ヴァリ−エ−ションの本を買い研究しました。ワルツのオ−プン・ウィングなどのステップはタンゴでも使えます。チャップリンが赤いバラを口に美女と演ずるシ−ンで有名な、タンゴのブロムナ−ドも、クイックステップでも踊れます。踵の高いダンス・シュ−ズを誂え、学生選手権を目指して毎夜のように練習しました。クリスマスには会館を借りダンスパ−テイをしました。友人と行った新宿のダンスホ−ルや、大阪の道頓堀の田園なども思い出です。
 卒業以後は、ダンスをする機会がなく、今や私の内緒の趣味になってしまった、ダンスのタンゴに魅せられていた時代の思い出です。
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参加メモ:ロ−タリ−大会・セミナ−関係
 980328 会長エレクト研修セミナ−、福井国際交流会館
 980509 地区協議会、福井フェニックス・ブラザ
 980726 ロ−タリ−財団セミナ−、京都LRH.
 980801 会員増強セミナ−、京都商工会議所
 980912 両丹7クラブRYLA「若者の集い」久美浜
 980927 第2組I.M. 福知山万助
 990312 RI2650地区大会、ホテル・ニュ−大谷
 990312 レイシ−RI会長歓迎晩餐会、大阪LRH.
 990313 四地区合同会員大会、大阪ド−ム
 990404 福井ロ−タアクト10周年式典、カナイ学園
 990507 アジア会議、京都国際会館
      当日の例会を欠席(卓話:渡辺スナオ綾部市連合婦人会長「綾部市連合婦人会の現状」
 990526 峰山ロ−タリ−クラブ40周年記念式典  大宮国民年金健康センタ−
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提言レポ−ト:    1998年10月23日
      ロ−タリ−の夢委員会 御 中
国際ロ−タリ−理事 小谷隆一殿

 21世紀ロ−タリ−への提言
21世紀に取り組むロ−タリ−の夢について、自由形式での提案の要請をいただきましたので、以下の2点について、当クラブへのRI2650地区ガバナ−宮崎茂和氏の公式訪問などで使いました、参考資料を貼付して提出いたします。ご笑覧いただければ幸いです。
提言1.NGO(非政府組織)として、ロ−タリ−が    21世紀に果たせる役割を、ロ−タリ−の夢    委員会で研究する。
 NGOが、対人地雷禁止や地球温暖化防止の国際会議で、国際世論を背景に国家エゴを調整し、国連、国家政府の機能を補完する活躍がありました。21世紀はこのNGOが、ますます人類の英知と勇気、国際理解の進展、人類愛の深化などに支えられた国際世論を背景に活躍する役割・要素が増し、世界平和や地球環境の保全が達成されていくものと考えます。
 綾部市は、日本での世界連邦平和都市宣言第一号都市ですが、21世紀を記念して、世界の宗教界の最高権威者が集まり、「ノ−モア宗教戦争の決議」をしようと計画されています。このように、ノ−モア広島=核兵器、対人地雷禁止、地球温暖化防止、宗教戦争、テロ、民族間戦争禁止・・・へと、人類の英知を結集した決議が続き、人類全体のコンセサスとなり、実行されていくことを、真の平和達成、美しい地球環境保全への道であると夢見ます。
 ロ−タリ−クラブもまたNGOであります。各クラブが国家単位に従属せず、RI会長の代理者である各地区ガバナ−を通じて、国際ロ−タリ−に直接帰属している組織のあり方に一つの意義を見いだすものです。ロ−タリ−の活動は、奨学生の受け入れや、人道援助活動など全てに及び、実行力のある最大のNGOに他なりません。
 ロ−タリ−が、世界平和と地球環境の問題にたいし、世界人類のオピニオン・リ−ダ−として、真っ黒などろどろした現実社会を射し抜く、一筋の灯台の光のような存在であらねばならないと思います。もとより国際政治の舞台についての知識は私にはありませんが、政治のなかで直接運動するのが、全てではないと思います。ロ−タ−の職業奉仕の考えに立つなら、国際政治のなかで活躍されている人材には事欠かないと思います。ロ−タリ−もNGOとして、21世紀に大きな役割を果たせるのでないのか、世界平和達成と地球環境保全に、ロ−タリ−は、なにをすることができるのかを研究ください。
提言2.企業人が、地域での交流活動に積極的に取り    組むため、啓発活動として何ができるかを研    究する。あわせて会員増強に利用できるロ−    タリアン・デ−タ−ベ−スを構築ください。
 ロ−タリ−の綱領の第一「奉仕の機会として知り合いを広めること;」が会員増強の主眼です。地方においてロ−タリ−クラブは、情報収集と人間関係の機会を得る最高の場です。
 企業メセナ、フィランソロピ−(企業の社会貢献)という言葉があります。企業市民(コ−ポレ−ト・シチズンシップ)という言葉もあります。経団連や青年会議所が、様々な委員会や基金を設置して、企業の社会参加をアピ−ルされています。ロ−タリ−クラブにおいて、「企業人の地域貢献の奨め」の概念を定義化し、ロ−タリアン自身に、企業中枢に、社会全体にアピ−ルしていただきたいと考えます。
 地方のクラブの力だけでは、進出企業の幹部(支社長、支店長、工場長・・)の方々に地域交流の大切さを訴えても、殆ど効果がありません。企業人は地域においてこそ、「まちづくり」のために、新鮮な視野を持った人材として、活躍していただきたいのですが、それが望めません。
 近年は企業中枢からのリストラの影響もあり、進出企業からのロ−タリ−入会が困難です。地元の下請け企業においても、このことが足枷となっています。
 国際ロ−タリ−が、会員増強をクラブに要請されるためにも、この「企業人の地域貢献についての啓発活動」があれば、会員増強をはかっていく環境整備としても役立つと思います。ロ−タリ−として、なにができるかを研究ください。
あわせて、進出企業などの本社機構に、ロ−タリアンがおられるかどうか、デ−タベ−スで検索して、その方の推薦をいただく機会を、得ることが出来れば、会員増強に極めて効果があると存じます。
 本社企業のトップ経済人だけが、中央経済界で活躍されるだけで良いのでしょうか。地方進出の企業人も、地域社会の「まちづくり」に参加され、中央経済界活躍の下地づくりに役立つ準備をされ、ロ−タリ−組織を通じての人的交流が出来れば、経済人自身の、また企業の利益になり、ロ−タリ−の魅力増強にも役立つと思います。
 近年は、ロ−タリアンの人材が小さくなった、普遍化した、ロ−タリ−の魅力が少なくなった、などの自嘲の言葉があちこちで聞こえてきます。この啓発活動の効果が上がれば、回復できる問題です。ロ−タリ−はエリ−ト集団でなく、ロ−タリアンの普遍化こそ、本来のロ−タリ−活動の原点であると信じますがいかがでしょうか。
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例会スピ−チ      99年5月14日
            ゲスト:大谷尚警察署長
           「非行少年の現状と少年法改正
            を巡る動きについて」

丹の国構想の夜明け
 燃えよ丹の国プロロ−グ「太古、丹波は丹の海であった。赤々とした水面が果てしない拡がりをみせ、その波うつさまは、まるで燎原の火であった。大国主命が・・・」これは、丹の国屋文左衛門こと故塩見清毅さんが、冊子「丹の国・綾部」の巻頭に書かれた詩です。綾部JCの創立15周年記念事業として、丹の国構想が発表された頃の思い出を話します。
 「丹の国」は、その時に塩見清毅さんの考えられた造語ですが、以後、いろんな所で「丹の・」と使われるようになり、様々な業種の屋号などにもなり、使われる地域も中丹一帯の園部、亀岡あたりまで拡がりました。
 「丹の国構想」は、始めから塩見清毅さんの中に完成されたものとしてあったのではありません。当時、北陸(新潟、金沢)〜山陰(鳥取、島根)の日本海地帯にたいし、環日本海文化圏の考えが出され、さらに大陸との文化往来を考えると、山陰こそ日本の表玄関でなかったのか。開発競争に取り残された綾部だが、豊かな自然の残る綾部は、いつか開発競争が反対の方向を向いたときには、先頭を走っていることになるのでないのか。との思いをこめた苦心の構想です。
 塩見さんは、京都JCの千宗室さん達と文化人としてのネットを持っておられ、岡本太郎氏などの未来講座に参画されていたと伺っています。私達と様々な議論をしては、京都に出かけられ、そのたびにさらに構想に深みを増して帰ってこられました。この構想が、ただの夢の理想論でなく、現実に耐えられるものかどうかも気にされて、松田安弘さんや、松下耕樹さんとも良く議論をされていました。

 開発と自然保護が、相いれる事のできるものであるという、「人間調和都市」の考えは、LD(リ−ダシップ・デペロップメント)の手法を取り入れて完成させました。縦軸の開発と横軸の自然保護の座標を考えるとき、開発も自然保護もより高度な状態こそ、両者を調和共生させることが出来るという考えです。正と負の相反する座標でなく、例えば今日では、自由主義経済の中に、社会主義経済の要素が入っているということが、高度社会での常態となっています。
 歴史的な知識を得るため、はじめは綾部町史を編纂された村上祐二氏の指導を受けました。故人になられた後は、木下礼次氏の指導をいただき、大和朝廷文化圏の最果てという常識を、山陰こそ大陸文化往来の表玄関であるという「丹の国構想」を、メルヘンであると評価していただきました。
 「丹の国・綾部」は、「フォトグラフィ・イン・あやべ」などの三部形式になっています。写真集は、前年に行われたJCの市民活動「綾部の魅力と恥部を探る」の公募写真展の参加者を中心に、撮影を依頼し集めました。
 歴史編「ふるさとへの回帰とその未来」は、JCメンバ−が分担執筆し、私の担当は、第一話の「国津神のふるさと」で、大国主命の経営する「田庭」の起源からの歴史を考察しました。当時発表されたばかりの、ドングリなどを利用した照葉樹林文化圏の考えなども、いちはやく取り入れ完成させました。邪馬台国の謎にも取組みましたが、難しくて手が出せませんでした。
 対話編「新しい生活圏の創造を目指して」では、当時JCなどを席巻しつつあった、「市民運動論」を取り入れました。
 未来との対話編を書くにあたり、一元的に記述するのでなく、AとBの両者の対話形式で問題提起し、論議を深める手法を取り「新しい生活圏の創造を目指して」の各分野にわたる対話編を完成させました。
 徹夜の原稿書きの無理がたたったのか、真っ直ぐ歩けなくなり、メヌエ−ル氏病ということでした。通院しましたが、大本さんの針治療が効くということで、同様に悩まれていた塩見清毅、吉田藤治氏の三人で治療に通いました。
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余話:
市民憲章推進協議会と青少年育成協議会の発足
1.綾部市市民憲章推進協議会
市の周年事業として、市民憲章の制定に取り組むこととなり、行政担当者と会議をもちました。
 当初、羽室清市長への答申という、諮問会議の形式と市民委員会の形式が出されましたが、JCとしては、当時から行政サイドだけに頼らずに、市民サイドでも積極的に活動するという、「市民運動」についての認識が深まっていましたので、憲章制定後の、市民運動としての推進活動を考えて、個人に加えて、関係諸団体からなる「協議会」とするように提唱しました。
 憲章文案の起草委員として。学識経験者の岡博先生などと共に、JCからもOBの塩見清毅氏、吉田藤治氏をお願いし、今日の素晴らしい「綾部市市民憲章」ができあがりました。
 JCの「人間調和都市」の文言は、「丹の国」と並ぶ塩見清毅さんの苦心の造語ですが、これを「自然と人間が真に調和する、新しい田園都市の実現をめざして・・」という表現に昇華させる苦労は大変であったと思います。
 市民憲章の制定に先立ち、JCとしても組織を通じて各地の市民憲章など、独自の資料を集め、市議会の議員様方とも対話を持ちました。四方彰氏、平田喜久夫氏、民内清道氏が、商工議員として来られ、四方彰議員とは初対面でしたが、氏が活躍された山家青年団の活動を聞かせていただきました。これは後日、園部JC設立の働きかけの最初で、集まっていただいた人から、蜷川府政で優秀活動表彰を貰ったという、園部青年団活動の紹介を受けた時の理解につながりました。

2.綾部市青少年育成連絡協議会
 当時、毎年ゴ−ルデンウィ−クになると、PTAの地区委員は子供達を綾部から連れ出し、遊園地めぐりをするのが慣わしでした。何とか綾部の中で、子供達の育成活動が出来ないものかとの考えから、「丹の国まつり」の諸行事が計画されました。
 田中綾市自治会連合会長を頭に組織づくりをお願いすることとし、綾部市青少年育成連絡協議会が発足しました。ヴィラ1階のロビ−で、塩見剛佑君、久木時哉君なども交え、田中綾市氏に会長を頼むについて、この「丹の国まつり」の事業を、本当にやりたいのかどうかの深刻な議論を重ねたのを覚えています。
 改森基次君、大槻高仁君などの努力で、「子供みこし」を各町区から出していただき成功しました。交通公園に「手作りの遊び場」を作っての行事で、子供達が楽しく遊んでくれるのが本当に喜びでした。
 なかには、子供の手をひいた母親が、来るなり入り口で、ディズニ−ランドなどと比較するのか、こんなのつまらん。と言われるのには傷つきました。子供達は喜んで遊んでいるので、金のかかる遊び場を良しとする、大人の価値観が間違っていると思いました。
 平野正明青少年委員長と、浜松のJC全国大会で報告を行い、JC最優秀委員会表彰を貰い、副賞としてペプシコ−ラ社より,50万円をもらいました。
 JCがこの2つの協議会に、副会長と常任理事の2役を出向させているのはこういう経緯からで、現在では少し変更があるようですが、今日に及んでいます。

3.追記:組織の活性化について
 21世紀を目前にして、今は変革の時であり、あらゆる活動に活性化が求められています。産業界にとっても、「起業の時」と叫ばれ、雇用の拡大につながるような新産業、新製品が求められています。
 最近の綾部市民新聞に、ここに発足当時の様子を記しました、綾部市青少年育成連絡協議会の活性化について、問題提起が掲載されていました。
 組織の活性化に特効薬を求めるのも一つの方法ですが、一過性で終わっては、対策としては不十分です。
 先日も、綾部市体育協会から活性化対策として、普及部の活動について、提言を求められました。私は、協会加盟種目の市民教室などの開催。施設完成お披露目でのイベント開催協力を提言しました。実行力のある協会は、自主的に自前で市民教室を開いています。しかし体協の助力が必要な協会種目もあると思います。四都市大会の最下位種目からの脱却には、なんといっても市民に選手層を広げることも大切です。
 組織にはたいていの場合、専門部会があります。市民憲章推進協議会の場合、推進部などの専門部はいつのまにか、常任委員である委員長一人になっていました。市制50周年事業を控えて、吉田藤治会長は、この専門部活動を立て直し、さらに周年事業に協力する実行委員を組織して行かれる意向を、先般の総会で表明されました。
 変わったことをやる前に、普段の活動である、会員の交流、親睦活動を活性化する。専門部会の活動を活性化する。周年事業の節目に盛り上がる活動をする。などの「あたりまえ」のことから、見直すべきであると思います。
 改革が必要であるという、問題意識と、改革への実行力が大切であることは、言うまでもありません。
 「千年紀」を迎え、市会議員の先生方も勉強会を始められるなど、あらゆる組織に「活性化の機運」がでてきたことに、期待を寄せるものです。
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例会スピ−チ         99年5月21日
    ゲスト:渡辺敏彦自得寺閑居
               「本当に生きるとは」

  越州村の変遷に、富山の街づくりを思う
 富山市に越州村といわれる所が、家内の実家の近くにあります。蜃気楼を題材にしたNHKの朝ドラの一場面で、ここの民芸調の飲み屋が取り上げられていたのを見たことがあります。
 この朝ドラの題名や、内容は忘れていましたが、先日聞くと、確かにロケ−ションがあり「季節外れの蜃気楼」ということでした。主人公の若い女性が、美術館に併設のプラネタリウムのある富山科学館に勤務して、蜃気楼の記録に苦労する話だったと思います。すぐ側にある越州村の赤提灯の下がる飲み屋は、探し求める母親がやっているという設定でした?。
 表日本に向かう高山街道と有沢線(有沢橋があり、府中町をとおり、高岡から礪波平野に入る)という高岡街道との主要交差点です。
 以前の富山刑務所が、周辺を緑地公園にした近代美術館に生まれ変わり、隣に新興地帯として、この越州村のレジャ−ゾ−ンができて大変賑わっていました。
 ところが近年更に大型の郊外店が遠隔地に拡がると、人の流れはこの中間地帯を通りこしてしまい、往時の賑わいは下火になりました。
 そこに「キトキト市場」という、鮮魚や土産品の店ができると、大型観光バスなども停まり、また賑わうようになりました。しかしこの夏にいくと、これも終わったような感じでした。
 「キトキト」というのは、小さい子が何時までも起きている状態を、まだ「キトキト」していると云いますが、生きの良い様を表現する方言です。綾部周辺にも出来ないものかと思っていましたが、とれとれ市場などが出来たようです。
 客で混雑する海鮮レストランに入ると、海鮮ドンブリというのがあり、熱いご飯の上に、なんと生の刺身などが、のせられて出されます。家内は初めてで気持ちが悪いと言っていました。また海鮮汁がついていて、大鍋に蟹や鮭などの魚介類を、ふんだんに入れた2種類の闇汁が置かれていて野生味があり、ついてくるお椀にセルフ・サ−ビスでお変わり自由です。先日行くと、海鮮汁がなくなり、庶民性が消えて、値段も高くなり、客も減り、高級料亭化したような雰囲気でした。
 私の家内は、パチンコ店、外食店、本屋・・の建ち並ぶ富山市の景観を見て、昔の緑にあふれた、しっとりした町並みが消えてしまったと嘆いています。
 毎年の調査で富山は、住み良い都道府県のナンバ−ワンになっています。平野で庭付きの広い宅地がとれると云うことと、水が豊富で安いのがその理由です。
実際に団地アパ−トは、3〜4階止まりが多く建てられ、2〜4階の住民も自前の庭・花壇・畑をアパ−トの前に持ち、世話をされている光景を見ます。
 加賀百万石の歴史を背景に、金沢が華やかな学問芸術を発達させたのに比し、越中富山はずっと地味で、農学や薬学などの実用の学を発達させました。利の薄いソロバンをはじきながら、こつこつと全国をめぐって歩く、越中富山の薬売りに、質実剛健、堅忍不抜、勤倹力行といった富山県人の性格の一面が見られます。
 富山の若者に、休日の過ごし方を聞くと、買い物などに金沢へ行くということです。徳光という北陸高速道のパ−キングエリアに、外部からも利用できるすごい大型店ができています。
 富山市には、先進ファッションなどの商業スペ−スや、文化的なビジネスが、小京都といわれる金沢市より少なく、就業の機会が少ないので、若者が比較して少ないと云うことです。
 ベアリングもケ−スと一体化して、車種ごとの専用部品になり、下請けメ−カ−になってしまったと嘆いていた、不二越の友人に聞くと、工業県である富山の工場は、ベテランの年輩技術労働者とパ−ト労働で充分になってしまった。意欲のある若者の採用が少ないので、技術の伝承に悩んでいるとのことでした。
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例会スピ−チ         99年5月28日
親睦例会     ゲスト:四方憲生綾部RAC会長
              久木隆哉綾部RAC会員
               「海外研修報告」

記事は四つのテストに照らして
毎週のクラブ週報をお世話になっている、会報委員長の森永功先生をはじめ、委員の皆様は本当にご苦労様です。私もよく広報の担当をする事があります。
 私はJC入会の時、故塩見清毅理事長の面接を受けている最中に、会報委員長が退会の要請に来られ、故仁紙副委員長の昇格の下に、会報委員会の所属となり、武田菫さんの取材がJCでの初仕事でした。
 京都府の連P協議会でも、公聴広報を担当、地区大会のホストに対し、それまでなかった「子育て」についてのレポ−トを各校に依頼し編集、発刊しました。
 クラブ会報にも協力させていただきました。ワ−プロが得意ですので、先年の綾部クラブがホストしたRYLA報告書の場合、参加者の感想文や、基調講演、パネルディスカッションなど、編集委員の皆様にお世話になった全ての原稿を、ワ−プロで入力し、フロッピ−ディスクにして、印刷屋さんに渡しました。
 しっかり校正し、ミス零を確信していましたが、パネリストのお名前が、小嶋文右衛門→文衛門のミスがあり、パ−フェクトにはならず残念でした。誤字については、名前のミスが最も多く、気をつけるポイントと云われています。
 以前に、某市会議員さんの活動報告書が配られて、読ませていただいたところ、ひどいミスを見たことがあります。心棒→辛抱などは、まだ愛嬌がありますが、誠心誠意、己を捨てて、公僕として、滅私奉行するとありました。奉行はお上の役人で公僕の対極の立場、お代官、お奉行、年貢奉行などです。滅私奉公などと時代がかった表現をされる場合の悲劇です。早速本人に電話したのですが、印刷屋さんに責任校正をお願いしてあるはずのご返事でした。
 PTAの会報など編集活動では、話題としては、かなり刺激的な意見が多いのですが、記事にそのまま書けないことがあります。会報の発行責任者は校長でなく、PTA会長にあると云われましても、やはり多少は遠慮します。京都市内の学校では、かなりもめたと云うことを聞いています。
 PTAやJCでは、会報の研修会を何度もしました。ロ−タアクトに会報セミナ−をするのは、親クラブの責任でしょうか。会報を読んで貰うための一番大切なことは、適切な見出しを付けることです。それでRYLAの感想文の70名の全てに見出しをつけました。見出しだけ読んでも、素晴らしい青少年の指導者研修の場であるとわかります。
 否定的な内容を含む場合、文字にすると残るという点には、特に注意が必要です。障害者などの話で、ケ−スワ−カ−の先生が話されたことを、そのまま記事にすると、ひどいことになりかねません。
 否定文の場合、全面否定でなく、条件付きの否定にすることが重要です。某JC会長が、地球市民の活動で「いたずらに神頼みをするのでなく、積極的に自分の手で行動しよう」と書き、市民広報版を出されました。熱意は良く分かりますが、世界連邦には宗教者もおられます。神頼みを否定してしまってはどうかと思われます。神頼みをするのでなく→神頼みをするだけでなくと表現すれば、神頼みもするが、自分の努力もするの意味になります。一寸した表現の工夫です。  藤本繁会長の時に、会報委員長をしました。オ−ム真理教事件、阪神・淡路大震災の年度で、村山内閣の危機管理についての、素晴らしい藤本会長のスピ−チが楽しめました。原稿をいただいたのですが、会報は、綾部クラブの公的な機関誌です。どんな立場の方の目に触れるか分かりませんので、現内閣批判の部分では、筆を抑えた表現に変えさせていただくことで、ご了解をいただきました。藤本会長は、オ−ム信者からの暗殺を心配されていました。
 会報の記事は、「真実かどうか」「みんなの為になるかどうか」「みんなに公平か」「好意と友情を深めるか」の、「四つのテスト」に照らして、処理することが最も確実な方法です。
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余話:
子供達とともに学び合い、育ち合おう
 育友会は、友を育てる会と書きますが、子供たちの新世代を、我々世代の友達、同僚として育てる活動に他なりません。母親でしたら、自分が生んだ乳幼児を、自分の話し相手となる「友」となるまで育てるわけで、一層の実感があると思います。
 綾部小学校PTA時代の標語は、「子供達とともに学び合い、育ち合おう」でした。親自身が子供の成長を通して、PTAのなかで学び、成長していく「子育て/自己の人づくり」が大切だとされていました。母親だけでなく、父親も子育てに、父親としての役割があるとして、父親の参加を呼びかけました。
 今日、子を育てる親自身のあり方が、大きく問題にされています。仕事の都合などで忙しく、以前からPTA活動への参加が低下して、懸念していましたが、今になって結果がでてきたという感じがします。
 義務教育期間中は、学級委員会活動と地域委員会活動の複線でPTA活動は成立しています。専門部活動もその両方の場に働きかけて活発でした。
 京都府連PのOB会を今でも続けています。東京の武道館で、日P大会があり、参加して意見をいったこともありましたが、当時の岩橋延直日P会長も、私達のOB会に顔を見せていただいています。先般、和歌山市長選で、旅田現職に惜敗され残念に思いました。
 綾部高校のPTA時代は、京都の高校三原則からの変革の時でした。職業課程の進路選択について、普通科の代用で、しかたなく進学するのでなく、目的をもって選択するということで、2、3類が新設され、中学校の父兄会に、先生方と説明に行きました。
 PTA活動でも、2ケ年間にわたり、東祭への参加や、京都産業奨励会館での職業高校の産業祭に、バスで見学会を催すなどの活動をしました。帰路に大原三千院見学を組むなどで、大変好評でした。職業高校が水産高校、工業高校などに名称変更された年です。
 広島、東京の修学旅行が、スキ−の体験旅行に変わった時で、綾部スキ−協会の久木康弘理事長(プロ)に来ていただいて、親を集めて説明会をしました。
 後期高等教育といわれる高校教育では、学級委員のPTA活動はなく、地域委員活動だけの片線でした。専門部活動は、地域委員に働きかけ活発でしたが、会員の参加数は、さらに低下する一方でした。普通科の生徒の親は出やすいが、・・の声も聞こえてきました。
 生徒の親が学校に初めて来る時が、校長室で退学処分になる時、というような光景もよく見ました。普段からのPTA活動を通して、子供との対話が大切なことを学んで欲しかったのにと残念に思いました。
 会長2年目の時に、中学校で激発する非行問題の解決に学年PTAで取り組み、効果を上げているように、高校でも、学級委員と学年委員会活動が必要と気づきましたが、改革は果たせませんでした。
 綾部中学校PTAでは、佐々木幹夫PTA会長でしたが、2年生の学年委員長を務めました。幼稚園で始まった子育ての結果が出る時だとして、学年行事として、ト−ク・イン・綾中2年:「子育てフォ−ラム」をもちました。「今1度、自分の子育てを見直そう。今からでも遅くはない。」という話し合いです。
 でも、フォ−ラムに来られたPTA会員さんは、熱心な方ばかり、本当に来て、学んで欲しい会員さんは、やはり不在でした。
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例会スピ−チ         99年6月4日
           卓話:高倉信正会員
          「新世代のためのプログラム他」

ワンダ−フォ−ゲルの思い出
 不二越に勤務の頃、ワンダ−フォ−ゲルというものが流行りました。高倉信正会員のやっておられます、ボ−イスカウトと同様のグル−プをつくり、カレ−を作るなら、タマネギやじゃがいもは何個、米は、飯盒は、鍋は、燃料は、などの食料関係の用意から、キャンプ機材一式の準備まで全部打ち合わせて購入し、会社が終わってから出かけました。
 はじめの頃はグル−プも少なく、剣岳直下の早月川の馬場島河畔などでキャンプをしました。列車を下り、歩いて現地に着くのですが、大抵深夜で、懐中電灯の明かりだけでテントの設営地を探し、暗がりの中でテントを張り寝ました。
 当時はキャンプ場などありませんので、朝起きて随分おかしな所でテントを張っていたグル−プもありました。河川敷は平坦な良い場所がありますが、上流で大雨があると増水して、事故に遭うので、絶対にテントを張ってはならない所です。
 実は、私のいた研究所に軸受研究室があり、その職員が、おなかに赤ちゃんがいる奥さんを残し、会社の登山グル−プで早月尾根を剣岳に登坂中、2名が遭難し、この馬場島の上流に網をはり、雪解けで遺体の流れてくるのを待っていたという事件もありました。
松本城の広場にテントを張り仮眠したのは、本当に深夜でした。朝起きて初めて、お城を眺めたものです。目的地の美ケ原について、またテントを張りました。
 この時は、大隊規模の行動でしたので、キャンプ・サイトを割り当て、テントを張ってから、雨水を逃がすためのトレンチを遠くまで掘りました。
 美ケ原の湿原は、すてきでした。主峰の王ケ頭に登りました。頂上の眺望も、かなりガスが掛かっていましたが、信州の山々が一望できました。下りに大雨に遭い、雷が下で鳴っている感じでした。降り道は流れる雨水で小川になり、その中をばしゃばしゃと、みんなずぶぬれで、テントに帰り着きました。
 あまりにひどい雨で、かなりのテントが倒されていました。トレンチも埋まり、浸水していました。夕食の準備をしながら、テントや装備一式を乾かしました。
ロ−プを張り巡らし、シャツなどの濡れた物を吊るすわけです。その夜は晴天で、降るような星空のしたの、キャンプ・ファイヤ−を大いに楽しみました。
 キャンプ・ファイヤ−では、「スタンツ」というのをします。グル−プで、出し物を相談し、役を振り分け、皆で演出する即興劇です。
綾部に帰ってからも、キャンプの経験は、ずいぶん役に立ちました。子供ができてからは、家族のキャンプは常でしたが、PTAの学年会や、青年会議所の大本夏季キャンプ、連Pの君王山ジャンボリ−など、キャンプをする機会は、数多くありました。
 上林青少年山の家で行われた「野外活動指導者研修会」のスタンツでは、君王山に住む山猿や雉を主人公にして、大唐地にいたという毒蜘蛛(山賊?)を鬼に見立て、退治をする「ももたろう」を分担を決め、アドリブのセリフを連発する即興劇を府教委の先生方と演出しました。
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余話:
私のキャンプ・アラカルト
4年間勤めた富山の不二越を辞め、綾部に戻るとすぐに、キャンプ用のテントを買いました。ドイツ文字のゴシック体でA.M.C.と入れ現在も使っています。最近はカラフルな、レジャ−テントが普及して、海岸などのキャンプサイトでは、黄色の三角テントは少なくなり、肩身が狭くなりました。
 子供の小さい頃は、よく海や山にキャンプに行きました。途中でバ−ベキュ−の肉などを買い、キャンプをして海で子供を遊ばせたり、山に登ったりしました。 丹波の山登りもキャンプを同時にやると、2日間コ−スとして楽しめます。父母も連れていき、食事はキャンプで飯盒炊飯をして皆で食べ、宿泊はテントでは疲れるというので、父母は近くの山荘泊まりということも良くやりました。子供も宿について行き、お風呂をもらってから、テントで寝るので便利でした。
 上林の早稲谷でキャンプをし、子供には川遊びをさせ、私は近くの天狗鼻や頭巾山に登りました。今は大江山青少年山の家という立派なキャンプ施設がありますが、以前は何もなくて、大江山鉱山口を流れる谷川にテントを張り、キャンプをしました。朝起きると土砂降りがひどく、火が消えてしまい、飯盒炊飯がどうにもできず、そこの河守会館という体育館に入れて貰い、コッフェルでラ−メンを作りました。
 鉢伏山腹の山草の中でキャンプをし、早朝に氷ノ山まで尾根伝いに登山したり、白兎海岸でキャンプし大山登山、あるいは桝水ケ原でキャンプし大山登山。橋詰海岸の夕日が浦の景勝地でキャンプ。丹後由良の海岸でキャンプした時は、頭の上の国道を走る車の騒音が夜半中つづき、眠れませんでした。
 最近では孫家族も一緒に、多紀連山の大撓(おおたわ)という峠でキャンプをしました。ここは三和町の兎原を篠山に向かって鹿倉山の麓の山道を走るとすぐで、多紀連山の三嶽と小金ケ嶽の間の峠の景勝地です。山は火打岩という村からも登れますが、大撓から登ると、どちらの山も真上にあり便利です。
 国道123号線を、トンネルを越え、篠山にはいると、篠見四十八滝という、同じ多紀連山の八ケ尾山の麓のキャンプ場で飯盒炊飯ができます。ここには昨年のNHKの朝ドラで、丹波杜氏の里に住む、主人公の女の子が、露誉れという造り酒屋の息子をつれ出して、天から落ちてくる水を手に受けるシ−ンに使われた洞窟があります。どちらも綾部から30分もかからない穴場の景勝地です。キャンプは楽しいですよ。
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余話:     不参のシンガポ−ル国際大会に代えて

   ポ−トランド国際大会参加の思い出
9年前の国際奉仕委員長の時に、ポ−トランドの国際大会に参加した時の思い出です。京都北部などの国際奉仕関係者でいく、ツア−計画が流れて、その年度の津田佐兵衛ガバナ−を出されている、京都西RCのツア−に参加しました。
 津田佐兵衛ガバナ−は、帰りは一緒でしたが、先行しておられ、栗原伸治地区幹事長、多田寛地区国際奉仕担当幹事ご夫妻などと、京都西RCの若手会員ご夫妻たちに、外部からは、武下友彦京都西南RC会長などの一行14名でした。
 ヒュ− M.ア−チャ−RI会長の「エンジョイ・ロ−タリ−」が、年度テ−マでしたが、先立つソウル国際大会の帰路に、千宗室RI理事の招きに応じて京都ホテルのIMにこられ、大変感動的な四つのエンジョイのスピ−チをされました。手の指を四大奉仕に見立て、四つのエンジョイを説明、そこに大きなビ−ルグラスがわたされ、でも親指がなければ、このグラスは持てない。親指とはなにか。それはあなた自身だ!ロ−タリ−をエンジョイしよう!と、ビ−ルのなみなみと入ったグラスをさし上げられました。本年度RI会長のジェ−ムス L.レイシ−氏は、この時の同行メンバ−だったということです。
 このスピ−チを、英語で直接理解できるようになろうと一念発起して、一年間アスパ・アカデミ−に通い、毎週80分間の外人講師と殆ど1対1の個人授業を受けました。公式訪問で津田佐兵衛ガバナ−は「ロ−タリ−のエンジョイとは、最高に自分をいじめる事にある。スポ−ツでも同じであるが、極限まで自分をいじめ抜いて達成できたものにこそ、最高の喜びがあるものだ」とのスピ−チをいただき、何度か挫折しそうになった、この英会話学習に耐えることが出来ました。
 ツア−では、ゴルフをされないと言うことで、マレ−シアにおける医療ボランティアの地区事業で大活躍された、多田寛先生ご夫妻と3人で、バンク−バ−からポ−トランドまでの多くの観光地を回り、その時に撮影したスライドを激写して、当クラブの例会で報告会を持たせていただきました。
・コスモポリタンシティといわれ、夏の太陽を満喫し ようと上半身裸の若者がサイクリングで走り、ウオ −タ−・フロントが発達した:バンク−バ−市内
・ガス灯がともりアンティ−ク・ショップ、ア−ト・ ギャラリ−で賑わう歴史の町:ギャス・タウン
・日比谷公園の25倍、インディアン各部族のト−テ ム・ポ−ルを集めた:スタンレ−・パ−ク
・西バンク−バ−を結ぶ巨大な吊り橋:ライオンズ・ ゲ−ト
・寂れた倉庫街を再開発しておしゃれで愉快な町に変 身した:グランビル島
・長さ137m.高さ70mの巨大吊り橋、インディ アン居留地モデルの:カピラノ渓谷
・バンク−バ北13Kmにある標高1128mの残雪 の残る:グラウス・マウンテン
・ビクトリアまでのカナディアン・ガルフ・アイラン ド・フェリ−
・13万坪のセメント鉱石採集跡に造園、色彩美あふ れる花で埋まる:ブッチャ−ト・ガ−デン
・英国風建物が見事な:ビクトリアシティ・ダウンタ ウン
・ロブスタ−、サ−モンが美味しかった:サンセット ・ディナ−・クル−ズ
・デルタ航空から見る:タコマ富士
・140万人の都市、バラの都、400社を越えるハ イテク企業進出の:ポ−トランド市
・菖蒲園が見事で、生け花の実演会が開催されていた :ワシントン・パ−ク・日本庭園
・オレゴン州の林業展示の:フォレスト・センタ−
・美智子妃殿下お手植えの「プリンセス・ミチコ」の 咲く:国際バラ試験庭園
・190mの大瀑布のかかる:マルトノマ滝
・ビクトリア王朝風ルネッサンス様式建築の:ビトッ ク・マンション
 「ガバナ−・ナイト」が、2650地区をはじめて海外に紹介する、英語版の冊子「山と海の間に」の出版記念会として開催され、後日ガバナ−になられた林一彦国際奉仕委員長の報告に続き、1年間の津田佐兵衛ガバナ−を支えてこられた、地区スタッフと各地クラブ会長様方の盛大な慰労会となりました。
 RI年次大会本会議は、広大なメモリアム・コロシアムを満席で埋めつくす中で開催され、BSによる参加国の国旗入場の最後は、今大会のエポックとして、長年の懸案であった共産圏諸国の国旗入場となりました。ア−チャ−会長のスピ−チは、国際的な和解が拡がっている今日、ロ−タリ−がまさに時宜を得た組織団体であり、その象徴がモスクワ、ワルシャワ、レ−ニングラ−ド等のロ−タリ−結成と、それをチャ−タ−する西側ロ−タリ−の連携であるなどの話でした。
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例会スピ−チ   99年6月11日
              45周年打合せ例会

私の会長スピ−チ
 魅力ある楽しい例会を方針に掲げ、不景気の最中に元気を出そうと、この一年間の会長スピ−チを、堅い話よりも軽い話を多くをと、心がけてきました。
耳が悪い話、泣き虫の話、また私の家内とのラブロマンスなどの激白にはじまり、まるで心の裸踊り、ストリップ・ショウをやっているようで・・・四方彰会場監督さん、そんな恐い顔をしないでください。
 恐いから面白いの冒険談あり、失敗談ありの、飛んだり跳ねたりの、なりふり構わぬ、お聞き苦しい、私のスピ−チで本当に恐縮でした。私の尊敬する藤本繁会員と違い、タレント性のない私の話ですので、どれだけ皆様に受けたのか、全く心もとありません。
 良く聞けば、なかなか良いことを言ってると云ってくれた、今枝敏樹君の講評が、今回も当たっていればいいなと思います。
 週報の原稿は、字数が決まっており、枝葉を多少つけて話すと、丁度の会長タイムになります。それで長い原稿は、圧縮して字数を合わせ、残りは付記として話に入れた場合と、話題を増やして2回分に割り、使った場合があります。一節を一回分の話にまとめ直した事もありました。
 これが30分のプログラム・タイムですと、アラカルト形式をとるにしても、5回分程を一度で話すこととなります。よく三題話といって、3つの事柄を話すと、様になると言いますが、会長スピ−チでそれをやると、たちまち話題切れで悲劇です。50回分の会長スピ−チなら、10話ほどの勘定です。
 歴代会長で退任された後、しばしばプログラム・タイムのスピ−チをこなされる方には、本当に頭が下がります。話の素材の良いところを使ってしまい、なお話題を作られるのは、大変だと思います。私は話し下手なので、金輪際、無罪放免していただき、プログラム委員会のご迷惑にならないことを切に願っている次第です。
梅原昇大先輩は、会長就任前に50話を全部用意されたと聞いたことがあります。私は零で始めましたので、10月頃に全部の草稿の題名に目どころがつきました。ちなみにこの原稿は、昨年の9月30日に書きました。
 最終的には、今日の週報にこの一年間のプログラムを入れましたが、66話程になり、18話ほど余りました。私が用務出席のため、会長代理をしていただきました由良大司副会長にも、厚くお礼申し上げます。
 本年は、環境保全を私の主題にとりあげましたので、新聞記事のスクラップを溜めてきましたが、話題が余りそうなので、使わず終いとなりました。
 会長スピ−チも、クラブの記録の一部でもあるので、ゲストに会わせ、歓迎の言葉や、内容も考えて原稿を作りました。アドリブでゲストの方へのリップ・サ−ビスも心がけました。原稿はA4コピ−を週報委員会に渡し、A3コピ−をカンニング・ペ−パ−に使いました。やっと終わりに近づきました。
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45周年記念誌挨拶: 99年6月18日
  
   地域に密着した奉仕活動を通じ
       人々に愛されるクラブ目指す!
 梅雨を迎え、丹波由良川の清流に、若鮎の踊る季節となりました。
 本日ここに、綾部市長四方八洲男様をはじめ、多数のご来賓や地元の友好団体代表の皆様、RI.2650地区ガバナ−宮崎茂和様、パスト・ガバナ−渡邊彌蔵様、京都ロ−タリ−・クラブ会長寿恵松憲昭様、両丹7ロ−タリ−・クラブの会長・幹事の方々をお迎えして、綾部ロ−タリ−・クラブ創立45周年記念例会を開催いたしますことは、私達会員一同、心からの感激であり、喜びとするところであります。
 当クラブは1954年(昭和29年)6月18日、京都ロ−タリ−・クラブのスポンサ−により創立No.139のクラブとして、創立会員29名で結成されました。
 以来スポンサ−・クラブと地区内クラブの暖かいご友情、歴代会長をはじめとするメンバ−の弛まない奉仕活動により、本日、当クラブが創立45周年の節目を迎えることができました。現在会員数は72名でロ−タリ−の奉仕活動に取り組んでおります。
 ここに親クラブである京都ロ−タリ−・クラブ、地区内のクラブから寄せらましたこれまでのご厚情に対し、心からの感謝と敬意を表すものであります。
 45周年記念事業と致しましては、21世紀を直前に控えた今日、新世代を担う人材育成の必要性を痛感し、テ−マ「新世代を育成し郷土の未来を築こう」のもと、私達の世代を新世代に引き継ぐ、若者世代のネットワ−クづくりを提唱し、その若者ネットワ−ク拠点として、新世代グル−プ「NEXT」が地元の若者を中心に結成されました。
 その主催の元に「新世代会議」が「人・食・緑、綾部の心にふれる旅」のテ−マで開催され、5名のパネリストが、外部の人々に綾部の良さを知ってもらう企画を提言する、公開討論会が行われました。いずれ若者達自身の手作りで、この企画が実践に移され、ふるさと綾部の価値観の創造につながる、体験的な学習が行われることを期待しています。
 また、当市を中心とするこの地域の若者同士の情報交流、若者文化の育成、青年団体の活性化を通して、地域全体の活性化を図ることを目的として、タウン誌・月間「NEXT」が発刊されております。
 私達は、次なる21世紀に迎える50周年を目指し、常に地域社会に密着した奉仕を心がけ、ますます地域の人々から愛されるクラブになれるよう、努力を重ねてまいる所存であります。今後とも変わらぬご指導とご鞭撻を賜りますよう宜しくお願い申しあげます。
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式辞:    99年6月18日

綾部ロ−タリ−クラブ創立45周年記念例会式辞
 我が綾部ロ−タリ−クラブは、1954年6月、京都ロ−タリ−・クラブをスポンサ−・クラブとして、チャ−タ・メンバ−29名をもって初声をあげました。
 爾来45年の歳月を経て、本日この例会に創立45周年記念式典例会を催すことができました。
 本日はご多忙の中を、RI.2650地区ガバナ−宮崎茂和様のお越しをいただき、また綾部市長四方八洲男様を始め、当市諸機関の要職の方々および友好団体代表の方々、RI.2650地区パスト・ガバナ−渡邊彌蔵様、スポンサ−・クラブの京都クラブ会長寿栄松憲昭様、親愛なる両丹7ロ−タリ−・クラブの会長、幹事様、記念事業で取り組みました「NEXT」代表の方、提唱します綾部ロ−タ−・アクトの皆様、我々を支えていただきます会員の奥様方など、多くのご来賓のご臨席を賜りまして、創立45周年記念式典例会に於いて、会員と共に喜びを分かち合えますことを、感謝すると共に心より厚く御礼申し上げます。
 さて、当クラブも45年という長い歴史を経過いたしましたが、その間には、本日ご臨席賜りましたご来賓の皆様、歴代ガバナ−のご指導と、歴代会長はもとより会員一人一人の努力精進、又ご家族の理解と協力によって、奉仕の理想に真剣にとりくんでまいり、地域社会にいささかなりとも貢献できたと確信いたしております。
 29名で発足しました当クラブも、今日1名のチャ−タ−・メンバ−を含め、72名の会員がロ−タリ−の奉仕の理想のもとで活躍いたしております。
 ここに45周年の節目に当たり、今一度初心にかえり使命を見直し、奉仕の理想のもと、地域社会に奉仕することを認識し、その存在価値を高めていくために一層の研鑽と努力を致さねばならないと思います。
 会員の皆様には本日の記念例会の意義を充分認識していただきまして、次なる50年、100年に向かって一層親睦を深めると共に、奉仕の理想に向かってさらに活動を展開されることをお願いいたします。
 本日の記念式典例会が、綾部ロ−タリ−・クラブが21世紀に大きく発展する出発の日であることを祈念いたします。
             平成11年6月18日
             綾部ロ−タリ−クラブ
             会長  鍋 師  有
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45周年記念誌の当日追加分
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記念誌/歴代会長原稿 99年6月18日

新世代グル−プ「NEXT」を結成!
 21世紀を目前に、変革のときに迎える創立45周年。会長エレクトを受けた時点では、大変なバブル不況が、これほどまでに深刻化すると思わなかった。会員増強にも強力に励んだが、この不況で殆どが空振りに終わり、年度当初から会員の退会防止に振り回された。メンバ−が高齢化する中で、10月からの例会場への送迎バスの廃止も大きな痛手となった。
 RI会長テ−マ「ロ−タリ−の夢を追い続けよう」のもと、クラブの活動方針を「ロ−タリ−の夢・みんなの夢」とした。
 まず「みんなの参加で楽しいロ−タリ−を創ろう」と元気の出る、明るい話題の例会をお願いし、親睦例会や会員の趣味分析から人気があると思われる、会員旅行にも力を入れていただいた。
 創立45周年の記念事業のある年度なので、日常のロ−タリ−の奉仕活動については、ほぼ現状に止めることとし、21世紀を先取りして、「21世紀のロ−タリ−づくりは人づくり」に重点を置いた。
 「みんな公平に活躍するクラブづくり」を目指して、フレッシュメンバ−の登用につとめた。理事の選出においても、未経験者枠を増加し、その他の役員人事においても、新人に経験を積んでいただく役割を積極的に配した。
 炉辺会合などの意見「一般会員には、ロ−タリ−の運営が見え難い」との声に答えて、開かれたロ−タリ−の運営を行った。結論を会員に通達するのでなく、初期の段階から会員に問題を提起し、意見を聞く機会をつくった。
 新しく環境保全委員会が3年委員会として発足し、「みんなの責任で地球環境を守ろう」と初年度は、メンバ−自身の勉強例会を4回にわたり開催、メンバ−企業の環境保全の取組みについて調査した。
 「みんなの活動でロ−タリ−の奉仕を実現しよう」と2650地区青少年交換活動としてトルコ・イスタンブ−ルとの間で村上佳寿子さんを送り出し、エゲメン・ド−ガン君を迎えた。
 「みんな力で創立45周年を成功させよう」と、記念事業として新世代を担う人材育成の必要性を痛感し、テ−マ「新世代を育成し郷土の未来を築こう」のもと、私達の世代を新世代に引き継ぐ、若者世代のネットワ−クづくりを提唱し、その若者ネットワ−ク拠点として、新世代グル−プ「NEXT」が地元の若者を中心に結成された。
 その主催の元に「新世代会議」が「人・食・緑、綾部の心にふれる旅」のテ−マで開催され、外部の人々に綾部の良さを知ってもらう企画を提言する、公開討論会が行われた。いずれ若者達自身の手作りでこの企画が実践に移され、ふるさと綾部の価値観の創造につながる、体験的な学習が行われることを期待している。
 45周年記念誌の発刊については、創立36以後の10ケ年間の当クラブの歩みを収録した。年度末6月18日の創立記念日に来賓各位を迎え、ささやかであるが記念例会を開催した。
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45周年記念事業報告書: 99年6月18日

NEXTの今後の活躍に期待!
 綾部ロ−タリ−クラブ創立45周年記念事業として「新世代を育成し、郷土の未来を築こう」をテ−マに、若者世代グル−プのネットワ−クづくりを提唱しましたところ、地元の若者を中心に新世代グル−プ「NEXT」の結成をみることができました。
 その主催の下に「フォ−ラム・新世代会議」が「人・食・緑〜綾部の心に触れる旅」のテ−マで開催され、多数の応募企画者の中から書類選考を通過されました5名のパネリストが、外部の人々に綾部の良さを知ってもらう企画を提言する、公開討論会が行われました。
 いずれ若者達自身の手作りで、この企画が実践に移され、ふるさと綾部の価値観の創造につながる、体験的な学習が行われることを期待しています。
 若者同士がふれあい、綾部の良さを知ってもらおうという企画は、綾部の良き理解者が、たとえ少数にとどまるとしても、企画に参加される皆様には、綾部の未来を考えていくための、何よりも得難い自己の体験学習になると思います。
 また当市を中心とするこの地域の若者同士の情報交流、若者文化の育成、青年団体の活性化を通して、地域全体の活性化を図ることを目的として、タウン誌・月間「NEXT」が発刊されております。
綾部市は豊かな自然にめぐまれ、世界連邦平和都市宣言第1号都市としての存在が、私達、綾部市民の最大の資産であると考えます。21世紀に向かい刻々と変革しつつある綾部市の、その「まちづくり」に若者たちが関心をよせる動きは、この「NEXT」を契機に、さらに広がりを見せるようになりました。
 都会では、大衆のなかに埋没して、孤独な若者が多いのに比し、地方都市では、若者が主役になれる機会が多くあると思いますが、無関心層の蔓延するなか、自からに交流の機会と動機をもつ若者達に、この「NEXT」の無限の可能性を見るものであります。
結びに当たり、この事業にお世話になりました皆様方に対し、深甚なる感謝の意を表しますとともに、21世紀の綾部を担う若い世代のあつまりである「NEXT」と、その活動に対して大いなる期待をよせるものであります。今後ますますのご活躍と発展を祈念いたしまして、感謝の言葉といたします。
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例会スピ−チ       99年6月25日
最終例会              役員退任挨拶

一年間のご協力ありがとうございました。
先週の創立45周年記念例会に、RI.2650地区宮崎茂和ガバナ−、四方八州男市長をはじめ内外からのご来賓を迎え、盛大に開催できましたことを大変嬉しく思います。藤本繁45周年実行委員長をはじめとする有能極まりない、スタッフの皆様のご努力に、心よりの感謝と御礼を申し上げます。
 記念事業として、新世代グル−プ「NEXT」への取り組みを報告できましたことは、宮崎ガバナ−や京都クラブ、両丹7クラブの会長様からも、高い評価をいただきました。また式典当日に発刊できました記念誌も大変素晴らしかったと思います。
 レイシ−RI会長のテ−マ「ロ−タリ−の夢を追い続けよう」の下、「ロ−タリ−の夢・みんなの夢」を掲げ、この年度を室木克則幹事をはじめ本年度理事・役員の皆様、そして会員の皆様とともにお世話になってまいりました。青少年交換留学生エゲメン君をお世話いただいた、ホ−ムステイのご家族や関係者の皆様方、四大奉仕部門の委員会、環境保全委員会の活動、楽しかった会員旅行など親睦関係、例会プログラム関係の方々にも心からの感謝と御礼を申し上げます。
 新世代グル−プ「NEXT」の今後について、次年度の吉田輝男会長に継続的な対応をお願いしました。市制施行50周年=世界連邦都市宣言50周年という当市の大きな節目とともに、いよいよ若者達の活動の本舞台である21世紀の到来となります。私も「NEXT」の未来に無限の可能性を夢見るものの一人です。是非綾部の「まちづくり」の一画を、我々ロ−タリアンとともに、担っていっていただきたいと思います。
 「綾部のよさを知ってもらう」ツア−の企画ですが、実現すれば当市としては、民間のボランティアで行われる画期的なイベントであり、参画される若者達の大きな実践体験になると思います。市では特別市民制度を発足させ募集中ですが、恐らく市制50周年には、これらの特別市民を当市に招く交流会が開催される運びとなることが予想されます。「NEXT」の計画はその先鞭をつけるもので、若者達のオピニオン・リ−ダ−としての発言を期待していきたいと思います。
 さらに45周年の記念事業の原始計画で、映像により綾部の素晴らしさを紹介しようという案がありましたが、撮影専門家の確保の点で断念したと思います。この「NEXT」の活動を、タウン誌「NEXT」とともに、ビデオやホ−ムペ−ジでも紹介できるよう、若者達の中に専門家が育つよう期待したいと思います。
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例会スピ−チ         99年7月30日
歓送迎例会          青少年交換留学生:
               エゲメン・ド−ガン
               村上佳寿子
               ホスト家族夫人

    青春のさなかの貴重な体験を、
      これからの人生で活かして・・
 本日この両君の帰国・離日の歓送迎例会で、RI.2650地区の宮崎茂和ガバナ−の代理として、交換留学生の「終了認定書」と、6名のホストファミリ−の方々とカウンセラ−の森永功先生に、地区青少年交換留学委員会からの「感謝状」をお渡しできることを、大変嬉しく思います。
 出発前の村上佳寿子さん、来日のエゲメン君を例会にそれぞれお迎えして丁度1年になります。以後言葉の壁を乗り越え、国際親善大使である青少年交換留学生としての使命を立派に果たされましたこと、それを支えていただきましたホストファミリ−、綾高関係者、クラブ会員の皆様に心からの感謝を申し上げます。
 この創立45周年誌を見ながら思い返せば、丁度昨年度の明日になる、31日の親睦例会にゲストとして、トルコに出発前の村上佳寿子さんをお迎えしました。 その時の会長スピ−チで「恐いから、分からないから、難しいから、面白い」という話をしました。交換留学で、いろいろと辛いことがあると思いますが、その中にあっても、青春の最中の貴重な体験学習ができることを、楽しむ余裕の心をもって頑張ってきてくださいと激励しました。
エゲメン君の来日を8月21日にホスト家族の方々と共に、出口国際奉仕委員長が関空でお迎えし、28日の例会に出席していただきました。その時の会長スピ−チは、「イスタンブ−ル・チュ−リップ」とトルコで文化が百花繚乱に栄えた「チュ−リップ時代」の紹介の話題でした。
 エゲメン君は、本当に元気に日本の生活にとけ込んで言葉を覚えるとともに、剣道や囲碁などの日本文化にも熱意を示し、綾高剣道部のクラブ活動から初段試験に見事合格されました。奥神鍋にスキ−に行ったこと、凍るような奈良の大仏参拝、ホスト家族とのお誕生会、同じく帰国した佳寿子さんをむかえての先日の歓送迎会など、楽しい思い出がいろいろとあります。
 お二人とも、この青春の最中の貴重な体験をこれからの人生に生かしていってください。

 追記:トルコ大地震の報が入ったのは、エゲメン君が8月2日にトルコに帰り、お盆も過ぎてからでした。数万人の死者、負傷者が出たようで、イスタンブ−ル市でも300人の死者とか。
 お別れ例会で2人が交互に、トルコ語と日本語で解説していた、スライド写真の中に、蒼天を抱いたモスクのスライドがありました。夕日に映る同じモスクを背景に、余震を恐れて外で寝ている人々の姿が、報道されていました。
 エゲメン君からは、ホスト家族に「僕は大丈夫」の電話があったと聞き、ほっとしました。もう1ヶ月も地震の発生が早ければ、帰国前の交換留学生の心配で大変だったと思い、出口春彦国際奉仕委員長などとも、トルコ地震の災害の犠牲者に、心を痛めております。
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なべちゃんのたわごと:実践の薦め
 「昔の古い話しを聞かされて、何になる」と若い人に言われそうです。ずいぶん思い出話など「面白い」話題づくりで話しました。自分でも書きながら、少し嫌になっていました。
 しかし「温故知新」。組織が創立された当時の初心は、古い話題にみえても、それを必要とした課題は、今なお新しく、目の前にあります。課題が解決したのでなく、いやむしろ、その当時の課題は、より深刻化して目の前にあります。時を経て、組織や活動が形骸化し、今や変化が、活性化が求められています。
 若いときは、全体が見えないまま、問題に取り組みました。取り組みながら、学びました。知識はあとからついてくるで、十分だと思います。JCやRACの若い方々には、失敗を恐れずに実践しなさいと申し上げています。失敗からの方が、より多く学べると。
 活動は、美味しいところ、自分達自身がやりたいことをやればいい。全体を見るような対応は、行政にまかしておけばよい。全体が見えるようになれば、力不足、資金不足などで、何もできなくなります。活動に大勢集めることは、確かに成功です。百人より千人・・しかし、たった1人でも、これに参加して良かった。という感動を与える活動をしなさい。そのなかから、あなた自身が学びなさい。ボランティア活動は、自分自身のためにもするものです。市民が、若者に求める活動は、「若さのエネルギ−」そのものです。
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レポ−ト:      99年8月30日
 クラブ定款・細則の作成に協力して
   ロ−タリ−情報委員会(文責:鍋師)

理事会の構成と役割について
1.はじめに
 7月の例会で雑誌委員会の田所卓会員が、ロ−タリ−の友7月号の紹介をされましたが、紙面に各地区のガバナ−紹介があり、大日方弘明ガバナ−が非常に手続要覧に詳しい方だと紹介されています。地区の職業奉仕委員長をされた大日方ガバナ−もそうですが、当クラブでは地区ロ−タ−アクト委員長をされた高倉信正会員が一番熱心にこの手続要覧を研究されています。
 つまりこの手続要覧にロ−タリ−の総てが要約されているわけです。またクラブ幹事は、クラブ定款・細則・諸規則についてのクラブ一番の精通者です。なお、このレポ−トについて、不勉強による誤りがないかどうかを高倉信正会員に監修していただくようお願いしています。
 情報委員会は、3カ年間の元会長の指定席ですが、その1年生委員となり、桜田拓也情報委員長よりワ−プロでクラブの定款・細則を入力するように依頼されました。高倉信正会員に伺うと、手続要覧の定款・細則を入れればよいとのことでした。

2.ロ−タリ−の標準定款
 ロ−タリ−は、1922年から世界共通の標準定款が使用されており、当クラブは1954年創立なので、当初からRIの標準定款を採用していたと思われます。1922年以前創立クラブの自前の定款は、RIに届けて有効ですが、標準定款に近づけるよう要請されています。定款は、「クラブ名」と「テリトリ−」を入れるだけとなっています。このテリトリ−問題だけが、クラブ内での審議事項で、例えばもう1クラブができ、テリトリ−を共有または割譲した場合は、RIの指示に従うことを前提にクラブ内で審議できるようになっています。
 その他の項目は総て一字一句も、クラブ内での変更は許されず、第17条、改正で規定されるように、3年に1回開催される規定審議会を通してRIに提起して初めて、標準定款に採用される方法が採られています。クラブからの提案は、地区で討議されていることが条件(採用の成否不問)で、審議会に受け付けられます。提出に当たり、元RI役員などの指導が受けられる事となっています。
 この規定審議会の活動と常時連動して、RIの定款・細則委員会が、新規の提案と、定款・細則の条項とのすり合わせを行っています。従って手続要覧は3年に1度、新規定を取り込んで改版されます。今回の定款・細則の改正では手続要覧に、アンダ−ラインの引かれた改正部分が、随分広範囲にわたっています。
 手続要覧の定款は多分、法律の専門家が手を入れた条文だと思われます。句読点で区切って逐次的に具体的な手続きが分かるように書かれています。一方仲介などというような労働争議の仲裁から発達したアメリカ的な条文も多くあり、またクラブ内の定款なのに、RIの条文や巨大クラブの会員カテゴリ−などが多く含まれた内容となっています。
 定款第13条は、会員の定款・細則の遵守義務です。「会員は入会と同時に綱領に示されたロ−タリ−の原則を受諾し、本クラブの定款・細則に従い、その規定を遵守し、これに拘束されることを受諾するものとする」「いかなる会員も、定款・細則を受け取らなかったことを理由に定款・細則の遵守を免れることができない」と規定されています。
 今回のクラブ定款・細則の改正日は、年度の始まる7月1日としています。従来から規定審議会の決定に伴い、春の地区協議会で改正事項がクラブ役員に伝達され、年度の始まりとともに実施されてきました。例えばメ−キャップ期間の例会前後1週間から2週間への延長、出席免除の85歳(在籍+年齢)条項の実施などです。手続要覧の会員配布、クラブ定款・細則の作成配布などのタイムラグは当然のこととして処理されています。極端に言うとRIには、緊急事態宣言をして緊急規定審議会を開催する規定もあります。
 一方、クラブの自主性も非常に尊重されていますので、標準定款・推奨細則に明確に違反しない限り、規定事項の対応、実施に遅れがでることは、黙認されていると言えます。

3.理事会の役割り
 ガバナ−の公式訪問は、例年、1.会長・幹事懇談会、2.公式訪問例会、3.クラブ協議会の日程で行われています。この会長・幹事懇談会には、副会長と次年度の会長・幹事(当クラブではこの時点では幹事ノミニ−未定)も出席を要請され、ガバナ−より重要な問題の指摘をいただきます。
 昨年の公式訪問で、宮崎茂和ガバナ−から、理事会の構成の問題で注意がありました。ロ−タリ−も難しい時勢に当面しているとのことで、何か他クラブでトラブルがあったようにも伺えました。ガバナ−には、当クラブの理事・役員表で議決権行使者の記載を示して説明をいたしました。
 ロ−タリ−は、定款第8条に「クラブの管理主体は、本クラブ細則によって定めるところによって構成される理事会とする」とあるように、理事会の権限で総ての決議が行われています。細則第12条、決議では、「事のいかんを問わず本クラブを拘束する決議または提案は、理事会によって審議された後でなければ、クラブの例会・総会などで審議できない」こと、「万一そのような場合は、討議に付することなく理事会に委託する」よう求めています。
 定款第8条第2節では、「クラブのあらゆる事項に関する理事会の決定が最終決定である」と書かれています。そして、「会員は理事会の決定に不服のある場合にのみ、クラブに提訴できる」、また問題によっては、定款第14条、仲介をあおぐことができると定められています。
 細則第7条、委員会、「理事会によって特別の権限を与えられた場合を除き、委員会は、理事会に報告してその承諾を得るまでは行動してはならない」も規定され、「予算支出もその範囲内で行うよう求められています。但し理事会の議決により別段の指示がなされた場合はこの限りでない」と規定されています。ついでですが、クラブ会長は、あらゆる委員会など全てのクラブ内の会合に出席して委員の一員となり、意見を述べることができるとなっています。これが、委員会の会合に、会長の参加が求められる根拠です。
 細則第10条第5節、財務で、「年度の収支予算計画の作成」が理事会の重要な任務となっています。
 採決の方法として細則第6条には、「本クラブの議事は、理事、役員を投票によって選挙する場合を除き、口頭による採決をもって処理される」とあります。
 このようにクラブにおける理事会の権限は絶大なので、あらゆるクラブ内外の問題、種々の地域奉仕活動にたいし、理事メンバ−各位は、それぞれの専門分野(担当奉仕部門)のみならず、クラブ全体の理事としての責務が求められており、普段からの一層の研鑽や、会員との交流が求められていると言えます。

4.理事会の構成
クラブ細則は、若干クラブ独自の事項が採択可能ですが、第15条、細則「定款の条項にたいし、矛盾や制限をしない限り、細則の規定が有効である」とされています。また「細則は、本クラブの管理のために、さらに追加規定を設けるものとする」と細則の追加規定を求め、「細則の改正に基づいて、この追加規定も改正するよう」求めています。
 旧版の当クラブ細則の理事会の構成には、現在の運営状況の実際と合わない欠落がありました。旧版細則の第2条、理事会、「本クラブの管理主体は本則第1条第1節に基づいて選挙された理事会とする」とあります。その第1条第1節とは、選挙による7名の理事当選者ということです。一方、手続要覧は、第2条、理事会、「本クラブの管理主体は本クラブの会員  名より成る理事会とする。すなはち本細則第1条第1節に基づいて選挙された  名の理事、会長、副会長、会長エレクト、幹事、会計および直前会長である」と選挙理事+役職名が明記されています。(この手続要覧の内容は、今回の改正でなく以前からのものです、当クラブの細則から、なぜ追加の役職名が欠落したのか不明です。副会長については、当クラブは選挙理事より任命する慣例になっています。直前会長については、以前に両丹7クラブの会長・幹事会で大変なので見送る話し合いがあったと聞いています)
 また、クラブ細則では、第1条第2節に「幹事、会計と当クラブの慣例により、会場監督が職権上の理事会メンバ−となることとされ、またその責任と権限は、理事会の定めるところによる」となっています。ここで理事会のメンバ−であるということは、理事であるということではありません。
 定款第8条より照合される、細則第2条の理事会は、旧版の細則の記載の欠落したままの理事会構成では、7名の選出理事だけが、理事会の構成要員であり。定款第8条第3節にクラブの役員を定め、「会長、会長エレクトは理事会のメンバ−とする」とあることに違反しています。この旧版細則のままでは、年度が始まって、理事会が正式に成立し、その決議が有効とみなされるまでは、不安定な基盤で準備にあたることとなっていました。すなわち;
 手続要覧には、現会長や現理事会は、次年度の育成任務を負うとされています。年度が始まるまでは、次年度理事会は、実際は理事エレクト〜ノミニ−会議であり、次年度の準備を行いますが、具体的な権限は、年度が始まってから成立するものとされています。
 宮崎ガバナ−が話されたように、ENTER TO LEARN
(学ぶために入れ)と書かれたアナハイムの国際協議会をガバナ−・エレクトは終え、会長はPETS(会長エレクト研修会)を終え、幹事、四大奉仕部門の委員長などは地区協議会を終えて、それぞれの資格を充実させます。この手順をふんで次年度の準備が進めれていきますが、年度が始まるまでに決定の必要な事項は全て、当年度の理事会に依頼決議されて、初めて実際的な行動につながります。
 細則第1条第2節に「職権上の理事会メンバ−の責任と権限が、理事会の定めるところによる」とされ、しかも次年度理事会である間は、正規の理事会としての責任と権限という実行力を欠くままでは、なにも決めようがないわけですから、明らかに、この旧版細則第2条の理事会構成の欠落は、条文の不備というわけです。
 これは実際的ではなく、今回は、条文記載の欠落の補填(理事会メンバ−構成に役職名の追加)を行いました。改正ではありません。宮崎茂和ガバナ−の当クラブの理事会についてのご指摘は、この点にあったのかと、今になって思い当たる次第です。

5.理事・役員会について
 現在当クラブでは、理事会にかわり議決権のない役員も加えた、毎月定例の理事・役員会を開催しています。それで、第2条は前文に加えて、「議決権のない役員を加えて毎月定例に行われる、理事・役員会をこの理事会に準ずるものとする。また必要のある場合は、会長または幹事は、議事関係者のオブザ−ブ出席を求めることができる」と書く必要もあります。しかしこれは、細則についての追加の運用規定なので、細則の条文とする必要なしとしました。
梅原康情報委員より、旧版の第1条第2節「被選理事は・・」とあるのは、選挙後か選挙前か疑わしいので、手続要覧通りの「選挙された役員および理事は・・」とするべきだと指摘がありました。その通りです。さらに第4節に「役員エレクトまたは理事エレクトの地位に生じた欠員は残りの被選理事の決定によって補填すべきものとする」と、ここでは被選理事の文字が使われています。これはエレクト期間中の補填は、選挙の次点者や副委員長の昇格などを可能にする配慮であり、これを選挙された者とすると、動きが取れなくなってしまいます。こうして考えると細則の条文には、なかなか深い意味があると改めて分かった次第です。

6.クラブ内の定款・細則の改正とは
 今回おこなったクラブの定款・細則の作成は、いわゆるクラブ内の改正ではありません。定款・細則のすべてにわたり、RIの手続要覧の改正条文との入れ替えと、細則では現行の運用状況に基づく、理事会メンバ−構成の記載事項の補填がその役割でした。
 それではクラブ内の改正とは、何かという問題ですが、手続要覧細則の  (空白部分)の改正(クラブ会費、入会金、理事選挙人数、理事会メンバ−構成数、例会の定例日時の変更など)の場合がこれにあたります。その他の事項は殆どが、手続要覧の推奨細則に基づく、クラブ内の下位の運用規定の変更として処理される問題であり、総会決議事項でなく、理事会の審議事項であり、例会での報告事項であると思われます。
 例えば、1昨年度の理事選挙では、フレッシュ・メンバ−育成の一環として、理事経験に対する理事選出割合を1時的に変更しました。また地区などへの納入金の財源緊迫緩和策として、会費の前・後期の納入割合を1時的に変更しました。これらは、細則に規定された数値自体の変更でなく、その運用の方法の1時的変更なので、その年度の理事会の決議をいただき、例会報告の後で、実施されました。
 クラブ内の改正には、細則第14条、改正、「定足数の出席する任意の例会において・・改正することができる。但しかかる改正案の予告は当該例会の少なくとも10日前に各会員に郵送されていなければならない。クラブ定款およびRIの定款。細則と背馳するごとき改正または条項追加を本細則に対して行うことは出来ない」と規定されています。かかる改正には、前例にもあったように、会員に問題の認識を深め、会員意向を確認するアンケ−トを取るなどの手段も併用されると思われます。

7.手続要覧も大切
 クラブ定款・細則の作成は、なるべく手続要覧の標準定款・推奨細則の通りにしておこうとする基本的な意図があります。
 例えば、委員会について推奨細則には、クラブ奉仕の各小委員会がすべて列記されています。社会奉仕には環境保全委員会などと共に、当クラブにない協同奉仕委員会などもあります。ところが国際奉仕には、ロ−タリ−財団、米山奨学委員会の項目はなく、青少年奉仕、青少年交換、ロ−タアクトなどの委員会の項目もありません。
 四大奉仕に青少年奉仕を加えるべきだという規定審議会の議論が続いている経過の中で、推奨細則は第7条第1節(f)項に「会長は、その必要ありと認めた場合、青少年活動の諸特定分野を担当する委員会を設置する」として、青少年奉仕を担当する複数の委員会を求めています。昨年度の例会で高倉信正会員が、今回の手続要覧の改正で「新世代のためのロ−タリ−プログラム」を解説されたように、すべての委員会の詳細は、手続要覧の国際ロ−タリ−の項目を見る必要があります。
 手続要覧(ロ−タリアンの手引き)にロ−タリ−用語や四大奉仕部門をはじめ、ロ−タアクト、ロ−タリ−財団など種々の奉仕部門の詳細な解説があります。クラブ運営の今一つ大切な会合である、年5回開催される「クラブ協議会」が、クラブ定款・細則には全く入っていません。手続要覧も非常に大切です。
 クラブ細則についての、さらに詳しい運用のための追加規定は、成文化されていません。例年の総会資料とガバナ−公式訪問の資料などが手がかりです。それ以上の運営細則の疑問点には、歴代会長・幹事の口伝も頼りになります。
 クラブ定款・細則の製作に当たり、情報タイムの説明資料として、本文を作成しました。

8.当クラブの理事会メンバ−構成について
 当年度8月の理事会において、クラブ定款・細則の製作について審議していただきましたが、細則第2条の理事会のメンバ−構成数について、確認の議論がありました。すなわち;
a. 7名:選挙理事7名の旧版細則のまま。
b.11名:手続要覧の推奨細則通り、但し、直前会長     と当クラブ慣例の会場監督を除く。
c.12名:現行の職権上の理事会メンバ−全員を含め     る。選挙理事7名+会長、会長エレクト、     幹事、会計、会場監督。
d. 9名:選挙理事7名+会長,会長エレクト。
     会長エレクト・ノミニ−は、会長選出委員     会(歴代会長会で指名の直前の5代会長よ     りなる選出代行委員会)より、当年度理事     会および理事選挙の年次総会で指名報告が     あり、選挙理事と同格とみなせる。
e.10名:選挙理事7名+会長、会長エレクト、幹事。     幹事は会長エレクトの指名であるが、当年     度理事会および理事選挙の年次総会で指名     報告がある。これは年次総会の被選挙者名     簿から幹事を外し、理事選挙の無効票が出     ることを避けるために必要。
 以上が考えられる理事会メンバ−構成数ですが、
 a.案の選挙理事7名だけというのは、定款第8条第3節にクラブの役員を定め、会長、会長エレクト、副会長は全員理事会のメンバ−とするとあるので、欠落したままの本案は、定款違反であり問題外です。
 b.案の手続要覧推奨細則通りに決めておけば、まずクラブ定款・細則の製作主旨から無難です。定款第8条、理事および役員の第3節に「本クラブの役員は、会長、会長エレクト、副会長、幹事、会計、および会場監督とする。会長、会長エレクト、副会長は全員理事会のメンバ−とする。幹事、会計および会場監督は、本クラブ細則の定めるところに従って、その全員または一部が理事会のメンバ−であっても、またはそうでなくても差し支えない」とあり、幹事以下の役員については、クラブ細則で決めることとなっています。当クラブ細則第1条第2節(3)項は「幹事、会計および会場監督。これらの一部または全部に理事会のメンバ−をあてることができるし、また、そうしなくてもよい。前記の会合で選任された幹事および会計、会場監督が理事会のメンバ−でなかった場合は、これらの人は、その役職に就任する年度における職権上の理事会メンバ−となるものとし、その理事会メンバ−としての責任と権限は、理事会の定めるところによる」と職権上の理事会メンバ−となることを定めています。

9.理事以外の理事会メンバ−について
 当年度の理事会の議論では、年次総会の役割である、会員選挙の洗礼を受けるという意味で、選挙の意義を確認する必要もあるということですが、理事会メンバ−は即、理事と言うこととの混同があるようです。理事以外の役員は、職権上の理事会への出席が求められているわけです。昨年度の当クラブの理事役員表を見ますと、会長、会長エレクト、幹事は、上記の手順で選出されますので、選挙されたものと同格とみなされ、理事となっています。その他の役員も理事会議決権行使者としての責任と権限が与えられていますが、これらは前掲のクラブ細則第1条第2節(3)項に従い、理事会の決定によるものであり、理事会メンバ−、即、理事、議決権行使者というわけではありません。
 また一方、年度により理事会の構成メンバ−に、ある程度の自由度が必要だとの意見があったようです。その議論をふまえて;
 e.案にある幹事エレクトは、相当はやい時期から地区のガバナ−・エレクト事務所から、ガバナ−の日程調整のため行事予定や種々の報告書提出の要請があり、次年度活動の要となるための実質的な活動に入っています。そして年次総会後、直ちに選挙された理事を集め、会長エレクトと次年度の組織づくりを始めるための、理事エレクト会議が始まる時点から司会進行者として重要です。さらに会長、幹事、四大奉仕部門などが参加して行われる地区協議会に出席して研修をうける必要もあります。理事選挙の年次総会以前に、幹事エレクトは必要な職務なので内定しており、理事会や年次総会で報告することにより決定とすればよいと思います。理事会の運営に幹事なしでは始まらないので、理事会の構成メンバ−には最初から幹事を入れておくべきだと思います。
 c.案にある会計、会場監督は、選挙理事の分担とからめて、会長エレクト、幹事エレクト、理事エレクトなどの組織作りのなかで、次年度理事会において決めればよく、細則第1条第2節に「その権限と職務は理事会の定めるところによる」とある通りの運用となります。会計は、年度予算の遂行状況の把握のため、会場監督は、例会会場準備や食事手配を行っていますので、理事会メンバ−として、常時出席を求める方が好都合には違いありません。また年度により必要な出向の地区委員、周年行事やIM、RYLAなどの実行委員長などのメンバ−に、理事会出席を求めることについては、当レポ−トで述べたように、実際には理事・役員会が本細則の運用規定として理事会に準じ、開催されている慣例のままで充分であると思われます。

10.再び理事についての考察
 ロ−タリ−の友8月号に「千年紀」に向け、転回点に立つロ−タリ−として、今年度のRIテ−マ「ロ−タリ−2000、活動は−堅実、信望、持続」が出され、ラピッツアRI会長は、「ロ−タリ−の進化」を遂げるために、指導力の持続を挙げられ、従来の単年度制は、ロ−タリ−の本質の一部ではあるけれど、これは指導者の単年度制であって、プログラムの単年度制を意味する必要はないと述べられ、変化に立ち向かうために、RIの前・現・次の三代会長の会合をもたれ、「21世紀への懸け橋」になろうとされている記事が掲載されています。
 RI会長エレクトは、RI理事経験者の中から、理事経験者で構成される指名委員会により選ばれます。RI理事は、RI会長エレクトを務める場合以外は、2度とRI理事を歴任することができません。そのためRI事務総長は、理事ではありません。RI理事は、ゾ−ン制により、交互に半数のゾ−ン内の、地区ガバナ−経験者から選ばれます。地区ガバナ−は、クラブ会長経験者でなければ、資格がありません。これらが、ロ−タリ−における指導者の持続の系図です。

 当クラブ内の議論で、会員選挙の洗礼を経たものが、理事にふさわしい、という議論がありましたが、その通りだと思います。
 理事、あるいは理事会の議決権行使者が、理事会メンバ−であるという、定義は成立しますが、理事会メンバ−は理事である、議決権行使者であるという逆定義は成立しません。
 クラブ細則に基づき、職権上の理事会メンバ−は、「その理事会メンバ−としての責任と権限は、理事会の定めるところによる」と規定されていますが、だれを理事にし、だれを議決権行使者にするかは、細則には何も規定がありません。細則に付随する下位の運営規定に属することで、クラブ運営の慣例により、理事会決定ということで、決まってきたと解釈されます。
 会長、会長エレクト、さらに幹事を理事とすることについて、先に記述した論点に加えて、次のことが考えられます。
 年次総会で選挙された理事の互選で、会長(エレクト)、幹事も決められていたことがロ−タリ−の過去にもあった?。会長を選挙者の互選で定めることは、世間の大部分の組織における普通の形ですが(実際の会長人事については、大部分の組織で空文化しています)。そのように当クラブでも、慣例により理事とするよう運用されてきたものと思われます。
 幹事は、ロ−タリ−では、理事の役割を負うものの一員ですが、他の組織の監査役、監事との連想から、理事とすることに異議を言う人もあるようです。これは「幹事と監事」の混同です。監事は、会長から任命される者でなく、会を監督、監査するために理事と同格で選挙されるものです。
 ロ−タリ−の幹事は、会長や理事会の委託を受けて会務を取り仕切る、理事者側の役務をはたし、セクレタリ−といいますが、事務長〜専務理事という性格の職務に当たります。
 クラブの会長、幹事などを、理事であるとする職務から考えますと、RIの会長選出規定でもそうであるように、一般論ですが、1度は会員選挙の洗礼を経た理事経験者から選ばれる方が、望ましいと思われます。
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謝 辞:
 多くの方々に支えられ、皆様のご協力をいただき、会長年度を無事終えることができました。心より深く感謝の意を申し上げます。
・常に優しく的確なご指導をいただき、シンガポ−ル国際大会直後のハ−ド・スケジュ−ルを調整してクラブ創立45周年記念式典にご臨席賜りました宮崎茂和ガバナ−。クラブの環境保全委員会の新設にあたり地区委員についてのご配慮と、45周年記念式典にご多用の中をご臨席賜りました増田善宏地区幹事長。
・何よりも、1年間労苦を共にして歩み、的確なクラブ運営をお世話になりました室木克則幹事。
・わが雛壇クラブ・スタッフ:吉田輝雄会長エレクト、由良大司副会長、四方彰SAA、四方利治会計、吉田博美副幹事、槙原洋次副SAA、樋口陽子事務局員。(いつも楽しく、例会を持つことができました)
・理事会スタッフと委員の皆様:村上博孝クラブ奉仕(青少年交換留学生:エゲメン君の第一ホスト)仲江文男職業奉仕(環境保全意識調査と本田味噌訪問例会)岡安庄治社会奉仕(アクトとの早朝清掃作業)藤村宏青少年活動(RYLA、少年野球大会)出口春彦国際奉仕(青少年交換留学生)芦田政博ロ−タアクト(アクトクラブのお世話)吉田藤治環境保全/地区委員(初年度の学習例会)などの活動に、各委員会の皆様方(いろいろとお世話になりました)
・荻野良一親睦(楽しい例会、家族同伴親睦例会、旅行など)大島功プログラム(明るい笑いのある話題のゲスト例会)森永功会報(クラブ週報編集)その他クラブ奉仕の各委員長と委員(会員増強など大変でした)財団、米山委員会の皆様(お世話になりました)
・そして創立45周年事業をお世話になった、藤本繁45周年実行委員長とスタッフ:小佐々順夫式典担当(すばらしい式典例会)塩見剛佑記念事業担当(NEXTの結成と活動の展開も見事)高崎忍記念誌担当(式典当日の出版完璧)山本徹総務担当(効率の良い45周年でした)
・出口栄二創立会員をはじめ歴代会長、先輩諸兄(いろいろと、ご指導有り難うございました)
・綾部ロ−タアクト・クラブの四方憲生会長、保坂朋宏幹事、ロ−タ−・アクタ−の皆様(1年間一緒に学ぶことができました。45周年などのご協力有り難うございました)
・青少年交換留学生、ド−ガン・エゲメン君をお世話いただいたホスト・ファミリ−、森永功カウンセラ−の皆様(親身のお世話、有り難うございました)
・私を支えてくれている、会社の社員一同および我か家族にも(心からの感謝を申し上げます)
・特別感謝:我か恩師の木下禮次先生(例会スピ−チの話題に、多くの示唆をいただきました)
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あとがき:

 ジェ−ムス・レイシ−RI会長テ−マ「ロ−タリ−の夢を追い続けよう」、RI第2650地区、宮崎茂和ガバナ−の強調目標「あなたのクラブに、地域社会にロ−タリ−の夢を」の下に、クラブ会長活動方針を「ロ−タリ−の夢・みんなの夢」−みんな公平に活躍するクラブづくり−を掲げて、会員の熱心なご協力をいただきました。
 何よりも、クラブ創立45周年事業があり、クラブ会員の盛り上がりの中で、記念事業、記念式典例会、記念誌の発刊ができたことを感謝します。
 環境保全委員会活動のスタ−ト、青少年交換留学生のホストをはじめとする、種々のクラブ活動もそれぞれ頑張っていただきました。
 45周年事業の一環として、綾部市リサイクル・システムのスタ−トにあたり、推進協力員全員に400着の活動ユニフォ−ムを寄贈したこと。8月に入って記念事業に取り組んだ、新世代グル−プ「NEXT]が「綾部の良さを知ってもらうネイチャ−・ツア−」を実施。都会の人々を招き、「また綾部に来たい」との思いをもって帰られた(市民新聞記事)とのこと。環境保全のシンボル活動として、例会に使い捨ての「割り箸」でなく、「塗り箸」を採用していただいたこと。など年度を起点とした変化が継続しています。
 「20世紀は戦争の世紀」だった。「21世紀は平和の世紀」にしようと、先般の世界連邦の会合で、宗教大本の方が力説されていました。ロ−タリ−の例会の食事タイムなどで、この話題を出しますと、「21世紀は、第3次世界大戦が必ず起きる」と恐ろしいことを、大部分の人が信じているようです。どうすれば、「21世紀を平和の世紀」にすることができるのか、宇宙船地球号に乗り合わせた、我々地球人類の資質が問われています。世界平和を祈念しつつ!